路地裏で出逢った親子
春が終わろうとしていた。
私にとって、神楽坂は故郷と呼んでもいいような街だった。
小学生の時にこの街に住み始めた私だったが、大学が決まると、それに伴い神楽坂を出た。
社会人になり東京にはいたが、なぜかこの街に来ることはなかった。
そして、二十五年。
私は四十三歳になっていた。
この年に神楽坂を離れて初めてこの街を訪れた。
その頃、携わっていた仕事の関係で人と会わなくてはならかったからだ。
神楽坂の通りから来たらしい人の群がらこちらへ向かって来る。
その集団が酒の匂いを残して通り過ぎると、辺りは静けさを増した。
私は、やっと人がすれ違える程度の曲り角に来た。
街灯も無い路地は漆を流したように暗く、先がどうなっているのかが判らない。
路地は緩やかに右に曲がっている。
暗さも手伝い、そのせいで先が見えなかったのだろう。
数十メートル行った所で振り返ると神楽坂の通りの灯りは見えなくなっていた。
その理由が判っているとは言っても、暗闇に取り残されてしまった感じは気持ちのいいものでは無い。
それでも私は引き返さなかった。
何故か引き返したくなかった。
もう時間の事も気にならなくなっていた。
暗闇の向こうに灯りが見えた。
その明るさは淡く、暖かく、心に染み込んでくる…。
その灯りの中から、人影が二つ抜け出て来た。
何処かで会った事の有るような二人。
小学校に上がったばかりかと思える少年と四十代の男性、親子なのだろう。
少年の笑い声が闇の中に流れる。
『お父ちゃん…』
少年の声、やはり親子だ。
父親が息子の名を呼ぶ。
なんと呼んだのかは聞き取れなかったが、自分が呼ばれたような、そんな気がした。
父親の笑顔に息子への愛情が溢れる。
懐かしい風景。
少年はひっきりなしに父親に話しかけ、父親は笑顔で応える。
二人は私とすれ違う。
少年は私の存在にまったく気付かなかったが、父親はすれ違う時に私に視線を向けた。
息子を見る眼と同じ暖かい眼差しだった。
艶のある黒い髪をオールバックに撫でつけ、鼻筋の通った整った顔。
太い首、盛り上がった肩、そのがっしりとした体に真っ白なランニングシャツ、上に淡いグレーに白の格子縞の開襟シャツを羽織り息子の手を曳いている。
(何で、夏の格好してるの?)
私は歩みを進め、銭湯の帰りらしい親子は心地よい石鹸の香りを残して遠ざかる。
少年の笑い声も遠ざかる。
ふと歩みを止めて親子の方を振り返ると、暗闇に溶け込んでしまいそうな辺りで、二人は立ち止まっていて、息子は父親を見上げている。
父親は…。
私を見ていた。
心暖まる笑顔で……。
気が付くと私の頬を泪がつたい、私は訳もなくその場に立ち尽くし泣き続けていた。
暗闇の中の路地裏の風景は涙で歪んで、その歪んだ風景の中にぼんやりと、所々塗りの剥げた銭湯の看板が…『熱海湯』と書いてあった。
結局、最終の電車には間に合わなかったが、私はあの不思議な感動の体験がむしろ嬉しく、そっと心の奥の引き出しに仕舞った。
月日は慌ただしく流れて行く。
桜の開花が近付いていた。
私の息子が卒業して、大学近くのアパートを引き払い家に戻って来た。
息子と一緒に四年分の荷物も帰って来た。
さほど広くもない我が家の玄関と云い、廊下と云い、所狭しと息子の荷物で埋め尽くされてしまった。
家族総出で片づけ始めたのだが、スペースを作ろうと押し入れの中の古い段ボール箱を整理していた時だった、色褪せた写真の何枚かが床に滑り落ち、そのなかの一枚に私の眼は釘付けになった。
セピアに変色してしまったそのモノクロ写真の中で私の父が白い歯を見せて笑っている。
その横で少しはにかんだ様な小学生の私が写っている。
オールバックに髪を撫でつけ、格子縞の開襟シャツを羽織り、私の小さな肩に腕を回し、『熱海湯』と書かれた暖簾を背にして父は立っている。
あの夜と同じように…。