選挙演説中に中指を立てるアンチに私はピースサインを送る
濃いねずみ色の曇天。古びた市庁舎の窓から見下ろせばそこには、かつての繁栄を忘れたかのような、市民の気持ちが投影されたかのような、そんなくすんだ街並み。
経済活性化の名のもとに繰り返される利権争いと、既得権益に固執する市政。何よりも、市民の声が政治の場に届かぬ現実。かつて私は、そんな八方塞がりのこの街に生きる青年の一人だった。
大学時代、私は地域活動やボランティアに積極的に関わる中で、市政の歪みや不透明な資金の流れを肌で感じていた。地域住民や商店主からの、不満や諦めの声を聞くたび、私の中に小さな怒りが芽生えていく。卒業後、一度は民間企業に就職するも、組織の論理に飲まれそうになる日々のなかで、私の心は「このままではいけない」という思いで満たされていった。
そして、ある夜、私は決意した。「自分の手でこの街の政治を変えよう」――。現職議員は政党の看板と資金力を背景に盤石の体制を築いている。しかし、私はどの政党にも属さず、無所属のまま市議会議員選挙への立候補を表明した。
無所属での立候補は無謀だと誰もが言った。しかし私にとって、政党のしがらみや組織票に頼らないことこそが信念だった。資金も、支援者も、ほとんどゼロからのスタートだったが、SNSでの情報発信や、手作りのビラ配り、そして地道な地域訪問を繰り返した。
私の最大の武器は「歯に衣着せぬ発言」だった。市政の問題点や腐敗の構造を、具体的なデータや実例とともに公然と指摘し、これまで誰も触れたがらなかった利権の闇に大胆に切り込んだ。
演説を聞いていた市民の多くは「こんな若者がいるのか」と驚き、やがて私のもとには少しずつ共感と支援が集まった。年配者からは「若さゆえの無謀」と懸念される一方、若者や子育て世帯からは「あなたなら変えてくれるかもしれない」と期待が寄せられた。地元メディアも私を「異端児」として取り上げ始め、SNS上ではハッシュタグと共に私の名前が拡散されて行った。
選挙戦最終日。私の前には、かつてないほど多くの市民が集まった。私は最後まで「市民の声を政治の真ん中に」という信念を貫き、既存の権力構造に屈しなかった。結果は、圧倒的な得票数でトップ当選。無所属新人議員として、市政に新たな風を巻き起こす存在となった。
だが、トップ当選という快挙の裏で私を待っていたのは、必ずしも歓迎だけではなかった。既得権益を守りたい旧来の議員や、利権に絡む企業、さらには市政に批判的な一部メディアからの風当たりは強まった。
それだけではない。次の選挙活動が始まると、私の演説にはアンチや対立候補の支持者たちが集まり、罵声を浴びせたり、「帰れ!」「嘘つき!」とシュプレヒコールを上げたりするようになる。時には拡声器で演説を妨害され、SNS上では私を貶めるデマや中傷が飛び交った。市民の一部は冷ややかな視線を向け、かつての共感が疑念へと変わる場面もあった。
そんな状況下で、特に私を辟易させたのは、演説をする私に対し中指を立てるというアンチの行動である。中指を立てるサインとは、立てた中指が「陰茎」を、曲げられた「人差し指と薬指」は陰嚢を象徴し、これらを見せる事で卑猥で侮辱的な意味を示す。選挙活動の演説中、アンチが中指を立てて侮辱のポーズを取る場面は少なくなかった。
しかし、私はこの侮辱行為への対抗策をひねり出した。
事はシンプル。中指を立てるアンチに対し、私はピースサインで応戦したのだ。下劣な侮辱行為をする者へ、片手でV字を作って突き付ける。この手の形は「平和」を意味する。私なりの反論である。
ただの挑発返しではない。中指を立てるアンチに向かい、毅然とした態度でピースサインを突き付け、私はこう語った。
「このピースサインに中指を立てるなら、それは平和そのものを侮辱していることになる。私個人にではなく、皆が願う平和への否定だと、私は受け止めます」
この皮肉に、最初のうちこそ周囲は戸惑いと苦笑を見せたが、やがてこのパフォーマンスは市民の心にじわりと染み込んでいった。私の姿を見ていた市民の中には、アンチの侮辱に心を痛め、憤りを抱いていた人たちも少なくなかった。ある日、演説の最中、群衆の中からひとりの年配女性が静かに私と同じピースサインを天に向かって高く掲げた。その行為は瞬く間に周囲へ広がり、やがて私の声が響くたび、あちらこちらで市民がピースサインを掲げる光景が生まれた。
私を罵倒していたアンチたちは、群衆の中で居心地悪そうに視線をさまよわせ、静かに広がるピースサインの波に追い詰められ、場の空気に耐えきれなくなり、うつむきながら人波をかき分けどこかへ消えて行く。誰も彼らを追わない。ただ静かにピースサインが彼らの背中を見送るだけだ。
ピースサインはやがて私の象徴となり、支援者たちも自然と同じ仕草で応援を送るようになった。「市民の平和」とは、ただ静かな日常を守るだけではない。誰もが声をあげられ、対立すらも新しい対話への扉として受けとめること――私はその信念を貫き、平和のサインを掲げて今も歩み続けている。