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古今堂怪異綺譚  作者: 一宮九葉
第3章

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 一行は、日鎮ヶ岳(ひずめがたけ)の山頂を目指し、再び険しい道を進み始めた。

 しかし、志乃しのは歩きながら、自分の身体に確かな変化が起きていることに気づいていた。


 これまでは、ただ無意識のうちに発動したり、あるいは精神を集中させることで、かろうじて感じ取ることしかできなかった『しずめの力』。

 それが今、まるで呼吸をするかのように、ごく自然と身体の内と外を巡っているのが分かった。


 森の木々が、風にざわめく音。

 それはもはや、ただの音ではなかった。

 それぞれの葉が擦れ合う音の違い、枝がしなる強さ、それら全てが、この道のりの先に繋がる天候の変化として、志乃は感じ取っていた。


 地面を踏みしめる足の裏からは、土の湿り気や、その下にひそむ岩の硬さだけでなく、遥か地中深くを流れる、巨大な地下水脈の脈動さえも感じ取れるようだった。


 彼女の力は、もはやただ『鎮める』だけの力ではなくなっていたのだ。

 それは、この山そのものと対話し、その声を聞き、未来を予見するための力へと確かな変貌へんぼうを遂げていた。


 しばらく進んだ先で源兵衛げんべえが不意に足を止めた。

 目の前には、崖崩れで道が完全に寸断すんだんされている場所があった。


「…ちっ。いけねぇ。昨日の雨で崩れたか。こいつは大きく迂回うかいせにゃならんな…」


 源兵衛が苦々(にがにが)しく舌打ちをした、その時であった。


源爺様げんじいさま、お待ちください」


 志乃が静かに言った。

 彼女は目を閉じ、じっとその場にたたずんでいる。


「…大丈夫です。この崖の向こう、三十歩ほど先に大きな岩があります。その岩の根元は、人が一人、ようやく通れるだけの隙間が残っているはずです。そこを抜ければ元の道に戻れます」


 その言葉に一行は息をんだ。

 見えるはずのない崖の向こう側の光景を、まるで見てきたかのように語っているのだ。

 源兵衛は半信半疑はんしんはんぎながらも、志乃のその不思議な確信に満ちた瞳に何かを感じ取った。


「…分かった。お嬢ちゃんを信じよう」


 一行は志乃が指し示した、一見ただの崖にしか見えない場所へと、慎重に進んでいった。

 源兵衛を先頭に、危険な崖のふちを静かに回り込んでいく。

 足元で小石がからからと音を立て、遥か下の谷底へと落ちていった。


 そして、崖を回り込んだ先には、まさしく志乃の言葉通りの光景が広がっていた。


 巨大な岩が、崖に寄りかかるようにして鎮座ちんざしており、その根元には、屈強くっきょういさお巨体きょたいでもかがめば通り抜けられそうな、自然にできた隙間が黒い口を開けていた。


「……本当、だ」水上が感嘆かんたんの声を漏らした。「どうして、これが…」


 源兵衛は何も言わなかった。

 ただ、志乃の横顔を畏敬いけいの念のこもった、これまでとは全く違う眼差まなざしで見つめていた。

 この娘はもはや、ただの斎部いんべ末裔まつえいではない。

 この山そのものの声を聞き、その意思を代弁だいべんする、真の巫女みこなのだと、彼は悟っていた。


 一行は、その岩の隙間を慎重に通り抜けた。

 その先には、崖崩れの影響を受けていない、元の獣道けものみちが確かに続いていた。

 もし志乃のこの力がなければ、半日以上かけて危険な迂回路を進まねばならなかっただろう。


 志乃の新たな力は、玄洋会げんようかいとの絶望的な時間差を覆すための、唯一無二ゆいいつむにの武器となっていた。

 それは、現代の地図でも長年の経験でもない、この山に愛された者だけが手にすることができる、奇跡の道標みちしるべであった。


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