ニフカの変貌
アズラムはやっと予定外の仕事から解放され、城にある魔導棟の一室に帰った。
共犯者がいるのではないかという報告をナグスに伝えると、彼がその共犯者を捜すと言ったので、アズラムは今回の任から解放されることとなった。
また事件前のように自らの研究に戻ろうと椅子に腰掛け、書物に手を伸ばそうとしたとき、ドアをたたく音がした。
「入れ」
ドアに向かって言うと、一人の男が部屋に入ってきた。
彼が城外に出るときに護衛としてつく騎士の一人だ。
「各地からニフカ・バラバッドによる犯行の調査報告書が届きました」
「何? いまさらか」
「どうやら大臣のほうに届けられ、読まれるまでそのまま忘れられていたようです」
「ちっ……まあいい。見てみよう」
魔導師はその報告書を手に取った。かなりの厚みがある報告書の束は、凄惨な殺人事件の内容をかなり事細かく記したものになっていた。
一つ一つの事件について、被害者がどのように「解体」されていたか、どのように内臓が置かれていたかなど、具体的に書かれている。
「ん……? 心臓について書かれていない」
そういえば最初の現場でアズラムが死体を見たとき、あまり詳しく調べなかったのだ。心臓と思われる位置に切り刻まれた肉の塊があったため、それが心臓だと思い込んでいたのだ。
ところがいくつかの報告書には、心臓が見つからなかったと書いてあった。
「これも、これもだ!」
どの事件についても被害者の心臓が無くなっていたと記されていた。
なぜ気づかなかったのか。今回の事件が明らかに魔術的な意味があって為されているものだということに。
「まさか……!」
被害者の数。
事件現場の位置。
それらが結び合わさって、大きな円形状の形をとっていることがわかった。
アズラムはすぐに行動に移した。
処刑場の場所は聞いていた。街から離れた場所で、特別に用意された処刑場で執り行われると。
「なんてことだ!」
処刑場の場所はそれぞれの事件現場の中心に位置していた。なぜその位置での処刑が決まったのか? そこに強い疑問を感じていたが、今は処刑場へ急がなければならないと考え、騎士に声をかけると、馬を駆って処刑場へ全速力で駆けつけたのである。
その道の途中。武装した騎士たちと共に馬の背に揺られながら、アズラムは巧に馬を操りつつ、いくつもの事柄について考えていた。
(今回の事件──その調査をするよう指示をしたのはナグスだった)
事件の報告書を大臣にわたすのも、処刑場の場所を決めたのもナグスだったのだ。
(まさか──!)
その考えに彼はぞっとした。
まさか同僚が今回の事件に関与しているのか?
それは疑念ではなく、もはや彼の中で確信に変わっていた。
彼の不安を煽るように、処刑場へと向かう彼らの道の先はどんよりとした曇り空が広がっていた。
全力疾走をつづけた馬は荒い呼吸をしていた。
もう少し走りつづけていたら、馬はつぶれてしまっただろう。
処刑場の周囲は天幕が張られて中が見えないようになっていた。
白い天幕の外側には兵士が見張っているはずだが、そこには誰もいない。
「遅かったか!」アズラムはわめいた。
護衛で付き添っていた騎士たちは、魔導師が何を焦っているのかさえ知らされていないのだ。
怯えた様子の警護対象者を見て、騎士たちは剣の柄に手をかけた。
今にも倒れそうな馬を騎士の一人に任せ、アズラムは二人の騎士と共に天幕へ近づき、恐る恐る天幕の内側へと足を踏み入れた。
──そこは恐ろしい惨状だった。
中央に人を張り付けにする柱が設置され、その周辺には数名の兵士や神官の姿があった。
ただし彼らは全員死亡していた。
柱を中心に鎧を着た兵士が八人ほど倒れ込み、猛獣に腹を食い破られたように血と内臓を周辺にまき散らしている。
神官は青い法衣を真っ赤な血に染め、首には新しい口が開いていた。そこから大量の血を流し、驚愕の表情のまま死んでいる。
「ああ……なんてことだ!」
魔導師アズラムは処刑場の惨状に頭を抱え、正気を保つためか、力を込めて頭を押さえ込んでいた。
遅れて天幕の中に入って来た騎士の一人が、むごい死に様をしている死体を見て嘔吐した。
柱はどういうわけか途中で裂け、ぶすぶすと煙を上げていたが、そこにあるはずの死体がない。
焦げ臭さに血や内臓の臭い。日常では嗅ぐことのない異臭が天幕の中に満ちていた。
それは何も死体が発する血の臭いだけではないと、アズラムは感じていた。
そこに満ちているのは強烈な腐敗臭に似たもの。──危険な上位存在が現れるときに、こうした臭いが残されるという報告が何度かなされている──
アズラムは恐る恐る折れた柱に近づくと、そこから残留思念を読み取ろうと集中した。
* * * * *
兵士に両脇を抱えられ、ニフカは柱の前につれてこられた。これから処刑されるというのに、まるで祝福を受ける信仰者のように柱の前にひざまずいて祈っていた。兵士たちはそんな彼をむりやり立ち上がらせると、中央の柱に荒い縄で縛りつけた。
彼は傷つき疲れ果てた様子だったが、その口元はやはり、にやにやと笑みを浮かべていた。
大きく片方の目を見開いて、まるでわくわくと何かを待ち望んでいるかのように。──その瞳には危険な光が宿っていた。
柱に荒縄で縛られた彼は「ぬふぁあははは」と、例の笑い声をひびかせて空を見上げていた。
処刑の準備が整い、毒を入れた杯が用意されると、神官がそれを手にしようとした──そのとき。
すさまじい衝撃と音が天幕の内側で鳴りひびいた。
外で見張っていた兵士たちも慌てて天幕の中へと入って行くと、柱に縛りつけられていたニフカの体が燃えていた。
落雷が彼を打ち、その身体はバチバチと音を立てて燃え上がっているのだ。
彼を縛りつけていた柱は折れ、火につつまれたニフカの上半身は、だらりと前に崩れ落ちた格好になっていた。
だが──それだけではなかった。
焦げた臭いを放つニフカの身体が炎につつまれたまま、大きく膨れ上がっていったのだ。
炎につつまれたニフカの上半身がじたばたと暴れ、彼を縛っていた縄が焼け落ちると、すでに倍以上の大きさに膨れ上がっていたそれを、周囲にいた兵士や神官は黙って見ているしかなかった。
朱色の炎が緑色の炎に変わり、そして青い炎が巨大化したニフカの身体から噴き上がった。
長く伸びた腕が地面をつかみ、鋭い鉤爪を地面に突き立てる。
身体を焼く炎の中から灰色と紫色にただれた身体が現れた。それはニフカではなく、不気味な姿をした化け物だった。
肥大化した頭が裂け、中から大きな歯を持った、唇のお化けとでも言うようなものが姿を現した。
ずるりと焼け焦げた皮がはげ落ち、その中から不気味な口が現れたのだ。
「ぶぉァッふァはッハハハァ!」
それは歯をむき出しにして笑い声を上げた。
心底楽しそうな高笑いが処刑場にひびきわたる。
その灰色の頭部は円筒状の形をしており、先端に巨大化した、人間のものを思わせる分厚い唇と、白い歯を持った口があった。眼球や顔と呼べる物はなく、首と言えるような物もも見当たらない。その異質な頭部は二枚貝の中から飛び出した、貝の呼吸器官(出水管)を思わせた。
筋肉の膨れ上がった肩と肩の間。僧帽筋が頭部と一体になっているようで、前のめりになった上半身から長い頭部が突き出し、その輪郭は蜥蜴亜人にも似ていた。
長い手足についた鉤爪を持ったそれは、異様に長い尻尾も持っており、その長い尻尾をゆらりと動かしたかと思うと、兵士たちに飛びかかるように襲いかかった。
そして長い腕を振るうたびに兵士を殺害していき、あっと言う間に処刑場は血の海に染まったのだった。




