第93話 マーサの役目
「それでは出発します。すみませんが、後は・・」
「よいよい。キルリスが戻ってきておる気配がある。問題はない安心して腕を振るって来い」
夜があけマーサは資料を手に馬車に乗り込む。
ギン様の話でもすぐに何かが起こる気配はなく、起こってもキャサリンが対応できるとお墨付きをもらっている。
少々化粧が厚くなったのはしょうがない。
寝落ちてしまったキャサリンとは違い、一晩中ユーリと自分達をとりまく勢力図の分析に明けた。
敵の把握を第一に資料をまとめた。まずは王国軍に報告して対策と援助を求めて。
キルリス邸にとどまる話ではなく西の王国全体の国防に関する話だ。
やりたい放題の東の帝国、手口のしっぽはつかんだのだ。こちらも体制を整えなくてはならない。
王宮の門兵に声をかけるとすぐにガイゼル総司令へと面通りがかなう。
おそらく昨日キルリスが声をかけていたのだろう。
「ベッシリーニ夫人、ご無沙汰しております」
王宮の敷地内にある王国軍の詰所。
ガイゼル司令官は形通りのあいさつを行いながらも事態の重さに覚悟を決める。
キルリスからはいざという時の依頼を受けている。こんな早朝に夫人が直接来るということは悪い知らせであり、いざという時なのは明白なのだった。
「ご無沙汰しておりますわガイゼル総司令。せっかくですので諸々の近況からお話すべきなのでしょうが・・・」
「そういった茶飲み話は私も得意ではありません。本題にはいりましょう、いかがされました?」
キルリスが行う昨夜のミッション自体は国王に同席して話を聞いていた。
ユーリやキルリスの様子を探る輩を追い払うという体裁は単純だけれどもそんなに簡単な話ではない。
王国でその力量を誇示し第二王女を擁護する存在の監視だ。
そして相手がどんな大国であろうと。
こちらには人間の限界を超え神に祝福された魔導士ユーリがついているのだ。
しかも相手はまだユーリの存在がこれほどであると気づいていない。
今回のミッションでは国内貴族たちの勢力分布から列強大国の諜報部隊の実力までもあからさまにしてしまうかもしれない。軍部や外交の在り方にも影響するだろう。
「ミッション自体はおおむね期待通りの結果となりましたわ。今日のうちには全ての情報が揃うでしょう。しかしミッション実行時に問題が発生しております」
冷静を装っているベッシリーニ婦人だが表情の端々に疲労が色濃くでている。
それほどの想定外であればキルリスか、はたまたユーリに想定外の事態であろうか。
「相手の使い魔へ魔力導線をたどる最中にユーリが倒れました。現在意識はなく自分の魔力を司る機能が大きく破損して絶対安静の状態です」
ガイゼルもそういった内容ではないかとは予想した。
しかしまた、自分を圧倒するほどの実力者がそれほどあっさりと倒れたことに驚くのだ。
自分自身は何の誇張もなく人間が達する限界に近い武を手にしているのだから、一蹴できるなら限界を超えている。
「生死にかかわるものですか?」
「一時はそれも危ぶまれましたが現在は落ち着いています。精霊達やキルリスの使い魔が回復に向けて力を貸してくれていますので」
ガイゼルにしてもユーリはこんなことで亡くなってよい存在ではないという思いがある。
自分ですら王国を守る使命が与えられたのだ。
彼にはこの世界に渡る宿命があるに違いない。
「彼はまだ若いのに能力が高すぎる。誰もがあいつに敵わなくても、偶然の神に己の存在を転がされていることを知らない」
歴戦の戦士であったマーサもまた身に染みていることだ。
完璧な作戦、十分な戦力、負けるハズのない相手。
そんな場面であっても神のイタズラがイレギュラーを発生させる。
「おっしゃる通りですわ。現在キルリスは己の使い魔を集めて敵のアジトへ奇襲をかけてる最中です」
開いた口を閉じる間もない。
いい年した魔導士団長までが、まるで若造のように駆け出していくとは。
ユーリの若さにあてられたか血が騒いだのか。
だがそうせざるを得ない状況でもある。
もう少しだけでも情報が欲しい。今手元にあるのは状況が指し示した証拠だけなのだ。
「ヤツらしからぬ軽薄な行動だ。なぜこちらに救援要請をしなかったのですか?ああ、ユーリを守るために動けなかったからですか」
「その通りですわ。先ほど使い魔からの報告でその後に敵の反撃にあってしまい今は撤退中です。もう王都の勢力圏に入っていますからしばらくすれば本人がこちらへ来るでしょう」
「アイツが戻る前にまずはユーリの安全を優先すべきでしょう。小隊をひとつそちらに送るか、またはユーリをこちらに搬送していただくか。キャサリン嬢も立派な魔導士ですが、ベッシリーニ邸は高位魔導士に力が偏り過ぎていますから」
「さてそこで報告なのですが」
マーサは、先ほどまで夜通し分析した敵の勢力図を開いた。
中には国内外からキルリス邸が監視されていた状況が克明に記載されたものだ。
「私どもの邸宅を監視していた使い魔は二十に及びました。その中にはこの王宮の敷地内に二つ、南の王国軍詰所から一つの反応が出ています」
「予想の範囲内ではあるがあたってほしくなかったですね。これではどこに敵がいるかもわからない。軍部の中にも魔導士団の中かもわからない。そんな状況でこちらに搬送はできないということですね?」
「ご理解いただいて助かります」
総司令官がガイゼルであることが幸いした。
頭の固い貴族が頭であれば「伝統ある王国軍の騎士をバカにするな」と恫喝されたかもしれない。
その前にこの資料自体を信じられないだろう。
ユーリがやってきたことの全てを知らなければ、とても信じられるはずがないのだから。
「それと、ひとつお願いがあるのです。ガイゼル司令官のお名前と我がベッシリーニ家の連名で、依頼書を出していただけませんか?手続きは私の方で」
副司令官のジンを中心にした小隊をベッシリーニ邸に派遣することを約束したガイゼルに、マーサはいたずらっぽく微笑んで手をあわせる。
コショコショコショ。
小声で話す必要もないはずだが、ちょっとしたイタズラ心もある。
だが今後の重要なカギになり得る手だ。
ガイゼルはふざけるではなく真面目に対応を約束するのだった。
「いいでしょうすぐに手配してきます。しばらくお待ちいただいても?」
「ええもちろん。その間においしい紅茶で一息つかせていただきますわ」
一通りの分析資料をガイゼルに手渡し、ガイゼルにお願いした書類を受け取る。
帰路にはつかずに別の行先を馬車の行者に指示を出す。
まだ何件も回らなければならない。
「ほんと拳で闘ってる方が楽だわ」
元々は武闘でなりあがってきた侯爵令嬢なハズだが使うのは拳ではなく頭脳と体力。監視してくる無作法な貴族たちをこの拳でぶっとばせればスッキリするのに。
今の自分に与えられた役割を戦うしかない。
やりたい事や得意な事とやらなければならない事は違う。
わかってはいるのだけど。




