F組初の共同戦闘任務へ:『落ちこぼれ共の出撃』
出撃命令と緊張
ルミナシア学院の演習報告室は、いつにも増して緊張感に包まれていた。
朝の鐘が三度を告げると同時に、ミスティ=クロエ教官が淡々と立ち上がる。
その手には、学院上層部から送られた“実戦任務”の通知書。
教員たちがざわつく中、F組の生徒たちは部屋の片隅でそれぞれの姿勢を保っていた。
「——以上をもって、今回の現地災害対応任務は、《実践候補クラス・F組》が受託します」
教官の声が静かに響く。
「……は?」
「正気か、ミスティ?」
「何を考えている?」
保守派の教員たちが顔をしかめる。
「F組など、まだ魔法陣の基礎もおぼつかない連中だろう」
「よりにもよって災害対応だぞ? 戦闘被害も出てる案件だ!」
「……だから、任せたのよ」
ミスティは薄く笑った。
彼女の紫紺の瞳には、誰の抗議も映っていない。
「“本気を出させたいなら、少し崖っぷちに立たせてみる”……教育の基本よね?」
演習報告室の外。転移装置前にて。
F組の面々が、次々と装備を確認しながら集まってくる。
レンは魔導式タブレットを操作しながら、一言、ぽつりと漏らした。
「……理由も聞かずに放り出すってのは、ずいぶんだな」
「いいじゃん別に!」
ミリィがポシェットから派手な工具を覗かせながら、目を輝かせた。
「やっと出番かも! こーゆーの、やってみたかったんだよね〜。現場で動いてる魔法災害、データいっぱい取れるし」
レンは半分呆れたように、半分感心しながら彼女を見た。
「……前向きすぎるだろ、お前は」
その隣で、ノエルは何も言わず、風に揺れる銀髪を押さえるようにフードをかぶり直す。
ただ、彼女の瞳は静かに何かを受け入れたように光っていた。
「……了解」
短く呟いたそれだけで、ノエルの意思は伝わった。
一方、ジャスパーは腕を組み、分厚い黒革のノートを手にしている。
「現場データの収集には好都合だな。机上では拾えない“意味の揺れ”が多発する場所だ。試してみる価値はある」
その異様な冷静さに、ミリィが小声で呟く。
「相変わらず、なに考えてるのかわっかんないよね、ジャスパーくん……」
そんなやり取りをよそに、演習場の奥で筋トレに励んでいたヴァンが、最後に現れる。
鍛え上げられた腕を組み、にやりと笑いながら拳を鳴らす。
「で、ぶっ壊してくりゃいいんだろ? 行こうぜ」
やがて、ミスティが転移装置の制御盤に手をかざす。
紫色の魔力の陣が静かに起動し、F組を新たな局面へと導く光を放つ。
「では、任務開始。実戦評価も兼ねてるから、全力でやりなさい。誰も、後で言い訳できないようにね」
——魔力の光に包まれる直前、レンは小さく息を吐いた。
(……やるしかない、か)
目の前に広がるのは、学院の外。
未知と混乱、そして“自分たちの理屈”が試される戦場だった。
現地到着と任務内容の確認
——光が収束し、足元に冷たい土の感触が戻る。
F組の六人が転移したのは、森の外縁部。
だが、そこは既に「自然」とは呼べないほど、空気そのものが歪んでいた。
空間がざらついている。
色も形も定まらない靄が、視界の端をかすめては消え、風もないのに木々の枝が揺れる。
魔力の乱れが、現実に“ノイズ”を加えているのだ。
「……着いたはいいけど、ここ……やばくない?」
ミリィがポシェットの結界センサーを開き、顔をしかめる。
「魔力密度、常軌を逸してる。基礎術式の系統がバラバラで、同時に複数の魔法式が干渉してる状態……これ、よく立ってられるね」
「地形も変わりかけてる」
ノエルが足元を見つめて呟く。
地面の一部が、煮え立つように熱を帯び、反対側では凍結が進んでいた。完全に魔法災害だ。
転移装置の先で、迎えの教官が一人、待っていた。
顔には疲労の色が濃く、腕には応急処置の包帯が巻かれている。
「お前たちがF組か……本当に来るとはな」
教官は唸るように言った。
「二チーム先に投入している。どちらも上位クラスだが、損耗が激しい。一部はすでに撤退、残りも退避準備中だ」
レンが一歩進み、簡潔に尋ねる。
「対象は?」
「《マナ・ケルベロス》だ。旧魔導研究時代に造られた人工魔獣……いや、もう“魔獣”とも呼べん」
教官の目が険しくなる。
「構成は三重の構文核。すべて破損状態で、今は“呪文そのもの”が暴走している。
普通の攻撃も、通常の封印呪式も意味を成さない。——言語の通じない呪文体だ」
レンの目が鋭く細まる。
(壊れた構文……“意味が失われた魔法”か)
まるで、自分の魔法の理論と真逆の存在。
“意味”を削ぎ落とし、“呪文の型”だけで暴走する存在。
教官は続けた。
「各隊とも、攻撃は一部通じるが封印ができない。専用術式の適応か、魔法理論そのものの再構築が必要になる。……お前たちに、それができるかどうかだな」
「できるかどうかじゃない」
レンは淡々と応えた。
「やるしかないんでしょ、他に手がないなら」
教官が一瞬驚いたように眉を上げ、しかしすぐに頷いた。
「北東の森に進め。魔力源の中心に《ケルベロス》がいる。残存チームとの合流は任意、命令系統はこの場からF組に一任する。……幸運を祈る」
出発前、レンはメンバーを見回す。
「三つの構文核が壊れてるってことは、それぞれの“論理破綻”があるはずだ。ミリィ、ノエル、分析頼む」
「まっかせて!」
ミリィが手のひらサイズの魔導端末を起動しながら言う。
ノエルは静かにうなずいた。
「構文の残響があるはず。精霊が反応するかも」
「ジャスパーは?」
「記録の準備は整ってる。意味の歪みも抽出できるかもしれない」
ヴァンが肩を回しながら歩き出す。
「よーし、壊れたヤツぶっ壊して、封じ込めてやろーぜ!」
レンは頷きながら、最後にひとりごちた。
「“意味が壊れた呪文”か……じゃあ、意味を再定義するしかないな」
F組は、異常魔力の渦巻く森の中へと、静かに歩を進めた——
——彼らの“理屈”が通じる世界を、取り戻すために。
初動の混乱と苦戦
濃密な魔力の霧をかき分けて、F組の六人は異常領域の核心部へと到達した。
そこにいた。
《マナ・ケルベロス》――三つの頭部にそれぞれ異なる構文核を宿し、崩壊した魔法言語を咆哮として放つ、呪文そのものの化け物。
形状は狼に似るが、その輪郭は明滅し、視る者によって構造すら異なって映る。構文核が破損したことで、存在そのものが不安定化しているのだ。
「っ……あれが……」
リーゼルが息をのんだ。
「構文の乱反射……あんなの、理論どころか、詠唱の起点すら掴めないわ!」
だが、構えるより先に、ケルベロスが動いた。
その三つの頭部から放たれた咆哮が、異なる魔法式を上書きするように周囲へ展開される。
風、炎、光——その全てが、“意味を持たないまま”襲いかかってくる。
「来るぞッ!」
レンが叫ぶのと同時、リーゼルが前に出た。
「なら、私の“意味”を叩き込むまでよ!」
彼女は定型詠唱の封印術式を高速展開。
精密なルーン陣を瞬時に描き、封印結界を発動させる。
しかし、次の瞬間——
バキィンッ!
音を立てて封印陣が砕けた。
構文核が壊れている以上、従来の封印魔法は“対象”として認識できない。
「ッ……! 効かない……!?」
ケルベロスが咆哮し、魔力の衝撃波が地面をえぐる。
ヴァンが吠えるように飛び出した。
「黙って見てられっかよッ! ぶっ飛ばせば止まるだろうがァ!」
——が、次の瞬間、彼の体が光に包まれ、吹き飛ばされた。
「ヴァン!」
ミリィが叫ぶ。
結界の外側に投げ出された彼は、木々をなぎ倒して地面に転がる。
転移装置の自動保護結界が発動したおかげで命に別状はなかったが、戦線離脱は確実。
「……騒がしすぎる」
ノエルが眉をひそめる。
彼女の目は、森の上空を舞う小さな精霊たちに向けられていた。
その羽ばたきが、不規則に震えている。
「精霊たちが……“言葉”を聞き取れないみたい。ざわざわして、逃げ場を探してる……これは普通じゃない」
同時に、ミリィが爆走する魔力の流れを読み取り始めていた。
「核は三つ……! 三重構文が同時に回ってる……どこかのラインに“共通構文”があるはず……!」
彼女は即興で解析式を起動するが、解析→展開→適応のプロセスに時間がかかる。
戦場での発動には、まだ数手先の余裕が必要だ。
その間にも、ケルベロスは新たな咆哮を放つ。
「こっち来る……!」
リーゼルが再度構えようとするが——
「下がれ、時間がない」
レンが前に出る。
「これはもう“魔法”じゃない。崩壊した“言語”そのものだ……なら、言葉として、読めるかもしれない」
レンは手をかざし、ケルベロスの咆哮波に自らを晒した。
衝撃と共に、音ではない“語彙”が脳をかすめる。構文断片、壊れた命令、未完の詠唱——それらが、レンの理論構築領域で“意味”として形を持ち始める。
「これは……“否定接続詞”と、“対象指示語”……違う、“過去時制”が逆流してる?」
その瞬間、ジャスパーがすぐ後ろから声をかけた。
「レン。魔獣の咆哮周期と、左頭部の挙動にずれがある。おそらく、そこだけ“論理構造”が古い。狙えるなら、そこだ」
「助かる。……こっちも、だいたい見えてきた」
レンの瞳に、崩壊構文の中に浮かび上がった“意味”が宿る。
「なら、“言葉”に戻してやるよ」
構文の欠損を、理論で補完し、“言語”として再定義する——
レンの“セマンティック・キャスティング”が、ここに牙を剥き始めた。
だが、状況は依然として混沌。
ヴァンは脱落、リーゼルは苛立ちを隠せず、ノエルは精霊の乱れに神経を尖らせ、ミリィは発動準備中。
そしてジャスパーはなおも記録を続けながら、未来の行動予測を淡々と更新している。
この戦いが、F組に何を残すのかは——まだ、誰にもわからない。
“言葉のズレ”を読み解くレン
《マナ・ケルベロス》の三つの頭が、各々違う呪文を吠える。
どれも断片的で、構文も文法もめちゃくちゃ。
しかし、レンの耳にはその“混乱”の奥に、確かな《意味》の“叫び”が聞こえていた。
(これは……ただ壊れてるんじゃない。構文が崩壊したんじゃない……意味そのものが、ズレてるんだ)
「レン! そろそろ魔力がもたない!」
リーゼルが叫ぶ。彼女は再び攻勢に転じようとしていた。
しかし、レンは手を横に振って制止する。
「待て、それじゃダメだ」
彼は一歩、ケルベロスの咆哮の射線に踏み出す。
「この魔獣は“壊れた呪文”で動いてる。でも、本当は“意味が崩れてる”だけだ」
ミリィが息を呑んだ。「……それって、読み直せるってこと?」
「できるさ。意味がズレてるだけなら、再定義すればいい」
レンは手をかざし、空間に指を走らせる。
即興のセマンティック・キャスティングが、構文ではなく**“語彙の再配列”で発動していく。
光の糸のような魔力文字が空中に流れ、ケルベロスの咆哮に“別の意味”**を与えていく。
「“攻撃”じゃない……この呪文、もとは警告だったんだ」
その瞬間、ノエルが反応する。
「……わかる。精霊たちが、“恐れてたもの”を指してる。……中に、まだ何かが……!」
ノエルは精霊との共鳴を強くし、レンの再定義に呼応するように、空間の“震え”に触れた。
風が逆巻き、空気の層が剥がれるようにして、魔獣の胸元——中心核がちらりと姿を現す。
「見えた……コアが!」
レンが呟いた。
「急げ、ここを“現実”として固定しないとまた沈む!」
その瞬間、ジャスパーがスッと前に出る。
「記録中。挙動は反復性がある。中心構文、6周期で崩壊再生成——次の露出は7秒後だ」
彼は魔導ノートを広げ、眼球を動かすだけでデータを記憶していく。
その記録から“安全なタイミング”を弾き出すと、後ろにいたミリィへと振る。
「今なら、パターン封印ができる」
「よし、ちょっと待って! 一番近い封印式を補強する!」
ミリィは床に転がった古い封印陣の残骸を拾い上げ、そこへ自作の“簡易補強式”を付与。
「……応急処置だけど、意味さえ通ればいいんでしょ?」
レンは頷く。「十分だ。意味は“形”より“繋がり”が大事だからな」
ミリィの式が起動し、レンの再定義魔法に同調するように展開される。
ケルベロスの咆哮が一瞬だけ、沈黙した。
だが、次の瞬間——
魔獣が激しく身を捩り、地面を踏み鳴らす。
「くるぞッ!」
ノエルが後退しようとしたそのとき——
「私がやる!」
リーゼルが一歩前に出た。
彼女は今までの攻撃姿勢を捨て、防御展開に魔力を集中させる。
全員の足元に、防御魔法陣が重なるように拡がった。
「私が抑えるから……さっさと決めなさい!」
その声には、苛立ちではなく、明確な“意志”が宿っていた。
レンは短く息を吐く。
「……ありがとう、リーゼル」
魔力がひとつに流れ込む。
再定義された“言葉”と、“補強された式”と、“重ねられた記録”と、“仲間の支え”が交差する。
この瞬間、F組は誰一人、完全に連携してなどいない。
けれど、それぞれが自分の得意分野で補い合い、“バラバラのまま”ひとつの結果へと向かっていた。
それが、F組なりの「協力」だった。
そして次の一撃——
レンの指先から放たれた、“再定義された言語”による封印術が、魔獣の核へと叩き込まれる。
叫びとともに、崩壊していた呪文の構文が、“眠り”の形に折りたたまれていく。
次の瞬間、ケルベロスの体がゆっくりと崩れ、魔力粒子となって森へと還っていった。
初めての勝利と、変わるまなざし
空は静かだった。
暴走する魔力が収まり、森に再び風が通い始める。倒木の間から、日差しがわずかに差し込む。
崩れ落ちた《マナ・ケルベロス》の残骸が、蒸気のように消えていく。
誰も言葉を発さないまま、数秒。
「……終わった、のか?」
ヴァンが拳を下ろしながら、ぼそりと呟いた。
「うん。確かに、封印された」
ミリィが頬に火傷の跡を残しながらも笑った。
ノエルは目を閉じて、そっと頷く。
ジャスパーは静かにノートを閉じ、「記録終了」とだけ口にした。
リーゼルは少し離れた位置で座り込んでいた。
まだ荒い息を吐きながら、足元の魔法陣を見つめている。
そこには、戦闘中とはまるで違う空気が漂っていた。
レンは、魔獣がいた場所をじっと見つめていた。
「……理屈が、通った」
誰にでもなく、呟く。
「——それだけで、こんなに嬉しいんだな」
魔法が、意味を持って動いた。
頭の中で描いた理論が、現実を変えた。
それが、ただ……嬉しかった。
帰還後、学院の演習報告室。
「魔獣の封印任務、F組、成功と記録」
記録係の教官がそう告げた瞬間、部屋の空気が僅かに揺れた。
「本当に彼らが?」
別の教官が懐疑的な声を漏らす。
「……偶然じゃないのか?」
「まぐれ当たりの可能性も——」
そんな声が飛び交う中、ミスティは悠然と前へ出る。
教官陣に向けて微笑を浮かべながら、はっきりと言った。
「——落ちこぼれ? いいえ」
「これは芽よ。常識を壊す芽。あなたたちが“捨てた可能性”の、証明よ」
沈黙が走る。
それでも、数人の教員や、偶然報告を見に来ていた上級生たちの目が、明らかに変わっていた。
“見る目”が——興味へと変わっていく。
F組の教室。帰還直後。
誰かが椅子に座り込み、誰かが床に寝転がり、誰かが無言で傷の手当てをしていた。
疲労と、混乱と、それでも確かに存在する安堵が、教室全体を満たしている。
やがて——
「なあ」
ヴァンがぽつりと声を出す。
「……あれ、たぶん、俺たちじゃなきゃ無理だったよな?」
誰もすぐには答えない。
でも——
「そうかもね」
ミリィが笑いながら、破れた袖口を直している。
「普通の魔法じゃ、通らなかったもの」
「普通のチームでも、崩れてただろうな」
ジャスパーも静かに同意する。
「精霊たちも、ちゃんと見てくれてた」
ノエルの声は小さいが、確かな確信を持っていた。
レンは窓の外を見ていた。
遠く、森の先には、青く晴れた空が広がっていた。
「……理屈が、通る場所があるって、思ってもよかったんだな」
教室の空気が、静かに、けれど確かに——変わり始めていた。
バラバラなままだったF組のメンバーのあいだに、
ひとつだけ、共有できる感覚が芽生えていた。
「やれるかもしれない」
それは、確信とはまだ呼べない。
でも、最初の一歩としては、十分すぎるほどに確かな感触だった。