第73話 パパ
30分後のこと。
俺はマーサさんに抱きしめられて大きな胸にギュムリと顔が包まれていた。
「もういいのよね、私の息子でいいのよね!?」
あったかくて柔らかくて抱擁力があって。包まれた幸せ感すごいけど息が、息が。
「そうだよ、でもダメだよお母さん!ユーリを包むのはボクの胸って決まったんだから!」
ペリッとマーサさんからひっぺがされてキャサリンの胸に抱きしめられた。
ポヨン。
うん。
俺の大好きな大切な感触。
いつもの感じで落ち着けて、でもドキドキして。今すぐでもギュウギュウ抱きしめたくなる。
俺の手が強く握られて耳元に小声でささやかれると、もうキャサリンの声が体の奥まで響いてしまう。
「あとでだよ。ボクだって」
胸の奥がジンジン響いて頭がシビれて、もう全ての精神力を使い果たして平気な顔した。
「うん。大好きだ」
俺も耳元で囁いてふたりで手を離した。
「もう、あんたたちったら!早く二人だけになりたかったら、私達にもきちんと話してちょうだいっ!」
マーサさんも赤くなっちゃって俺達のラブラブに照れてた。
でもしょうがねえじゃんもう。
「俺達は結婚します。ずっと一緒です」
宣言するとキャサリンが手をギュウっと力強く握ってくれた。
離さないから大丈夫だよ。
「よかったわ。私もこの人もこんな日がくるのを、ってアラ?」
珍しいマーサさんの驚きの声がしたその声の先には。
愛する娘に喜ばれて感謝されるかと思ったら殴られ、やっと回復してもらってそのまま離れたソファで一人ワインをすする廃人の大人がいた。
「これから俺も大変なんだぞお。こいつがしでかした問題も解決してかなきゃならんし、エストラントさんとことも話つけとかなきゃならんし。王様になんって言うんだよお姫さんにあんな気をもたせるふりしやがって。だいたいこいつは初めて会った日から俺を殺そうとするし、こっちは誠意で話してるってのによ」
やさぐれた大人が一人。
ブツブツつぶやき続けて傍によるのは面倒くさそうだ。
朝の朝食をつまみに朝酒で悪酔いしてるなんてなっちゃいけない大人だし。
るーるるるーとか小声が聞こえるのもきっと聞いちゃいけない。
来い、こっちに来い。
キルリスと目が合うと、こっちこいって手のひらで招かれた。
たった今ふれちゃいけないもの認定したバッカリなんだけど。
それでも今日の流れはチョビットこいつに申しわけないというか、男としては可哀そうっていうか。
「行ってあげて?」
マーサさんもさすがにそう思ったらしい。
「キャサリンもいく?」
「もうしょうがないなあ」
マーサさんがワイングラスを3つもって女中さんに指示だしてる。
いつの間にかソフアの前のテーブルには、チーズやベーコンなどの軽いつまみとワインが揃えられた。
仕事が早いっ!
「じゃあ二人の婚約に乾杯」
4人でカチンッとグラスをあわせた。
朝からワインもオメデタイからいいの?
朝日の光でグラスを泳ぐワインがキラキラしてきれいだった。
「エストラント侯爵は俺から話しておく。キャサリンをおまえの家庭教師に付けることが決まった時から、ゆくゆくはこうなるといいような話をしていたからな。侯爵家同士で爵位のバランスも取れているし、二人は以前から家庭教師と生徒の子弟関係で仲がいいのも知れ渡っている」
「ああ、あんたがいってた・・・ん?あんた?」
おれってキルリスのことをこれからどう呼べばいいんだ?
お父さま?お父上か?お義父さん?親父?
どれもしっくりこない。おれにとって父親とか親父とかって言葉は全自動で『最低のクズ野郎』って意味に置き換えられる。殴り潰したい怒りが湧く存在を連想させるから。
さんざんやり合っているけど俺とキルリスはそんな関係じゃない。
呼び名に困ってる俺にニヤつくキルリスは質が悪い。
こんにゃろうめ。
「好きに呼べばいいさ、ユーリ・く・ん?もちろん対外的な時はきちんと頼むぞ?」
「あ、ああ。うーん?」
思いついた。
「じゃあさ、パパ?」
チーン。
朝日が輝く木漏れ日の中を静寂が支配した。
軽くワインでテンション上がってるし、絶対に俺のタイプじゃない呼び方といえばこれしかないだろ?
前世から今まで、誰かをパパなんて呼んだことない。ママもないけど。
これはキルリスの呼び方みたいなもので意味なんてないし、なのに呼ぶたびにコイツへダメージを与えられ名文句なんだからコレしかない。
「パッ・・・」
絶句するほどイヤらしい。
ふたつの人生で初のパパ呼びだから全然ピンとこないけど逆にそれが楽というか。
「パパが言ってたあの(おいなんだか絶望して下向くなよ)学院の中での関係みたいなのはどうしていけばいいんだ?」
こんなタメ口でパパ呼びするヤツなんていないと思う。俺は知らないけど。
「そこはうまくやるしかない。おまえにも一肌脱いでもらうぞ」
「そりゃかまわねえけど」
「まずはいくつかの講義で助手をしてくれ。王国軍の指南役もマメに顔だしておけよ。冒険者活動もそこそこには」
マーサさんがニッコニコしてる。
「私とユーリは、『私の息子ユーリ』とはもうバディだもの。ガンガンやっていくわよね?」
ウィンクのハートマークが飛んできたからパックリ食べてやった。
「ダメだよユーリ食べちゃ!お腹壊すから、ほら、ペッだよ、ペッ!」
「あら失礼ね。母から息子への愛情だもの正しい愛だわ」
「なんだかお母さんからユーリを守んなきゃいけない気がしてきたよボク」
キャッキャとやりあう母娘を眺めながらキルリスがボソボソしゃべる。
「わかるか?」
「だいたい。俺の立場的にまだ学生だけど実際は一人前でキャサリンと対等って感じに見せればいいんだろ?」
「そういうことだ。一人前同士の大人が好き合って婚約するなら誰も文句いえないだろ?エストラントさんと口裏あわせて入学前からそういう話に決めてたって発表すればいいし、先日の模範試合なんかもそのうち噂になる。このタイミングになったのはおまえが立派に一人前として認められたからだって流れに操作しておくから」
「なんだか手間かけるな?」
「おまえほんとにそう思ってるか?絶対わかってないだろうけどな。それでおまえはな」
俺のやることか?
「王女と自分のご両親にはお前からも伝えろよ?」
そうだよな。
悩ましいがこれは俺の問題だ。
キルリスは俺の両親と面倒くさい話をやってくれるのだから自分の話はきちんとしないと。
「王様たちは何か言うかな?」
「そっちは大丈夫だろう。もともと陛下のお気持ちはおまえが王女を救ったことに対する感謝だし、これは口に出すと不敬になるだろうけど「娘の初恋」を見守ってる父親の顔だ。王女は他国の王族に嫁ぐか、女王になれたなら他国の王子を迎えるのがセオリーだから既定路線に戻ることに文句を言ったりはしないだろう」
ひとつ安心できた。
けどもっと悩ましいことがある。
「俺ってどんな顔して姫さんに伝えればいいの?」
「知らん知らん男だったら自分のまいた種は自分でかりとれ!俺だって王女様に惚れられたことなんてないからな!」
あきれ顔で俺に放り投げるキルリスにマーサさんが肩をよせた。
「あなた随分おもてになってるようにおっしゃいますね?私の知らないことがいろいろとあったのかしら?」
「い、いや、そうじゃないんだマーサ。わたしは責任の取り方をね?」
「でも愛しい愛しい私の息子ユーリ、あなたは随分優しいのかしら?それともすごく友達想い?それとも王女様に恋慕する気持ちや取り入って権力を持ちたい気持ちなんてあったのかしら?」
最後のことはそう見るヤツもいるよなぁ。
貴族社会では当たり前のことだろうし、王女様に近づくヤツラに下心が全くないなんて有りえない。自分になくても周りの家族は王女とつながりができることを期待するに違いないから。
「別にどれでもいいの。ただキャサリンと一緒になって後から後悔されると私も悲しいから」
ちょっとお酒も入って。慣れてないから腹とかポッポするけど。
キャサリンに悲しい思いをさせないように。
この人たちに後で嫌な誤解が生まれないようにしたい。
「大丈夫ですから安心してください。俺にはこの人しかいないんですキャサリンハハ」
ぼそり、と言ったつもりでも、キャサリンハハは見逃してもらえなかった。
「ちょっと違うわね。私はキャサリンユーリハハよ。わかってないみたいだからやっぱり母上様って呼んでもらおうかしら?」
みんな朝から少しだけお酒が入って、あったかくって楽しいな。
きっとお酒ってこういうもんだ。
前世のクソ野郎が飲んでたアレじゃない。あんな人を傷つけるための道具じゃない。
あの頃には、寒さとか、ひもじさとか、なぐられた痛さとか、孤独とか。心の中にはそんな暗くて冷たくいものしかなかったのに。
今の俺には、愛してくれたり、見守ってくれたり。
すぐ先には悪いことがいっぱい待ってるかもしれなくても、今は明るくてあったかいものが詰まってる。
ひとごとみたいに自分を眺めてる自分がいるのだけど。
でも、でもよ。
良かったよな俺。
なぜだかハッキリ言葉にならないけど涙があふれて流れてた。
キルリスとマーサさんには悪いけど、ちょっとだけ、キャサリンの肩に俺の肩を摺り寄せた。
なんだかもっとあったかさを感じたくなって。
「どうしたのさ?ユーリ」
キャサリンは両親の前でもかまわずに俺の頭をやさしく抱きしめてくれた。
「なんだか、あったかくて、うれしいよ」
「そうかい?これからもずっとそうだよ?」
「あらあら」
「おやおや」
マーサさんは台所へキルリスはワインセラーへ。
わざとらしく腰を浮かせて話は中座した。
キャサリンのあったかさも。マーサさんやキルリスの気遣いも。
嬉しいことばかりで。
この人たちに秘密を持っていたくないって思ったんだ。
黙っていることで誤解されたくない。
知って欲しいって思ってしまう。
「聞いてくれる?今までの俺のこと」
前世のこと。
俺の手がちょっと震えたけど。キャサリンが上から手を重ねてくれたから、恰好悪いところを見られずにすんだ。
俺は怖いんだ。
「無理しなくていいんだよ?」
「ううん違うんだ。聞いて欲しいんだ。キャサリンに。マーサさんにも、キルリスにも」
大切な人たちに誤解されたくないから。
知って欲しいから。




