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老婆の不吉な警告は、志乃たちの心に重くのしかかった。
『神邑』を襲ったという災い、そして玄洋会の影。
ただ闇雲に山へ向かうのは、あまりに危険すぎる。志乃は、冷静に状況を判断した。
「水上さん。あの老婆の話にあった『災い』について、もう少し詳しく調べてみるべきだと思います。神邑が土砂に埋まったというのが本当なら、この町のどこかに、その記録が残っているはずです。当時の新聞記事や、役場の公的な記録のようなものが」
その提案に、水上は深く頷いた。
「ええ、私もそう考えていました。敵を知り、己を知れば百戦危うからず、です。まずは、この町の郷土資料館へ向かいましょう。古い新聞の縮刷版や、災害の記録が保管されているはずです」
三人は、旅館に戻って簡単な準備を整えると、松本の町に新しく建てられたという、洋風建築の郷土資料館へと向かった。
白塗りの壁に、緑色の屋根が映えるモダンな建物であったが、その内部は、この土地が重ねてきた古い時間の匂いで満ちていた。
薄暗い閲覧室の隅で、三人は埃っぽい新聞の束や、古い公文書の記録をめくり始めた。
巌は、二人の背後で、まるで石像のように静かに佇み、周囲への警戒を怠らない。
調査は、困難を極めた。
老婆が言っていたのは、彼女がまだ子供の頃、つまり三十年以上も前の出来事だ。
当時の新聞を探し出すだけでも、一苦労であった。
志乃は、持ち前の根気強さで、一枚一枚、黄ばんで脆くなった紙のページを、丁寧にめくっていく。
そして、調査を始めてから数時間が経った頃、志乃の指が、ある小さな記事の上でぴたりと止まった。
それは、明治三十年代後半の、地方新聞の三面記事であった。
『山村の怪、三十余名、土砂に消ゆ』
その見出しの下には、衝撃的な内容が記されていた。
『……去る十日の夜半、当県、梓川上流の山村、神邑にて大規模な土砂崩れが発生。
一夜にして、村の全戸が土砂に飲み込まれ、村人三十一名の行方が絶望視されている。
現場は険しい山中であり、二次災害の危険も高いことから、県の調査団も近づけず、原因は不明。
麓の村人の間では、古くからの言い伝えにある、山の神の祟りではないかとの声も上がっている……』
記事は、ごく短いものであった。
しかし、その内容は、老婆の話を裏付けるには十分だった。
志乃は、自分の母方の親族が、この悲劇の中にいたのかもしれないという事実に、胸が締め付けられるのを感じた。
「……これだけか」水上が、悔しそうに呟いた。「原因不明、か。だが、この記事には、気になる点がいくつかある」
彼は、記事の別の箇所を指差した。
「この記事が書かれたのは、災害発生から三日後。しかし、その時点でも、県の調査団は現場に入れていない。あまりに手際が悪すぎる。そして、この記事以降、神邑の土砂崩れに関する続報が、どの新聞にも一切掲載されていないんだ。まるで、誰かが意図的に、この事件を人々の記憶から消し去ろうとしたかのように」
水上の指摘に、志乃もはっとした。
ただの自然災害にしては、あまりに不自然な情報の途絶え方だ。
「何か、隠されている…ということでしょうか」
「その可能性が高い」水上は、さらに別の資料を手に取った。
それは、当時の県の公文書、災害記録の台帳であった。
彼は、ある頁を開いて、志乃に見せた。
そこには、神邑の土砂災害に関する、ごく簡素な記述があった。
しかし、その末尾に、奇妙な一文が、細い筆で書き加えられていた。
『……本件、陸軍省の特命により、以降の調査を禁ず。』
陸軍省。
その名前に、三人の間に緊張が走った。
「……これは」水上は、驚愕に満ちた声で言った。「ただの天災ではない。陸軍省が動くなど、尋常ではない。三十年前のこの事件と、現在の玄洋会の動き…そして彼らの背後にいる軍の一部勢力。これらが無関係だとは、到底思えません」
彼は続けた。
「断定はできません。しかし、神邑を襲った災いが、神器を巡る人為的なものであり、その真相が国家権力で隠蔽された可能性は極めて高い。我々が追っているのは、昨日今日始まった話ではない…三十年以上も前から続く、根深い陰謀の一部なのかもしれません」
志乃たちは、もはやただの宝探しをしているのではない。
国家権力で隠蔽された、古い事件の真相を追っているのだ。
その事実が、ずしりとした重みを持って、三人の肩にのしかかった。




