第87話 キャサリンの覚悟
「こちら、シリバー・フォックスのギンさん。もう神獣になろうかという森の守り神で昔のワタシの仲間さ」
マーサにギンさんを紹介すると、彼女は丁寧にお辞儀をして挨拶した。
「初めまして主人がお世話になってきましたわ。妻のマーサでございます。以後お見知りおきくださいませ」
ギンさんはじっとマーサのことを見つめていたけど飽きるとプイッと横を向いてしまった。
キルリスは苦笑いしながらもギンさんをユーリの元へと案内する。
「キャサリン、入るよ?」
扉を開けると当然に部屋の様子はさきのままであった。
死人のように白い顔でベットに横たわるユーリ。
ベットサイトに跪いてその手を握り額に押し付けて祈るようにきつく目をつぶるキャサリン。
彼女は涙も声も枯れはて呪文のようにブツブツとユーリの名前を呼び続ける。
その目はユーリしか捉えておらずキルリス達が部屋に張ったことにすら気づいていないようだった。
「この青年かの?しかしまあ随分な部屋じゃなあ」
「そうかい?ワタシの結界は特に厳重に張ってあるけども」
ギンさんはそういうことじゃないとばかりに首をふる。
細めた瞳に映し出されるのはその場に起こっている現象への興味とわずかな恐れ。
「魔力回路の問題じゃろうがこの青年の中で強大な力が体内で暴発し続けておる。巨大な魔力が行き場に迷って不安定過ぎる。強大な魔力の衝撃に吹きとばされそうになったかと思えば神の聖なる魔力にいやされ、そうかと思えば魔力も命の灯も消えてしまいそうに縮小していく、不安定この上なくてハラハラする居心地が悪い場所になっておる」
「そうなのかい?ワタシにはユーリの魔力の灯がとても小さくなっているようにしか感じないけれど」
「うむ。それはな、」
シトシトシト。
肉球が木製の床を静かに歩く音が響くと、聖なるシルバー・フォックスはユーリ愛用の武具を傍から眺めた。
宝剣シザースと伝説の魔法使いから託されたマジックロット。
「エルフ女王と精霊のお力がこの青年を包み込んでおる。これが無ければとっくに黄泉へと旅立っておるかもな」
ビクンッ
大きく肩がゆれてキャサリンは顔をあげた。
魂の奥底から渇望する。
自分がどうすればよいかその手がかりを代償にされるなら何でも差し出してしまいそうになる。
「こちらのロットからも傷を治そうとする力が流れておるがもう魔力が尽きるころじゃな。エルフの魔法と精霊様の力で魔力暴走を抑えてくれておるがこのままでは良くなることはなかろうて」
枯れはてたはずの涙が再びキャサリンのホホを伝い、状況の説明を続けるシルバー・フォックスへと絞り出すように問いかける。
「じゃあ、じゃあボクはどうすればいいの!?ユーリがこのまま消えていっちゃうのを見てることしかできないの!?」
「落ち着くがいいぞ我が主の娘。おぬしはこの神につながる男の妻になろうと望むのではないのか?数奇な定めの中を歩くコヤツはほんの些細な偶然でいつでも道を踏み外してこうなるというのに」
ギンさんは、えいっとベットに飛び乗るとユーリの頭の横で丸くなった。
「ただのヒトであるお主では荷が重かろう。コヤツはワシが面倒を見るからこの者の元から立ち去った方が良いのではないか?」
何の感情も込めずに当たり前のこととしてギンさんはキャサリンへと告げる。
己もまた神へと至る道へ足を踏み出しており、現世と隔絶された世界を覗いた存在としては当然のことであった。
「っ!!!!」
言われたキャサリンは驚きと自分の力のなさに歯を食いしばって拳を握りしめるしかできなかった。
何もできずに泣いて縋っているしかできない自分。
その間にもユーリの命の灯を守ろうと必死に抗う武具たち、自分は気付くことすらできなかった。
なんて弱く不甲斐ない自分自身に絶望するしかない。この場で己の果たす役割もわからない役立たずは自分だけなのだ。
今夜の作戦もユーリがいれば大丈夫だと安心していた。
敵がどんなに強くても、最高位の魔導士であってもユーリに敵うわけがない。
ユーリの力は人の領域を超えているしそれを自分は知っているのだから。
そう思っていた、そう信じていた。
そんな思いはこんなにも簡単に崩された。
言葉を交わす間もなくユーリは倒されたのだ。
そして自分は倒れているユーリの手を握って泣き叫ぶことしかできなかった。
気持ちが底まで落ちていく。
自分が無価値だという思いに染まっていく。
父は聖獣を呼び寄せ母はみんなを守っている。
聖剣も、ロットも、自分の力を尽くしている。
自分ひとりが何もしていない。
何もできない。
でも。
それでも。
「ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ!!ボクは死ぬまでユーリと一緒にいるって誓ったんだ、死んでもユーリと一緒にいるって誓ったんだ!ボクはユーリの傍にいなきゃいけないんだ、こんなところで離ればなれになんてなれるワケがないよ!!」
聖なるシルバー・フォックスは、ふう、と息をついた。
ジャジャ馬な娘に呆れ返ってしまったからには苦笑するしかない。
高みを望もうとするものが道を進むための武器はただひとつ。
断固として譲れない覚悟だ。
「ならばお主はもっと強くなるしかあるまいよ。いばらの道の棘でも笑って踏みつぶせるほどにな」
「ギンさんココをまかせてもいいかい?バットちゃんが敵の位置を掴んでくれた。シッポを掴んでおきたいからワタシは行ってくるけど」
「わたくしも行きますわ。対人戦闘であればむしろ私がいなければ」
いつの間にか、このパーティの司令塔はキルリスからギンさんへと移っている。キルリスに続いてマーサもギンさんへと確認をとっているのだから。
ギンさんはキルリスに頷いてマーサには首をふる。
「アンタはココでお嬢ちゃんとこの屋敷の守りをしてくれるかい?夜があけたらキルリスの名代としてやることもあるだろう」
そうだ。
国王への報告。
魔導士団と王国軍へ事情を説明して救援の要請。
第二王女を守護するユーリが倒れ、王宮全体と魔法学院に結界を張っているキルリスが敵を追跡する。
最強の魔導士と、国を守護する魔導士がふたりとも立場を離れる状態。
キルリスは戦闘になろうが追跡しようとも何が起こってもおかしくない。
この場には襲撃者に対応できる武闘家が必要であり、王宮に援助を求めることができる貴族が必要なのだ。マーサしかいなかった。
「このヒトは大丈夫でしょうか?」
不安が思わず口をついた。マーサの知るキルリスは最強の魔導士に違いはないし、タイマンの戦闘であれば口を出したりしない。しかし相手は東の帝国の軍部かそれとも暗殺者集団であろうか。
敵は人間を殺すプロであり正面切って勝負なぞするはずもない。
出力が弱い相手には強い防御を。手数が少ない相手には人海戦術を。魔術戦闘が得意な相手には罠にはめて近接戦闘を。
彼らの目的は抹殺であり戦闘に勝利することではない。正統派の実力者が翌日には土の下に眠るのだ。
「それなら問題はないであろう。ロボがすぐそばまできておるぞ?ほれ」
キルリスを見上げるシルバー・フォックスの目に懐かしい気配がよぎる。
耳をすますと・・・遠くに狼の遠吠えが聞こえた。
「やっぱりきてくれたかそれなら百人力だ!東のヤツラに手出しなんかさせないから安心してくれ、マーサさんは私が朝まで戻らなければ資料をガイゼル司令官に渡してく必要な応援を依頼してくれ!」
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