第37話 教授への報告
「ラノック教授?随分とお茶目が過ぎますよ」
翌日俺はラノック教授の部屋を訪問した。
ジトリと教授を睨むとイタズラがばれたような顔でハハハと笑われたけど。
しわ深い老紳士のチャーミングな微笑みを見せられるとコッチも笑うしかない。
「どうだった?面白い出会いがあったかい?」
「貧民街の生活環境は最悪ですね。疾病が流行するならまずアソコからでしょう。それに犯罪者の製造機です。あやうく刺されるところでしたよ」
教授は一瞬心配な顔したけど、俺が全然大丈夫と手をふると安心したようだ。
「そうだな、あそこはひどいな。それで?」
アレ?
なんだか教授へ伝えれば王様へのつながりで何かが起こると思ったんだけどな。
俺は必死に頭をひねって昨日感じたことをまとめていく。
「先のことまで考える余裕のなさ。今日生きることしか考えられない危うさです。将来を考えて職をさがしたり、勉強したりする余裕もない。目の前の金と食い物しか見えてない。それに比べれば教会の孤児院はまだマシでした」
前世の俺より食い物があるだけマシなのか?
ほんのわずかなチャンスがあるだけマシかも知れないけど。
ちょっとしたケガでも、何かの事故に巻き込まれても、それでジエンドだ。
そんな誰にでも起こる不運と、宝くじが当たるくらいの幸運とを天秤にかけて人生を試さなきゃならない。
何も可能性がないよりは希望があるだけマシといえばマシだ。
でも死んでいないだけ、生きて働いて自分で金稼げればマシでいいのか?わからない。
前世の俺はそこまで生きてない。
「孤児院はどうだった?あそこのシスターは老齢だけどしっかりした人だったろ?」
俺が話に詰まってるように思われたのか。
教授が話の糸口をさりげなくふってくれたのがわかった。
「貧民街に比べればかすかな希望があるのは確かですけど十分ではないです。あと金が足りてないです」
「ああ、あの教会はまだボロボロのままかい?見栄えが悪いと人が入りづらくなるからよくないんだ。悪いスパイラルに入ってしまうから」
ラノック教授も前王の片腕だった超高位の貴族なのに。
あの教会に行ったことがあるんだ。
やはりというかこの人らしい。
「私でできるところは直してきましたけど。これでも土魔法が使えるので」
「そうだったねありがとう。でも、そこからどうすればいいかな?一部の貴族や有志が援助しているからカツカツ運営できているのだけれども、このままじゃあ未来が見えてこないね」
それを聞いて驚いた。
少しでも援助してる貴族なんているんだ?
貴族ってのは平民を見下して貧乏人や困窮者は切り捨てるものだと思ってた。
「そんな貴族もいてくれてるんですか。いつか話を聞いてみたいですね。ジンさんも差し入れしてたし」
「??そうかい?あいつはあのあたり出身だからほっとけないんだろうね」
何の気なしの会話の流れだけど。
俺の中ではやっぱりという思いがする。
あんなに馴染んでいて無関係という方が無理がある。
「そうだったんですか?どうりで地元のガキ達のことを知ってるなと思いました」
「おっと今のはオフレコだ。本人がしゃべってないなら言うことじゃなかったかな」
「聞いちゃいましたよ?」
ニヤッって笑ってやる。王様をリックにした仕返しだ。
教授もまいったね、と困った顔になった。
「冗談ですよ、こっちから本人に話したりしませんから。そんな感じかなと思ってたので」
「そこはキミにまかすよ。今度ジンに会ったら一杯おごって酔っ払ったところで謝ってしまえば終わりだから。キミが言ってしまったとしても仕方がない。それにキミにならジンも何も言わないだろうし」
「俺も秘密とか苦手なんで。そうしてもらえると気兼ねなくジンと話せます」
笑い話は終わって、そこからはポツリポツリの話になった。
教授は丁寧に誤解が生まれないよう、俺でもわかるように気を遣って話してくれる。
「王宮はどう考えてるんでしょう、このあたりの話」
「キミのように彼らを案じてる貴族がほんの数人。ちょっぴりだけど援助が出ているのは、王が自分の裁量で使えるポケットマネーを供出しているからだよ。国庫はほかの貴族たちの反対があって弱者の支援には使えない」
「そんな。王様だからなんだって決められるのでしょう?」
「国庫は貴族たちが自分の領地からかき集めて徴収した税でまかなわれている。彼らの意向を無視することはできないのさ」
「でもそれじゃ国庫の意味がないじゃないですか。国の代表に運用をまかせてるんでしょ?」
王様ですらできないのなら。
誰だったらできるんだ?
それとも誰にもできない、どうしようもないことなのか?
「それも筋ではあるけどね。でも貴族は貴族で、良い言い方をするなら自分の領を良くするために必死なのさ。領民の税を預かって駆け引きをして利権を領地に還元する。公共工事や大規模な魔獣対策、他国の侵攻に対する防衛だね。だから領民は我慢しながら税を納めて領主に託す。地方の領民たちの感覚は王都の貧民を救うために税を納めているわけじゃない」
やっぱり金だ。
金がないとなにもできない。
でも金だけじゃ権力に巻き込まれて潰される。
そのくせ権力だけでも何もできない。王様にできないのだったら、できるヤツなんているわけがない。
でも今の俺にとって最初の一歩は簡単だ。
まずは金だそこからだ。
無ければあの子供たちに差し入れひとつできやしない。
「全てができる人がいればそれは神が定めた運命の人だよ。私達凡人は自分のできることをできる範囲でやるだけだろう?せいぜいがほんの少し背伸びをして、出来るだけの手を伸ばすしかない」
教授は広げた手のひらをゆっくりと握りしめた。
たったこれだけなのに難しいね、とお茶目に笑ってくれた。
放っておけるハズがない。
ジンも、シスターも。王様も、少しだけの貴族も。ラノック教授も。
死んじまいそうな俺みたいなヤツラを気にかけてくれてる人もいるんだってわかったから。
「明日もう一度教会にいってみます」
頷いてくれた教授の目は、やっぱり優しくて暖かかった。