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第6話 生きて見たもの

物心ついた時にはもう母親がいなかった。

兄弟もいない。

もしかしたら母親が連れて逃げたのかもしれないけど。会ったこともない、記憶にもない。分らないのだから考えてもしょうがない。


憶えているのは汚くてせまい部屋とそこに一人でいる自分。

ヨレヨレの服を着崩した無精ひげの男がたまに帰ってきては、俺が受け取った宅配荷物をひっつかんで出ていく。

まず間違いなく酔っ払っていて機嫌が悪い。出ていく前には気のすむまで俺を殴る。


父親。


たまに頭の悪そうな女を連れ込んできては俺を追い出す。

滅多に帰ってくることはないコイツが普段何をしているのか興味ないし知りたくない。

受け取る小包は箱に入ってるくせに中身の重さなんてまったく感じない程軽かったり。逆に金属でも入ってるんじゃないかって程重かったりした。それが何であっても興味はない。受け取って渡すだけ。

俺がメシを漁りに出かけて荷物を受け取れずにいる、そんな日にヤツが来ると死ぬんじゃないかってくらい蹴られ続けた。


俺の役割は体のいい荷物受取係でこの部屋はそんな場所でしかない。

こいつに親らしい何かしてもらった記憶も、生活するために必要な何かをもらったこともない。


金がない。

メシもない。替えの服も無い。

お湯も出ない。電気もない。

拾ってきた煎餅布団だけが部屋の隅。

こいつは俺が死んじまっても気にもしない。死んでいいと考えてる。


俺が生きていられたのはこの何もない場所で寝ることができて、学校で給食が食えたからだ。

このクズが俺の給食費を払っているとはとても思えない。でも食えた。


何度か収容された養護施設、たまに世話焼きのおっさんおばさんがくれる食い物少し。

でもこの部屋に戻ってきたら、何かもらったら、そんなことがバレた後には見た目に痣が残らないように陰湿に、何倍も殴られた。

とにかくこの場所の荷物受取係がいないと困るくせに俺なんかさっさと死ねと思っている。


たまに誰か他人が半端に手を差し出してくれる。でもそんな手を取ろうとすると結局は痛みが何倍にもなって還ってきた。ほんの一瞬だけ持たされた希望にもっと深い絶望へと叩き落された。

この暴力から、この空腹から解放される希望は死ぬまで敵わないと刷り込まれた。

ほんのわずかな時間を逃がれられても、すぐにこの場所に引き戻された。

何度も何度も砕かれる希望なんて持っていられない。

持つ方がつらいから最初から持たない。


俺に希望をくれるフリをするな。最初から手を出すな。

感情のない笑顔を顔に貼り付けたジジイもババアも、何本もタバコを押し付けられた痣が残ることもない、髪を掴まれて気を失うまで水風呂に頭をつっこまれることもない。


そんな俺に学校で寄って来るヤツなんていない。

嫌われ者?多分そんな上等なものじゃなくて、あちら側からは絶対に近づきたくないヤツ。

存在自体に心の底から嫌悪している。ヤツらからすると俺はまるで汚物な何か。

きれいな教室、きれいな服着た仲良しこよし。

その場所にひとつ、異臭を発する汚いゴミクズ。

俺だ。


席替えで俺の横になった女は泣く。

毎回。

泣いたフリじゃなくて周りの教室に響き渡るくらい泣く。

恥もナンもない。本気でギャン泣きする。

それは結局俺の席が一番後ろひとり離れた席に決まるまで続く。

俺の席は学年がかわろうがいつも定位置に決まっている。

こうなるなら俺の席は最初からココだって言ってくれた方が楽だと思う。そうしないのは教師という人種のあざとくクソッタレな見栄でしかない。

教師はすまなそうな顔をするヤツもいれば偉そうなヤツもいた。

下品な教師の顔に自業自得と書いてあるけどそんなの知らない。

このクソ教師はさっさと死ねばいい。


ガリガリにやせていて体中痣だらけ、臭くていつも同じ服を着て目つきが悪い。


メシが食えるのは学校の給食だけ。親父が帰るたびに殴られ続けて風呂も無い替えの服も下着もない。


他人のゴミの中に食い物や服が見えたらコッソリ開ける。

うちから出るゴミはない。

ゴミの日は捨てる日じゃなく拾う日。

どうしようもなく自分が臭くなったら、誰もいなくなった日暮れの公園でシャツを脱いで水につけて体を拭く。

そのまま服を脱いで一式水洗いする。

冬はなかなかできない。

空腹をかかえて誰もいない部屋で眠れずに過ごす。


あの日、クラスの女が叫びだした。

財布が無い。クラスの皆がこっちを見たが俺が知るわけはない。

誰がいくら持ってるかなんて俺には蚊帳の外だったし盗みなんてしようものならクソ親父から死ぬまで殴られけられる。

あいつは撲る理由ができようものなら嬉々として殴り続ける。そして恥をかくのが死ぬほど嫌いだ。

頭の中でネジがハズれている。


理由なんてなくても殴るくせに理由があれば「折檻」「教育」とかワケわかんねえこと叫びながらいつもの何倍も延々と暴力は続く。

だから俺はクラスのヤツラとはかかわりあいになんてなりたくない、こいつらの財布がどうなろうと知ったこっちゃない。殴られて殺されそうになるより空腹で残飯あさる方がマシだから。


知らんぷりを続けていると、俺は教師に胸倉をつかまれて別室に引きずられた。


待てって。

やめろこの野郎。

おかしなことになったら俺が親父からまた半殺しにされるから、そんなこと俺がするわけがない。

これまでは運よく死んでないだけで、今度は死ぬかもしれないから。


今年の担任は俺のことを嫌っている。

悪いのは俺でこうなったのは自業自得。

別にこいつが俺をどう思っても関係ないけど俺を引きずるなふざけんなよお前。

服が破れて顔にスリ傷がついた。これ以上やられたらあのクソにごまかしようがない。

止めさせようとぶん殴ろうとしたら、大勢の教師たちに体を押さえつけられた。

俺のことを嫌いな担任は偶然のフリをして俺の顔面を踏みつけた。

汚ねえ靴底が俺の目に焼き付いた。


俺が大人だったら。


俺は何人かの教師に下着までムカれた。

財布が出てくるまで。

当然何も出るわけがない。

大人の力で押さえつけられ引きちぎられ、さらにボロボロになったシャツでトボトボと家に帰った。


「何だおめえ、その傷と服?」


今日はいてほしくなかった親父が、酔っ払っている赤ら顔で聞いてきた。

押さえつけられて顔を床にこすったせいで、顔にスリ傷ができて血が滲んでいた。

教師達は俺がやったという決めつけの証拠が見つからないと、そのままほっぽり出した。


黙っている俺に、勢いがついているクソ親父の癇癪が切れた。

「おい、俺が聞いてんのに無視すんのか?」

何発もビンタを張られ、口から血が滲んだ。

下手に隠して死にたくない。

俺は今日あったことを説明した。


「あぁそうかよ。じゃあよ」


バンッ、と足の裏で正面から胸を強く蹴られた俺は、後ろに吹っ飛んだ。


胸に激しく圧がかかったせいで息ができずに、四つん這いで必死に空気を取り込もうとする。

胸が焼けるように熱くて、ひゅー、ひゅー、と肺が悲鳴をあげる。涙が勝手にボダボタとこぼれた。


「今のもう一回説明してくれるか」


親父はスマホを構えて動画を撮りながら俺に宣告した。


「ほらやれ、もう一回だ」


涙を流しながら冤罪を親に説明する小学生の図だ。


教師という大人から振るわれた暴力、クラス全体を巻き込んだイジメ体質。

親父は嬉々として学校に乗り込み、何とか委員会に乗り込んだらしい。

可愛い息子が冤罪を着せられ大人から暴力を振るわれクラスでイジメを受けた。


後日見たことがない大人たちから事情を聴かれた。


希望も何も持つことがない俺にしゃべることなんてない。

聞かれたとおりに、教師のこと、クラスのこと、事実だけをしゃべった。

ほとんど頷けばいいだけだったけれども。


財布を取られたと主張したガキは、その日友達連中と買い物に行くはずが財布を忘れたらしい。

まわりに言えずに、財布が無くなったと言ってこっちを見た、それだけだ。

俺のせいにしたわけじゃないと必死で言い訳をしていた。


うそつけ。

そんなバカみたいな話で俺が教師から集団からリンチを受けてもコイツらは気にもしない。

コイツらにとって俺は教師公認で何をしても許されるクズにしか思われていない。


大人の暴力に集団の圧力。

歯向かっても圧倒的な力の差がそれを許さない。

俺にはどつかれ小突かれ嘲笑を浴び、地べたに這いつくばることしか許されていない。


その件でクソ親父はさんざんタカってまわったらしい。

小金を持って女のところをまわって数カ月も帰ってこなかった。

おかげで俺はクラスで「どう扱っても許されるクズ」から「絶対に関わっちゃいけないクズ」に格上げされた。

教師達も俺に何も言わなくなった。

楽でいい。

俺はメシを食いに来てるだけ。


それから数カ月後。

クリスマス・イブ。


商店街の裏道を漁った残飯もその日は豪華だった。

他のやつらは自分の幸せで忙しい。浮かれた雰囲気のおかげで残飯を漁るのに都合がよかった。

少しだけ満ちた腹を抱えて、今日は空腹と戦わずに眠ることができると安堵したのに。


ガチャリと開いた扉から現れた親父はいつにも増して狂った目をしていて、正体を無くすほどひどく酔っ払っていた。


聖なる神の誕生を祝う日。


俺の死んだ日。


白く輝く視界の中で俺が最後に思ったのは


神様なんて絶対にいない。


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