第16話 1冊の本
結局俺はそれから毎日。
次の日もその次の日も、最初に手にとった1冊を読み続けた。
かなりわからない。
正直なめてた。
前世と比べれば科学レベルの低い世界なんだから子供の俺だってわかるだろ、くらいの感覚でいた。
でも、書いてあることは間違っていないように見えるのに理解不能。
きっとこの本の内容は中学の後半になってから習うか、高校に入って習うか、そんなヤツに違いない。そう結論付けた。
何度も繰り返して読むと少しづつはわかってきた気もするけど、本ってこんなに詰まりながら読むものなのか?
勝手な解釈で読み進めるとどうにもおかしく思えて、何ページも戻って読み直す。おかげで全然進まない。行ったり来たり。亀の歩み、いや蟻の歩み。
今日もお姉さんに「いつもの」常連のようなオーダーをしてソファに案内される。
すっかり顔なじみになってしまったけれど、丁寧な対応してくれて嬉しい。
早く続きを読みたい俺がブンブン足をふって待っていると、見るからに怪しい人が俺の前で立ち止まった。
「あの」
魔導士のローブで全身包まれているし頭にも深めのフードをかぶって顔は見えない。
ローブは茶色く汚れていて近づきたくない人だ。
司書のお姉さんに目をやると、お姉さんも気付いてこちらに出てきてくれた。
「どうされました?」
フードの人とも俺にとも。どっちにもとれるように声を掛けられる。
「いや「知らない人が」「知ってる人が」」
声がかぶったけど答えは逆だった。
俺はこんな怪しい人のことなんて知らないけど。
「ごめんごめん。こんな格好で顔も見えないとただの怪しい人だったよね。ボクだよ。もう忘れちゃったかな?」
フードをあげて出てきた顔は家庭教師候補のキャサリンさんだった。
ニパッと笑う顔は大輪の花のように人を楽しくさせる。
早く言ってよ。
「ベッシリーニさんもダメですよ、話かけるときは顔くらい見えるようにしないと。怪しい人かと思われますから。二人はお知り合いですか?」
「今のところ"知り合い"が正しい関係性だね。これからもっと深くなるかもしれない仲だよ」
流し目を俺の方にくれているけどこれワザだ。
「ただの知り合いです。父の関係でちょっと」
ああそうと納得した感じで司書さんはカウンターに戻っていくと、いつもの本を持ってきてくれた。
「へー魔法大全か。受験対策かい?」
「そんなところです」
「学生にはちょっと難しいけど、書いてあることはキチンとしてるハズだよ。魔導士の知識としては随分先の内容だから試験には出ないと思うけど」
俺の手元をチラリと見ただけでそこまで教えてくれる。キャサリンさんも読んだことがあるのだろう。
少なくとも内容についてはわかっているようだ。
この本はナビゲーターからの課題対策だからこれでいいのです。
「よかったらわからないところちょっと教えてもらえますか?」
「えーーー、まだ家庭教師の正式な契約も結んでもらってないのにかい?」
しまったな。
家庭教師の候補として手を上げてくれてるはずなのに、それはいったん置いておいて無給で教えてください、とお願いしたようなものだ。教えてくれなきゃ契約しないぞけち臭い、なんて思われて誤解されたら困る。
「そりゃそうですよね、失礼しました」
あわててひっこめた本をガシリと掴まれた。
「ウソウソ、ちょっとイジワル言ってみただけだよ。サービスするから何でも聞いてよ。向上心のある子は大好きだよ」
ブンブン手をふって笑いかけてくれるのはいい人だから?
それともいい金ずるになりそうだから?
そんな面倒くさい考えはキャサリンさんの笑顔に溶けていくから棚に上げちまう。
「じゃあ少しだけお願いします。風・・・大気が流れる仕組みのところがどうもわかりずらくて」
ベッシリーニさんの目が輝いた。
「え?空気ってわかる?」
「そりゃーわかりますよ。いつも吸ってるじゃないですか」
「この星の形って丸いんだよ」
「な、なに当たり前のこといってんですか。なんか冗談いってます?」
「じゃあ曇って・・・」
「水滴ですよね、あれ。それくらいは知ってますよ。」
「太陽・・・」
「内部で爆発を続けてこの星に熱と光をあたえてくれてる天体だったような。あとこの星が自転してるから昇ったり沈んだりするんですよね」
いつまで続くんだこの子供用の質問は?
・・・そうか俺も子供だった。
「合格だよ!!!!!」
え?
「キミ、なぜそんなに知ってるの?」
ええ?
「もう、合格でいいじゃん!!!!」
はああああ?
ゼエゼエと息を切らしたキャサリンさん、実験の対象を見るみたいに目がギラギラして見えるのは気のせいじゃない!
この世界じゃ普通は知らないことなのか?
といってもニッポンなら小学生?幼稚園?はずかしーくらいのことしか言ってないんだけど。
頭の中でアレの声が聞こえる。
『この世界でも知識人と呼ばれる層は理解しています。特に高度な魔法を使用する人間たちにその傾向が見られます。しかし一般市民の大多数は太陽も水も火も空も星も、そういうふうに神がつくられたものとして探求されることはありません』
コイツがごちゃごちゃ言う時はこっちから話をしてやるんだ。
自分がわかるように。
「そうなの?地球が丸いとか、リンゴが木から落ちるとか、なんかそういう話?」
『まあ、間違っちゃいないですね。この世界には魔法がありますから、地球の人間では時間がかかったことも理解されやすかったのでしょう』
「魔法があるとわかりやすいのか?」
魔法の無い世界からきた俺には想像しずらかったけど。きけば簡単な話を教えてくれる。
『飛翔の魔法で空を飛ぶだけでも何百年分の進歩になるでしょう。地球人は地べたをはい回るだけで推測して、実験して、観測して・・・積み重ねて積み重ねて証明しなければならないですから』
空高く飛べば地球の丸さがわかる。
飛んだことないし飛行機にのったこともないから想像だけど。
「上空に行けば温度も気圧も下がります。空気が薄くなります。空の色も変わります。雲も、風も・・・むしろ、魔法のない地球人たちが星のことを知ろうとした努力には種の性質が見て取れます。今は関係ない話ですけどね」
関係ないならすんなよとは思うけど。
学者さんとか研究者さんとか、頭いいだろうけど努力家なんだ。
『魔法に色をつけるのは自分です。自分が1つの色しかもっていなければ、染められる色は濃いか薄いかしかありません。複数の色を使えるなら、組み合わせてどんな色をつくるか対象者次第です。いろいろな色を創り生み出すためには、色の特質をしらなければ作れません。あなたには全色揃っていますから知って求めればどんな色でも作れることになります』
なんかまた難しい話はじめたな。
赤と青をまぜると紫、とか?
『理解もできずに何冊も文字だけを目で追っても読んだことにはなりません。時間がかかっても確かな知識を取得するのは有益です』
なぐさめられてんのかほめられてんのか。
それでも最初は小難しくてほっぽりだそうとした本が、ちょっとわかってくると面白くなってずっと読み続ける自分がいる。キャサリンさんの説明でもっとわかりやすくなった。
こんなに必死に本を解読?しようとしたなんて初めてだ。
明日はまた知らなかったことがわかりそうで止まらない。
何かがわかると、もっと止まらない。
「なぜ知ってるの?」
キャサリンさんの言葉で我に返った。
ええ?
また困った質問するな。
どう答えるのが正解なの?
前世では子供でも知ってる常識?って言っていいの?
だいたい前世ってわかってもらえるの?この世界の常識では。
俺が困っているというのに、ナビゲーターはピタリとだまる。
さっきまであれだけ勝手にしゃべっていたくせに。
お得意の『自分で考えなさい』か?
「なぜでしょうね?この本を書いた人が頭いいのかな?読んだら頭に入ったというか」
ごまかしにもなってない言葉で返すと家庭教師候補さんはジトリと俺を睨んだ。表情の意味はわからない。いつも笑顔だから笑ってごまかせるかと思ったんだけど。
「興味深いね」
とボソリと言ってから彼女は丁寧に質問に答えてくれた。
風から始まった話は、関連してるいろんな話へとつながって、わかりやすくて面白かった。
空気の話。気圧の話。天候の話。太陽の話。気流の話。温度の話。
聞けば聞くほど、知りたいことが増えて質問をつづける。
気付くともう夕方の閉館の時間になっていて、司書さんたちも後片付けに忙しくバタバタ走り回っていた。
「ゲッ、しまった!」
忙しそうな空気に気付いたベッシリーニさんがアタフタと帰り支度を始める。
「うっわー、これはまずい、さすがに怒られるうー」
申し訳ない。
ちょっとだけと言いながら丸1日時間をもらってしまった。
慌てて走り去ってしまいそうな彼女に声をかける。
「すみません、ちょっとダケって言っておきながら。なにか埋め合わせできますか!?」
しかも無給で働かせた!
彼女は振り向いて一瞬だけ悩んだ末に
「そうだね、明日時間があるならウチにおいでよ!もっともっと知りたいことを知れるよ、きっと!!」
「え?いいんですか!?」
「そして今日の言い訳のダシになってもらえれば」
なんだか後半はよく聞こえなかったけどもいいらしい。
「わかりました、明日伺いますね!」
大きな声になっちまったけど聞こえたかな?
走り去った彼女はあっという間に見えなくなってしまった。
時間とか訪問する場所とか何も聞く暇もなく。