K先生の鉛筆
私の小学校6年生の時の担任で、K先生という人がいた。
先生は、毎朝、愛車のHONDAスーパーカブを駆って、5㎞ほど離れた町内の集落から小学校に通っていた。お酒が大好きな豪快な人で、学校で赤い顔をしていることもしばしばだった。そんな先生を、私は嫌いではなかったのだが、すぐゲンコツが落ちてくるので、あまりよく思っていない人も多かったようだ。
これは、そのK先生にまつわるある日の夕方の出来事だ。
その日、私は友人と2人、学校に残っていた。なぜ残っていたのかは良く覚えていないので、おそらくは益体もない理由だったのだろう。そんなところをK先生に呼び止められたのだ。
先生は我々を見つけると喜色を顔に浮かべながら近づき、こうおっしゃった。
「おい、お前ら、西の集落に行く途中の田んぼの中に溜池があっただろう。あそこにショウブが生えてたんだ。俺、今日ショウブ湯に入りたいから採ってこい」
当時は、全く疑問に思うことなく、その指示に従っていたのだが、今、改めて思い返してみると、とんでもない公私混同だ。これが許されていたのは、『先生』という存在自体が無条件で尊敬できる存在であった昭和の時代だからだろう。
さて、先生の指示を受け「わかりました!」と、教室を飛び出しはしたもの、『ショウブ』とやらが何だか良くわからない我々は、とりあえず、学校の門を出て徒歩数分の所にある、K池と呼ばれる大きな池に向かった。K池はこの辺りには珍しく、田んぼの真ん中に作られた池だった。広さの割に水深が浅いため釣りには向かず、そこを目的に赴くのは、ザリガニ取りの子供ぐらいだった。
池に着くと、そこには、それらしき水草がたくさん生えている。思いの外簡単な指令であったことに安心した我々は、鎌で岸近くの水草を手当たり次第に刈り取ると、夕焼けの中を学校へ戻った。
私たちが喜び勇んで抱えてきた大量の戦果を見た先生は、
「これはマコモだ。お前たち知らないのか? ショウブは切り口が三角形をしているんだぞ。もう一回行ってこい!」
と、非情なお言葉をくださった。
急いで引き返し、よく調べてみると、葉の形は似ているものの、さっきの水草とは違う種類の草が生えている。しかも、切ってみると明らかに良い香りがする。これだ!ということで急いで刈り取り、学校に戻ったときには、既に黄昏時となっていた。
薄暗い中、戦利品を届けると、先生は頑張ったご褒美だと『あすなろ K』と金色の時で刻印された鉛筆をくださった。これは、先生が特注で作っていたもので、特別な機会に子供に渡していたものだった。
刻まれた『あすなろ』は、子供の成長を願っての言葉だったのだろう。
その後の話だが、我々が在学中に、K先生は体調を崩され、長期にわたり学校をお休みされることになった。一度は復帰されたものの、最終的には年度の途中で学校を去られることになった。噂では大好きなお酒が祟ったらしい。
ある年、先生から年賀状が2通届いた。そして、しばらく経って、先生がお亡くなりになったという噂を聞いた。
ショウブを取りにいったK池は干拓されて、今は跡形もない。
母校も十数年前に廃校になり、友人や先生と過ごした校舎も取り壊された。
私の机には使い古されて『あ』だけになった鉛筆がまだ残っている。