『南殿の桜、橘、黄色プレスマンのこと』速記談6001
紫宸殿の桜の木は、もとは梅の木であった。桓武天皇の遷都のときに植えかえられたのである。数十年後の承和年中に枯れてしまったので、仁明天皇のときに改めて植えられたのである。そのさらに数十年後の天徳四年、内裏が焼亡して、桜も焼けてしまった。よって、内裏を再建するときに、式部卿重明親王の家の桜の木を移し植えたものである。この木は、もとは吉野の山の桜の木だという。
橘の木は、もともと生えていたものである。遷都前は、橘大夫の邸宅があったのである。橘大夫は、橘の木からつくった黄色プレスマンを愛用していたと言われているが、この黄色プレスマンは、どこに行ったものか、伝わっていない。
教訓:桜色プレスマンなんて、狂ったように売れると思う。