第95話 キャサリン研究所に戻る
キルリスが敵のアジトで大立ち回りを行ってから2週間がたった。
ユーリは変わらず昏睡状態でキャサリンの顔も暗い。
幸いこの2週間は邸宅が襲われることもなく使い魔による敵の偵察もない。
「しばらく手出しはしないだろうけど監視されていると思った方がよさそうだ」
王国軍の中隊が魔導士をひきつれて敵のアジト跡に入ったのは昨日。
道を切り開き、魔獣を倒して到達した場所にはなんの痕跡は残っていない。
キルリスの証言に基づいて地面を掘り起こし、残る痕跡や魔力を優秀な魔導部隊が探査してやっと地下倉庫の痕跡が分る程度。建物の残骸はもちろん証拠とよべるものはきれいに隠滅されていた。
爆破して後日、さらに入念に痕跡を隠滅したに違いなかった。
「私たちは私達にしかできないことをするよ?キャサリン」
キルリスはずっとうつ向いている娘の方へと声をかける。
二人にしかできないこと。この親子にはユーリすら持ってない神のギフトがある。
カツカツカツ。
久しぶりで廊下にパンプスの踵が響き『できる女性が近づいてくる』ことを知らせる。
「所長、お久しぶりです」
「所長、大丈夫だったんですか?」
「所長、ご無沙汰です!ご婚約おめでとうございます!」
久しぶりの魔導士団研究所。
すれ違う研究員たちは1か月ぶり上司の出社にひと安心した笑顔で声をかける。
「やあみんな久しぶり!心配かけた人はゴメンね、しばらくは不安定な出所になるけど勘弁してちょーだいね!」
ワイワイと所員たちが集まってきたところで、キャサリンは全員に大きく頭を下げてから気さくに話しかけた。
「今日は半日であがる予定だから、まっさきに報告したい案件優先だよ!書類も最優先だけ、申し訳ないけど明日も来るから大丈夫なものは後回しにさせてもらうよ!」
秘書のガルシアに書類の順番を指示しながら席につく。
広い研究所の最奥。席上の未決箱には資料がたかく積まれて今にも崩れそうだ。
キャサリンが座っただけでグラリグラリと揺れる山を秘書が慌てて抑えるとさっそく書類の分別に入った。絶対に見て貰わなければいけない書類だけを抜き出して絞っていく。
その間にも次から次へと所員がキャサリンの前にやってきてはこれまでの魔道具に発生した問題点や王宮からのクレーム、大貴族からの開発要求といった正直『やっかいな』話が舞い込む。
これをキャサリンは笑顔でひとつひとつ決断をして捌きながら、不在の間に慣れない対応でゲッソリしている所員の労をねぎらうのだった。
「所長が来ると暗かった研究所に灯がともったみたいですわ」
やっかいな案件の書類を次々と渡す秘書のガルシアに、これも笑顔で答えながら許可印を押しあるいは却下の✕を記入して指示を出す。
「そうかい?みんながやりやすくなればそれでいいんだけど」
何の気もない返事をしながらでも処理の手を止めることはない。
次々と決裁済の箱に書類が積まれていく。
今ここで仕事をしている自分が信じられない。
こうしている間にユーリの容体が悪化して苦しんでいたらどうしよう。
ギン様から大丈夫だとお墨付きはもらっていても、そんな不安が頭から離れるはずはない。
考えてはダメだ。
考えてしまうと今すぐに研究所を飛び出したくなる。
それができない自分に泣きそうになる。
次々と仕事が隙間なく渡される今の状況がありがたいと思えた。
悩む暇がない。
絶え間なくやってくる仕事を全部片づけてしまえばいい。
「ご自宅の方は大丈夫ですか?なんだかトラブルに巻き込まれてるって聞きましたけど?」
次の書類が自分の前に渡される。
わずかな隙間に差し込まれる雑談でさらに余計なことを考えずにすむ。
「うーんなかなかやっかいでね。今も気にはなってるんだけどそのためには早く仕事を終わらせないとね」
「そうですよ。せっかく婚約なさってラブラブなんですから早く終わらせて帰らないと」
秘書ガルシアのちょっぴり人をからかうような笑顔が嬉しい。
そういえば出所したのはユーリと婚約でバタバタとしていた頃以来だ。
「へっ?ラブラブ?・・・ってそれなに?」
「ええーっ?みんなウワサですよー?所長があっさり年下に陥落したって!」
「ユーリは確かに年下だけど、でも頼りがいがあってひっぱってくれてでも甘えてきたらすごくかわいくって、だから」
「だから?それをラブラブっていうんじゃないんですか?」
シラーッとした目が恐ろしい。
うっ・・・
「ほらほら。ここまで終わらせえてもらわないと今日は帰れませんよ?」
「わ、わかったよ。もう人使いが荒いんだから」
かれこれいくつもの議案を片付けた?
夢中になりすぎて何件片づけたかも今が何時かもよくわからなくなったころ。
「はいこれで今日は終わりです。明日も面倒くさい案件がた~っぷりありますから覚悟してください。今日終わった分は私の方で次の部署へ廻しておきますので」
「たまらないねほんとに。そうだあれだ!『自分でためこんでおいて「たまらない」とはこれいかに!』ってヤツだ!!」
ドヤ顔のキャサリンを見つめる秘書ガルシアの目は冷たかった。
「・・・おやじギャグ、いえオバさんギャグを言ってる間に帰った方がよいのでは?ご用事がおありでしょう?」
「ガルシアくんキミねえ!こんなピチピチの若奥様をつかまえてオバサンだなんて言ってもいいのかい!?」
「若奥様って、まだ婚約しただけでしょ?それともナニですか、毎晩ピチピチのお勤めで腰がぬけちゃうー、とかそういう新婚特有の本人たち以外に何の興味もないイチャイチャ話を語りたいと?」
やれやれと肩をすくめるガルシアだったが、結局は久しぶりに会えたキャサリンをからかっているだけなのだった。
「いやキミの方がオバさんくさいよきっと。それにそういうのって最近ではって。アレ?ボクもしかして今キミからハラスメント受けてない?」
「あらあら随分ですわ。心も体も寂しそうな上司のグチを聞くのも秘書の役目。職務に忠実なだけですわよ?」
割とシビアなジョークを交わし合っても笑いあう。
二人は互いのツボを知り尽くした旧知の中だ。
「いいよもう帰るから!これ以上話してると自分が恥ずかしくなるからもういい!また明日頼むからね!」
「はいおまかせください。今日の流れを参考に明日まで書類と案件を整えておきますわ」
「よろしく頼むよ・・・あっ、そうだ」
カバンからメガネを取り出してかける。
色の濃いサングラスだ。
「あらどうされましたの?」
「いろいろあってちょっと目の具合がね。疲れてるのか陽射しが強いと辛いんだよ。あとはまかせたよ?」
手をあげて出口へ向かいかけたその一瞬に振り返る。
瞳に魔力を込めて。
キイン。
金属音が響くようなひらめきが頭の中に突き刺さる。
魔眼の発動。
周囲の研究員のステータスをかたっぱしから読み取っていく。
魔眼を使ってひとりひとりのステイタスを確認するのは初めてだけれども、やはり優秀な所員たちだなと思う。ヨシヨシと思いながら全員のステイタスを確認してきづく。
ステイタスのスキル欄にモヤがかかって読み取れない二人。
一人は奥に座っている優秀な研究主任、もうひとりは・・・机で溜まった書類を整理している秘書のガルシア。
"えっ?"
もっと深くまで見ようと魔眼に力をこめようとしたところで、優秀な秘書に自分が立ち止まっていることを気付かれた。
瞬間、キャサリンの魔眼、サングラス越しで隠されたきれいな金色の瞳はいつもの青い瞳へと戻る。
「どうされたんですか?所長」
「さすがに久しぶりですぐ帰るのに気がひけてねー」
「さっさと帰ってダーリンと乳繰り合ってください。いられるとむしろ邪魔です。家族計画はきちんとしていただくと部下としては今後の中期スケジュール作成に助かりますので念のため」
「ば、ば、ば、・・ガルシアのばかやろー!うったえてやるんだからなー!!」
扉を開くと逃げ出すように駆け出した。
ガルシアの良いところはこの歯に衣を着せずにズバズバといってくるところだ。仕事においても日常会話においても。
優秀な部下だったが自分の直属の部下になるとその弁だつと事務能力にも舌を巻いた。
今ではお互いを補完しあう離れられない関係だ。
まだ若いキャサリンに3歳ほど年上のガルシアが組み合わさることで硬軟をまぜあわせた交渉ができるし研究所の運営もまわすことができる。
百戦錬磨の貴族たちや、研究ばかりで周りを顧みない所員たちを統括して切り盛りしてきたのだ。
上司と部下というよりは親友か仲のよい姉妹。
キャサリンはそう信じてきた。
まさか、ね。
奥にいた研究主任は自分が入所したころから世話になった。
研究にも熱心で人当たりもいい。
若い研究者へ惜しげもなく自分の知識を熱心に伝えるので頼りにされている。
そして、キャサリンがメキメキと頭角をあらわし出世していくのを後押ししてくれたのもこの主任だ。
キャサリンの昇進は師団長のキルリスが手をまわしている、と根も葉もない噂話をたてられていた頃。
彼女の実力を皆の前で証明してくれたのはこの主任だった。
自分はキャサリンに職位では抜かれてしまい部下になってしまうのに。
その公明正大さ、人柄、能力、全てにおいて、この研究所には無くてはならない大切なまとめ役だ。
よりによって自分が最も信頼する秘書と開発主任の二人を疑わなければならないとは。
ステイタスには時として見たくないものも表示される。
魔眼の力を強めれば知りたくないこともしってしまう。
まずは帰ってユーリの顔を見よう。
考えるのはそれからにしよう。
 




