神官長
「やっと着きましたね」
御者台に座るアイクさんが、欠伸をしながら呟く。
移動にかかった時間はほぼ丸二日。途中、神託騎士の人たちが贔屓にしているという宿駅で何度か休憩を挟み、ようやく私たちは王都に到着した。
「お、おぉぉ……っ!!」
眼前に広がる光景に、私は目を見開いた。
大陸随一の国土面積を誇るエヴァイスト王国。その中でも最も人口が多い都市である王都スフィア。かつては魔獣の侵攻を食い止めるために城壁でぐるりと囲まれていたが、近年は優秀な衛兵たちが警備を担っており、景観を優先して城壁の一部が取り除かれたらしい。だから外からでも街の様子がよく見える。
コロラト村とは比べ物にならないほど華やかな景色がそこにはあった。
関所を通過して街に入る。石で丁寧に舗装された道、ずらりと並ぶ露店の数々、お屋敷のように大きな家、行き交う若い人々……全てが私にとって新鮮な光景だった。
「よろしければ観光案内でもしましょうか?」
「是非! ……あっ!? いや、今のは冗談で……」
「遠慮しなくてもいいですよ」
興奮した私は、つい厚かましいお願いをしてしまった。
そんな私にライオネルさんは優しく微笑む。
「ですが、まずは目的地に……神殿に向かいましょう」
馬車が緩やかに進む。
やがて私たちの前に、真っ白で荘厳な建物が現れた。
「こちらが神殿です」
馬車が停まり、ライオネルさんが先に降りた。
私が降りようとすると、先に降りたライオネルさんがそっと手を差し伸べてくれる。
「じゃあ、俺は冒険者ギルドへ報告しに行ってきます」
私が馬車から降りると、アイクさんがそう言って馬車と共に移動した。
「案内します」
「は、はい」
神殿の中に入り、長い廊下を進む。
王都の街並みには驚いてばかりだが、神殿は中でも独特な雰囲気のような気がする。神を奉る施設なだけあって品位を損なう派手な装飾は見当たらない。しかし床や壁は丁寧に磨かれており、無駄な調度品がないことも相まってどこか無機的な空気を感じた。
廊下を何度か曲がって辿り着いた扉の前で、ライオネルさんは立ち止まる。
「神官長」
「その声……ライオネルか。入ってくれ」
扉の向こうから声が聞こえると、ライオネルさんは少し驚いた表情を浮かべた。
「失礼します」
ライオネルさんが扉を開く。
決して広くはないが上品な部屋だった。足元の絨毯は金糸によって精緻な刺繍が施されており、その先には長机が置かれている。
部屋の主はベッドに腰掛けていた。
若い男性だ。灰色の長髪に、切れ長の瞳。ライオネルさんに勝るとも劣らない美形だが……その額には汗が滲んでおり、顔色も青白い。
「神官長、声が出せるようになったのですね」
「先刻、施療院の者たちが新しい生薬を持ってきてな。喋れる程度にはなったが、まだ本調子ではない。……ゴホ、ゴホッ!」
神官長と呼ばれた男は、激しく咳き込んだ。
ライオネルさんは一瞬だけ悔しそうな顔をしたが、すぐに気を引き締めて頭を下げる。
「手短に報告します。まずは討伐指定種のゴルギウス・ファングについて、無事に対処が済みました。現在アイクが冒険者ギルドへ討伐証拠品を届けに向かっています」
神官長は短く首を縦に振った。
「それと……非常に優秀な治癒師を、招きました」
「優秀な治癒師……」
神官長の視線が私に注がれる。
途端に私は緊張した。体調が悪いのは明らか……にも拘わらず、目が合った瞬間に凄まじい貫禄を感じる。
こ、これが都会のお偉いさん……!
病人なのに怖い。粗相のないようにしなくちゃ。
「サ、サラ=ヴィンターです」
思わず声が震えてしまったが、そんな私を小馬鹿にする者はいなかった。
「ゼファー=マクレインだ、この神殿の神官長を務めている。……挨拶が遅れて申し訳ない。見ての通り余裕がなくてな」
「えっと、お構いなく……」
神官長と呼ばれていた時点で予想していたが、どうやらこの神殿の最高責任者らしい。
色々状況は理解した。……要するに私はこの人を治療するために呼ばれたのだ。
「ライオネルから聞いているかもしれないが、私は病を患っている。かれこれ一ヶ月は寝たきりに近い生活をしているが、これ以上休むと神殿の業務に差し支えてね。そこで名うての治癒師を探すことにしたわけだ」
「私、別に名うてではないんですけど……」
「そこはライオネルの判断を信じよう」
ライオネルさんは上司に信頼されているらしい。
「もっとも、治癒師を探している理由はもう一つあるが……そちらは必要に応じて後ほど説明しよう」
ゼファーさんは含みのある内容を呟いた。少し気になったが、お偉いさん相手に詮索する勇気なんて私にはない。
「神官長……様は、今までも治療はされていたんですよね?」
「ああ、しかし私の症状は前例がないらしい。今までも百人以上の治癒師に診てもらったが、その場繋ぎの対症療法はできても完全な治療には至っていない」
じゃあ多分、私も無理なんですけど……。
なんて言える空気ではなかった。
「サラさん、治せそうですか?」
「うーん……実際に魔法をかけてみないと、分からないです」
そもそもグロいものが見たくないから回復魔法を学んだので、私は患者の症状を見極めることが大の苦手だった。村で治癒師の真似事をしていた時も、目隠しをしていたし……。
「――神官長ッ!!」
その時、部屋の扉が大きな音と共に開かれた。
現れたのは小さな背丈の少女だった。髪は水色でツインテールにまとめている。目つきの鋭さからは気の強さが窺い知れた。
「新しい回復魔法を習得しました!! 私に治療の機会をくださいッ!!」
少女は突き刺さる視線なんて物ともせずに叫ぶ。
驚く私を他所に、ライオネルさんは静かに少女の方を向いた。
「リゼット。逸る気持ちは分かるけど、それでは神官長のお身体に障る」
「ラ、ライオネル様っ!? ……すみません」
リゼットと呼ばれた少女は、静かに謝罪した。
よく見ればその頬が微かに赤らめている。恥ずかしくて顔を伏せているというよりは、乙女の表情を浮かべていた。……なんて分かりやすい態度だ。きっとこういう可愛らしい人が、都会ではモテるのだろう。
ちょっと微笑ましい気持ちになっていると、少女が私の存在に気づいた。
少女は私と、私のすぐ隣に立っているライオネルさんの顔を交互に見て……。
「……誰よ、アンタ」
あれ?
なんか睨まれてる?