第5話 俺が死んだ日
学校から帰ってオンボロアパート2階の自室を見上げると、窓が少し開いてタバコの煙が隙間から昇っていた。
アイツがいる。
気づいた俺の心は恐怖と嫌悪感でギュウと締め付けられて息もできなくなる。
今日はハズレの日だ。
死なないことだけ。アイツがいなくなるまでの時間生きていることだけを手放さないように。
やることを決めて折れそうになりそうな心を奮い立たせて階段を上る。
久しぶりのたった一人の肉親の顔には、いつも通り狂気と怒りが貼りついていた。
この部屋に寄ることなんてせいぜい月に1回ほどだけど、それでもたまに用事を果たしにやってくる。
そのたびに俺の心の奥底が冷たいものに握り潰されそうになる。
「何だその生意気な目は」
部屋の端で膝を折りたたんで座る。息を殺す。空気になりたい。いないことにしてほしい。
そう思ってジッとしていてもわざわざちょっかいかけてくる。
俺の目つきが悪いのは生まれつきだしそれは父親であるオマエ譲りだ。
いつもの流れでこの鬼面の狂った肉親は俺の髪をひっつかみ立たせる。
目をそらしたら負けだ。
「何かあんのかっていってんだよっ!」
狂ってる。
視点が左右違う場所をウロウロしている。
血走って濁った目、ヤニで黄色くなった歯、酒臭い息。
理由なんてない。
コイツは自分で気にいらないから俺を殴りとばす。蹴りあげる。
自分が社会のクズであることをごまかすために。
誰でもいいんだ、けどコイツが殴っても大丈夫な相手が俺だけだから。
クズにできるのは自分より弱い存在を痛めつけることだけだ。
ガンッ
石の塊のような拳骨で殴られ頭の中が真っ白になる。その後にすぐにもう一度、頭の反対側が強い衝撃がはじけて。
吹っ飛ばされて固い衝撃。頭から突っ込んだ。
台所のシンクに頭から突っ込んだのは見えていなくても感覚でわかる。
何百回?何千回?何万回?
もの心ついた頃から撲ら続けた。
撲られ、蹴られ、ぶん投げられ、瓶や物でぶっ叩かれて、そのたびに吹っ飛ぶ俺がいる。そこら中の壁がへこんで、たわんで、血の跡が残っている。
今の半分の背丈の頃から、泣こうが叫ぼうが止めてくれはしなかった。
叫ぶ声が外に聞こえるのがイヤなのか、そんな声を聞くと更にぶん殴られた。
嬉々として。
そんな時のコイツの目は完全にイッちまったヤツの目だ。
許しを請うたり情けを求めたりするのは無駄だとすぐに諦めがついた。
なんとか俺が死なないようにこの嵐が終わるまで生き残るかだけだ。
いつものこと。
今日も俺はこのクソ男に殴られ、吹っ飛ばされ、部屋のどこかにぶつかり倒れている。
いつもと違ったのは飛びかけた意識で頭をかばい損ねた。そのせいで違う角度の衝撃が側頭部に当たったことだった。
白い世界が、チカチカする。
意識の横の方から、温かいものがドロドロと出ていく感触がする。
目を開けて周りを見渡したいのに、真っ白で何も見えない。
・・・からだを縮めて守らないないと。
体を丸めないと、両腕で頭を守らないと死んじまうから。
でも俺は今の自分がどんな姿勢をしているのかわからないのだから。どうすればいいのか誰か教えてよ。
手も足もどこにあるのか、どうなっているのか感覚がない。
真っ白でチカチカして何も見えない。
さっきまでゴウゴウとひどい音が耳に響いたけど、それも気にならなくなった。
ああ、今日は死ぬかな。
佐伯裕理 享年12歳