第215話 懐かしい記憶
そんなユーリが飛竜を相手にひと暴れしている頃。
西の王国最果てにある辺境の地サラマンド領では、一人の浅黒い肌をした青年が執務室でウロウロと同じところを歩き回っていた。
今となってはこの領主邸で絶大な信頼を向けられるこの青年にしてはめずらしく、喜びと不安、焦りと期待が入り混じったように表情がころころと変わっていく。
喜びに満ち溢れて輝き、期待がはずれることに不安がり、せつない顔をしてから不安におののいた。
事情を知っているメイドや執事たちが本人に見つからないよう扉の影からこぶしを握って応援するのが微笑ましい。
王宮から極秘の使者の来訪があったのが1か月前。
密書には、第二王女シャルロットとその後継人ユーリ・エストラント一行へ宿泊の提供が依頼されており、領主は喜び勇んで快諾したのだ。
青年の名前はキスリーノ。
現宰相エストラント侯爵の紹介でこのサラマンド領主屋敷に務めさせてもらている元平民。
領主邸の執事補佐といえども所詮は辺境の地、執事とは名ばかりで手の足りない下働きの手伝いばかりだ。
そこで彼は腐ることなく庭の手入れも荷物運びも調理補佐も掃除も洗濯も、体を使うことは率先して行ってきた。
誰よりも気を使い体を使い尽くす彼の姿勢に執事長やメイド長も目をかける。彼は学びの機会を与えられた。
文字や計算からはじまって、今では執事長よりも経済や歴史、世界情勢に詳しくなってしまう。
最近は彼の才覚に気付いた領主が自分の判断を確認するまでなっている。
幼いころから必死に働いてきた彼を知るものは、領主から一介のメイドまで彼を好ましく思い応援し、すっかり頼りにしているのだ。
貧民街の労働で体を酷使してその日の食事にありついていた幼いころ。
あの頃に比べれば少々寝なくても問題はなかった。
まだ若く、肉体的にも盛り上がっていく最中であり、また彼は知識に飢えて貪欲だった。
好奇心や意欲をガソリンにすればほんの2時間も眠れば彼には十分であったし、また彼の肉体もよくその無茶に答えた。
今の世であればショートスリーパーとでも呼ばれるほどである彼の睡眠しかとっていなくても、彼の心の芯に燃える情熱の炎を消すことはできない。
以前に比べれば肉体労働とすら呼べない程度の労働、そして自分が欲する知識の取得。
彼の胸にはいつも必ず成し遂げなければいけない自分がいた。そして必ず力になり役に立たねばならない人がその心にいた。
窓から見える日差しは暑くて、こんな日に彼はよく昔のことを思い出す。
それがまた彼の心に燃え盛る情熱へとガソリンを注ぐのだ。
自分にとって絶対的な恩人たちへの感謝という名のガソリンを。
彼がまだ幼いころ。
身寄りのない彼は似たような境遇の仲間達と廃屋を占拠して住みこんでいた。
別に共同生活をしているわけではない。
最低限のルールと役割はあっても干渉することはない。生き場のない子供たちが屋根のある寝床として場所を求めただけだ。
雨がふればいたるところからボトボトと水流がしたたりおちて床に水たまりを造る。風がふけば隙間だらけの壁から砂埃が吹き込むし寒い冬はわずかな暖を連れ去り冷気をまき散らす。
そこに住まう子供たちはその誰も明日にはどうなるかもわからない。
横に寝る自分より幼い女の子は明日には空腹で倒れていなくなっているかもしれないし、明後日にはその自分が倒れて簀巻きにされて川を流れているかもしれなかった。
誰かにかまっている余裕はない。
この場所で暗黙のルールだ。
自分一人分の今日の食い扶持を求めてかけずりまわり生き抜かなければならない。
入れ替わりの激しい子供たちの中でいつの間にか彼は最長の生き残りとなっていた。
数日前からの悪天候で荷役作業が中心となり、空腹でフラフラになりながら久しぶりの荷物運びに従事していた日。
作業の遅れを取り戻そうと現場監督の厳しい指示が飛び交う。
商人が出発するのは今日なのだから遅れは許されない。
交易の荷物をなんとしても荷馬車の列に積み込む必要があった。
高価な商品であることはわかっていた。
東の帝国から流れてきた大きな壺だ。
以前に見せてもらったその壺は汎用品ではあるけれど、白磁に青の模様と鮮やかに咲いた赤い花が印象的な、子供の自分が見てもきれいで美しい壺だった。
彼には自信があった。
少々大きくて重いがもっと思い荷物だって何度も運んでいる、普段ならなんてことはない。
「お、俺が積み込んでおきます」
高額な商品は熟練の人工が運ぶ決まりがある。
子供が触っていい商品ではないからだ。
しかし時間がなく、誰もかれも自分の持ち場をこなすのに必死の状況。
彼としても役に立つところを見せる必要があり、次の現場でも声をかけてもらう必要がある。
誰かがろくに少年の方を確認もせずに適当な返事をよこした。
「気をつけて運べよ!」
返事をした男も、まさか貴重な壺を子供が運ぼうとしているなんて思わなかったろう。
荷物を危険にさらすのはダメだが、さりとて作業が終わらなければ全ての信用を失う。
この場にいる全員が他人にかまっていられないという状況だった。
気を付けて運べ、その一声は互いに励まし合う掛け声のようなものでしかなく、そんなことに気付くほど彼はまだ大人ではなかった。
よいしょ、と箱をもちあげて気づく。
何だか地面が揺れて見えるし手に力が入らない。
雨で稼ぎがなかったために何日も碌に食べておらず、雨漏りでビショビショに濡れながら空腹で腹を抱えて茫然と過ごしたせいなのだが、幼い彼は気づかもない。
彼にわかったのは、なんとなく自分がいつもと違うというそれだけ。
普段ならば万全の彼ならこんな重さでふらつくことはない。
幼くてもそれなりに場数は踏いるつもりだった。金や仕事にこまるのはコリゴリだった。
力の入らない手で重い荷物を持ちふらついた彼は、雨上がりでぬかるんだ地面に足元をとられてしまう。
木箱は彼の手元からすり抜けて地面へと激突する。
幾重にも布でくるまれ緩衝材で保護されていたとしても、その重さは壺にヒビが入り、彼はそうなって初めて自分のしてしまったことに気付くのだ。
はげしい衝撃音に現場監督が走って来た。
「バカヤロー!おまえ、何やってんだ!!」
その後ろについてくる身なりの良い男。
おそらく荷主である商人。
なんてことだ。
普段あり得ないミス。
しかもそれを荷主に見られた。
茫然とする彼に容赦ない質問が飛んできた。
「坊主、お前年はいくつだ?」
「7歳」
短いやりとりの後、商人はすぐに親方に向き直って癇癪を起す。
「親方!おたくではこんなガキにうちの高価な商品を運ばすのか?」
「い、いえ、そんなことは決して!」
「あんたのところとは長い付き合いだがな、こんな適当なことをする男ではないと信じていたんだが!」
親方の顔がゆがんでいる。
ああお終いだ。
自分がこれからどうなるかなんてわからない。
ただ自分はもうお終いであり、親方にも大変な迷惑をかけることだけはわかった。
自分たひろくに役にもたてない子供でも頼み込めば雇ってくれる親方。
強面で恐ろしく誰も近寄らないこのおっさん。誰にも厳しかったけども、誰よりも働いて、そして必死なヤツラをないがしろにすることはなかった。
金がないガキでも老人でも必死に頼めば雇ってくれるし、一生懸命に働けばまた新しい現場に呼んでくれる。ごくごくたまに酒場へ誘われても顔は怖いままだったけどその目は優しく温かい人だった。
「このガキが勝手なことしやがって!木箱はベテランだけが運ぶ決まりだったろうが!」
その親方から顔面を殴られた。
ふっとばされたほほが熱い。
そんなのはしょうがない。
痛みを感じる暇はなかった。
「商人様、こいつは厳しくしつけますのでどうかっ!」
親方が壺の弁済をすれば、ここにいる人工たちに渡す給金は無くなってしまうだろう。
そしてこの商人がちょくちょく依頼してくる荷受け仕事がなくなれば、この街の貧乏人たちに仕事がなくなってしまうに違いない。
これまで親方のやりとりで何度も聞いた信頼という言葉。
無くなることを親方は恐れている。
それが無くなるとみんなに迷惑をかける。
「そんなことはどうでもいいんだよ、割れた壺は戻らないんだからな!さあ、どうしてくれるっていうんだ!!」
親方はそんな商人の文句なんて聞こうともせず、腰のムチを引き抜いた。
「バカヤロウ!仕事で大切な信用を裏切りやがって、知らなかったですむ問題じゃねえぞっ!」
バシリ、バシリと俺の背中を、腕を、肩をムチで打たれ、俺は立っていられずに地面に這いつくばっていく。打たれた箇所の皮が擦り剝けて血が滲む。
それでも親方はムチで打つのをやめようとしない。
打たれたところが灼熱の棒を押し付けられたような熱さでもだえる。
体中何か所も何か所も。
火あぶりにあったらこんな感じになるのか、死んじまうのか、俺。
よくあることだ。
あの廃墟に住まうガキがいきつく運命だ。
それが今日が俺の番だった。
いつかこうなるのが、今日だった。それだけだ。
もう熱さと痛みで指一本動かせない。薄れていく意識の中で、俺は薄っすらそんなことを考えていた。
「ぎゃあおおうううぅ!!!」
せっかく痛みを感じない世界へと飛びかけていた俺なのに強烈な痛みで引き戻された。
誰かが、ちいさな体が覆いかぶさるように俺の背中に抱き着いて強く掴まれたせいだ。
痛い、痛い、痛い、痛い!!
抱き着かれたせいで、ムチで皮膚をえぐられた箇所が同時に強烈な痛みを脳に伝えてきた!
「ぎゃああああああ!!!!!」
死なせてくれ、ほっといてくれ、それより痛いんだ!!
おれにはコイツを振りほどく力は残っていない。
俺に飛びついてきたそいつが何度か激しく揺れて、その後に大勢の大人たちの激しい声が飛び交った。
静かになって俺にひっついていた何かは引きはがされ、体が軽くなって。
その後のことは薄っすらとしか覚えていない。
碌に空かない目を無理に開いて見えたのは、高価な服をきてるくせにムチでうたれたボロ雑巾の小さなガキだった。
グテリと倒れ意識がないソイツは大人たちから大事そうに抱えられて、すぐにどこかへと連れ去られていった。
俺をかばってムチで打たれてくれたのか?
あんな小さな子供が。俺だって気を失う痛みに。
そんなバカな、と思いながらまた気が遠くなる。
抱きしめて介抱してくれたのはムチで打っていた親方だった。
「すん・・・ません、親方。俺が・・・」
何とか言葉をひねり出した俺に、親方は何も言わずに丁寧に手当をしてくれた。
またもや3話連続のお話です
3連休毎日更新しますのでぜひ




