第74話 前世のこと
俺は久しぶりに心の中でアイツによびかけた。
神様の御使いナビゲーター。
「なあ?」
『どうしました?今はイイところなのでは?』
「俺、前世のこととか話していいのかな?」
『私の回答は変わりませんよ。あなた次第です』
「それでいいのか?そういうのペラペラしゃべるなとか神さまと会った話はするなとか」
『あなたの人生ですからお好きになさい。考えた通りに』
「でもよ?俺めちゃくちゃ怖いんだよもう以前と違って。何でもないヤツラからどう思れたって関係ねえけど、このひと達から手が離れちまったらどうしていいかわからねえんだよ」
前世の俺と変わっちゃいない。何の成長もしてない。
失うのが怖い。
希望も夢も。
だから。
すぐに消えて無くなるのなら初めからない方がマシだ。
これまで一度だって手元に希望が残ったことなんてないのだから。
期待すればするほど後でどん底へと叩き落される。
俺なんかが持っちゃいけないものだと思い知らされる。
『こいつらも人間ですから。そういうことだってあるかもしれませんね』
「だけど知ってほしいって思っちゃったんだよ」
『そうですね。あなたの人生ですから考えた通りにやってみるしかないでしょう』
「冷てえな?でも変わらねえから信じられる」
俺がどうであってもコイツは変わらない。
形だけのことは言わないし俺を思いやってなぐさめる気はサラサラない。
だから変わらない。
『珍しいことを言われましたね。ではひとつだけ』
「そっちこそ珍しいな?どうしたらいいかアドバイスか?」
『そんなことするわけないでしょう。わたしはただあなたをナビゲートしているだけなのですから。ですから』
「ああ」
『この人間達に裏切られて絶望しようとも、あなたが全てを捨てて別の場所で生きようとも。ナビゲートする私はともにあるということです』
こいつなりに。
気を使ってる、のじゃないな。変わらずに俺を「ナビゲート」してくれている。
「・・・そうだな。なにがあっても俺は一人じゃないよな」
『神の御使いであるワタシが人としての数に入るとは思えませんが』
「お前でも冗談いうことがあるんだな。ありがとよ」
『さあ、戻りなさいよ。下々の人間のやりとりなんて興味がないと何度も言ったでしょう。ほんとうに何時になったら憶えるんでしょうねあなたは』
ほんの一瞬のやりとりの後。
おれは目の前にいる人たちへと向き直った。
「俺の前世では母親ってみたことないんだ。最初からいなかったんだ」
キルリスはなんでもない顔をしてそれまで通りにワインを飲んでいる。
マーサさんは、かわらずに俺の方を向いて話を聞いてくれている。
キャサリンだけは前世って言葉を口にしたときに息がつまったようだったけど、そのまま俺に重ねた手をギュッと握ってくれた。
「父親と呼んでいいのかわからない俺は心の中ではクズってだけ呼んでた。部屋に住んでいるのは俺だけでたまにそのクズ野郎が帰ってきて酒を飲んで。俺を蹴って殴って気が晴れたら出ていった。親子の会話なんてしたことなかったし生きていくために必要なものは何も与えられなかった。金がなくて、食い物もなくて、助けを求める相手もいなかった。服だってビリビリに破れていたし、風呂はドブ川で水浴びしてた」
横にいるキャサリンをみると、両手でギュウギュウと俺の手を握りしめて下をむいてた。
マーサさんは変わらずに俺を見つめててくれて、キルリスは目だけがやさしくて俺の話を促してるみたいだった。
「周りからするとアイツは何かとナンクセつけて金をたかる迷惑なクズに違いなかったし誰も相手にしてなかった。俺はそんな危ないヤツの子供で、目つきも悪かったし、汚いし、臭いし、暴力を浴びてアザだらけ。だから通っていた学校ではいつもクラスの輪からは弾かれてた。もし今の学院のクラスにひとりだけ目つきの悪いスラムのガキが混じっていたらそれが俺みたいなものだ。他の生徒からも、教師からも、街の公僕も、どんなやつらだって俺と関係したくなかったし、話かけてくるヤツなんていなかった。俺はすみっこで誰とも話すこともなくて腹をすかせて一人で過ごしていた」
もう昔のこと。誰とも話さずに。
あの頃はそんなもんだとうそぶいていたけど。
今ならわかる。そんな俺は誰とも縁を結ぶことなんてできなかった。
「何か問題が起これば教師は真っ先に俺を疑ったし、俺を裸にして吊るしあげた。同級生には集団で罪をなしつけられた。自分たちがやったことでも、全てを俺になすりつければ、教師も、あいつらの親も、大人たちはみんな納得した。家にかえればクズに殴られて蹴られて、休みの日は食うものがなくて腹を抱えてうずくまってた。いつあのクズ親が戻ってくるかと怯える最悪の毎日だった」
心が締め付けられる。
何もかも諦めて生きていた俺なのに、アイツが部屋にいるとわかった時に襲ってくる絶望。
俺の心を握りつぶして粉々にしようとするどす黒い力。
泣いても叫んでも止まない力に生き残ろうとする気持ちだけで抵抗するしかない時間。
「結局俺は部屋でぶん殴られたときに、当たり所が悪くて死んだみたいだ。前の世界の神が生まれたことを祝う日に。俺は十年もの時間を血のつながったクズに殴られ続けて、殴られた痛みと空腹を抱えて、俺を見る白い目と、いつ大人が、集団が俺に何かを押し付けてくるか怯えながら、今日、明日、どうやって生き抜くかしか考えてなかった。世の中の誰ともロクな会話なんてないし誰も俺の言うことを聞くやつなんていなかった。俺がいくら悪くない、間違ってないといっても俺のせいになったし、やめてくれと言って止んだ暴力は一度もなかった。おれは最後には他人との会話をあきらめていたし、どうやったら死なないように殴られるかしか考えてなかったし、今日はどこで残飯をあさるかしか考えてなかった」
「だから話長くなって申し訳なかったけど。アイツ、姫さんは、初めてあった日から俺を友達だって勝手に話しかけてきて。闇魔法で心が壊されかけてたけど平気な顔をして必死に耐えて耐えて、死んじまう前に俺を頼ってきたんだ。平気な顔して必死なガキが壊されるのも、俺なんかを友達だって頼ってきたヤツも放っとけるワケがない。やってるのが力をもってる大人で、やられてるのはなんの抵抗もできないガキなんだから。俺が見てみないフリなんてできるわけがない、放っとけるワケがない」
俺は同じ言葉を繰り返した。
でもそうなんだ。
ほっとけるワケがない。
「これを放っておいたら、前世の俺を、死にそうな俺を放っておくのと一緒だろ?言ってることわかってもらえるかわかんねえし俺は死んじまったけど。だから、なんって言えばいいかわかんねえけど、姫さんだからとか、王族だからとか関係ないんだ。目の前で以前の俺が殺されないように、今の俺は勝手に体が動いちまう。だから国のためとかそんなキレーな話じゃないんだよ。俺がやったのは」
俺は震える手で頭をかいた。
「口が悪いのも、目つきが悪いのも、態度がでかいのも言うこと聞かないのも、全部前からなんだ。俺の魂は前世からきたモノで貴族の家柄なんかじゃない。だから問題しか起こさないしキルリスにも迷惑かけちまってる。最初からこっちの世界の人間だったのなら、俺は一番貧しいスラムのガキに生まれてバカな親に殴られ続けて死んだだけなんだ。ホントは貴族の娘さんと結婚できるような人間じゃないんだ」
ちょっと気が昂っちまったようだった。
思わず立ち上がってしまってた。
やっちまった感で気持ちの温度が下がったけど俺はナニ言ってたんだ。
自己憐憫?
卑下?
俺は自分が哀れな人間だと必死に相手に伝えようとしているのか?
そんなんじゃなくて。
この人たちに誤解されたくないだけだったのに。
迷惑かけたくないだけなのに。
キャサリンに手を握られて引っ張られて。そのまんまストン、と腰が落ちた。
「ユーリはボクと一緒になりたくないの?」
「なりたい。ずっと一緒にいたい」
「でもそんな人間じゃないって思ってるの?」
「俺はこんなにあったかい場所にいていい人間じゃない、いられるような高級な人間じゃないんだきっと。俺がいることでこの場所が壊れるのはイヤなんだ。こんなに今が幸せなのに俺のせいでなくなってしまったらもうどうすればいいかわからない」
「今のキミはすごく強くていろんな人に信頼されて好かれているんだよ?キミは自分を誇っていいんだよ?」
「わからない。そんなこと感じたことないからわからない。それより明日誰からも相手にされなくなって、食べるものもなくなって道端で死にそうになるのが怖い」
頭を抱えてうずくまる俺の上にキャサリンが力強く覆いかぶさってくれた。
まるで俺を守るみたいに。
「じゃあもうキミはずーーーーーーっとボクの傍にいるしかないよ。そしたら誰も相手にしなくってもボクが相手だし、お腹がへったらボクがおいしいごはんを作るから。キミが自分を誇れないのだったら、ボクがまわりにキミを自慢しちゃうからそれを見てればいいよ。キミが自分を信じられなくても大丈夫だよ、ボクがキミを信じてるから。だからさ」
「ああ」
「ボクと結婚できるような人間じゃないなんて言わないでよ。キミがこの数日でやったことだけでも、キミがすごくて、ボクの方からお嫁に貰ってくださいってお願いしなきゃいけないんだから。キミにそんな風に言われちゃうとボクはどうしていいかわかんなくなっちゃうから。ボクを困らせないで?」
「・・・うん。困らせない」
「それでいいんだよ正解だよ?ボクの愛しい旦那様」
「俺はもう、ひとりになりたくない。なれない。キャサリンが死んだら俺は生きていけない」
「そんなのあたりまえさ、こんなにいい女なんだからね!ボクみたいにユーリのことばっかり考えて、面倒くさくって、しがみついてでもユーリを離さないヒトは他にいないから。もう貰い得なんだから絶対に離しちゃダメだよ」
「うん。ずっと一緒」
「そうだよ、ずっと一緒だよ」
俺達はその場をおいとまして、キャサリンの部屋に戻った。
キャサリンがずっと俺の手をひっぱってくれた。
ベットの上でキャサリンは何も言わずに俺の頭を膝にのっけて撫でてくれた。
ずっとずっと撫でてくれてて、ちょっとだけ飲んだお酒のせいもあったかもだけど、いつの間にか俺は安心して眠ってしまっていた。




