32(8)
前。
前書。
前書き。
前書。
前。
あー、なにも浮かばない。
返事は保留にして、ひとまず部室に向かうことになった。
「前向きに検討します」
便利な言葉である。
それだけ中津川に言うと俺と美影は駆け足で部室に向かった。
時刻を美影に尋ねると、彼女は直ぐに携帯電話の液晶で時刻を確認してくれた。
彼女の言った時間はとっくに集合時間を過ぎていた。
罰せられることはないとは思うが、念のため奥歯の加速装置をオンに、そのままの勢いで部室の扉を開け放す。
「「叩いてかぶって、じゃんけん、ぽいっ!!」」
部室に入ると芳生と和水が息を切らせてそんなことをやっていた。
息が上がっているのは美影と俺も同じだが、二人も随分と気合いの入った様相だ。
「すいませんおくれました」
「たー」
謝罪の文面で挨拶をして、いつも通りの日常に飛び込む。
時間が時間だけに俺と美影が最後だったらしい。
部長と楓もぼんやりと和水と芳生を眺めている。
「ところで二人はなにやってんの?」
部室の真ん中で繰り広げられる不可解な状況を指差して状況に問いた。
「見てわからないのッ、ほいッッ!ふわっ!」
「うぬしゃ!」
見たところ、ただの『宴会ゲーム』にしか見えないのだが、気合いの入り方が違う。
二人のやってるゲームはジャンケンで勝ったら相手を殴れ、負けたら相手の攻撃が来るより先に防御するという反射神経が問われる単調ゲームだ。
向かい合って椅子に座る二人。その真ん中には丸めた新聞紙とお鍋の蓋が机の上においてある。
去年の夏休みの俺の装備を想起させられるアイテムだ。
「二人は死闘しているんだ」
奥の席に座る部長が事も無げに言った。
これ、で?
もう一度彼女たちを見る。バカの一つ覚えみたいにジャンケンと、殴っては殴られを繰り返している。
時々、頭と攻撃の間に鍋の蓋が入ることもあるがそれはほんとにごくたまにある程度で、ただの頭のはたき合いに成り下がっていた。
これが死合うとかいて『しあい』?
だとしたら戦国とか江戸とか明治とか、変革の時代の武士たちに心からの謝罪を行わなければならない。
そんな俺の気持ちが分かったのか部長は更に言葉を続けた。
「昔の死闘といったらそりゃ真剣で斬り合うことだったが、今の世の中じゃ銃刀法違反になってしまう。だから現代の死合いといったらどんなのになるか二人にはシミュレーションしてもらっているんだ」
「そうですか。それを聞いて俺から言えることはただ一つです。ねーよ」
結局詳細を訊いても理解出来ないということに変わりはなかった。
何時もに増してやってることが下らないなぁ。来てもこなくても変化はなかったんじゃなかろうか?
ああ、でも、中津川の頼みも一応あるし…、うーん。
「トイレ言ってくる」
ジャンケンホイッ!うぉぉ!
さっきから繰り返されているワードをだるそうに聞き流していた楓は前置きもなく立ち上がりと、そう言った。
いってらしゃい
部長とか芳生がそれに小さく答えるとまた真剣勝負(笑)の世界に埋没していった。
うおっと、思ったより早くチャンスは回ってきたらしい。
どうやら俺個人という人間の運のパラメーターは、他人の幸福を願う時だけプラスに働くらしい。ふふっ、なんて因果な運命だろうか。
と、気味悪い考えをかなぐり捨てると、静かに俺も立ち上がり、楓の肩をポンと叩いた。
「おい、楓。急にもよおして来たのー」
「は?だからそう言ってんじゃん」
「いっちょ久しぶりに男の友情!ツレションでもするかぁッ!」
「意味わかんねえ。好きにしたら?」
あれよあれよと俺は楓と二人きりになることに成功した。流石おれ。
ニヤリ、と笑みが浮かんだが、決して薔薇的展開を予想してとかではない。
「あー、男の友情がツレションだったら僕も行かなきゃハブリになっちゃうじゃん」
うぐ。
とんとん拍子を崩したのは意外にも和水と向かい合って真剣勝負(笑)に興じる芳生だった。
うわ、忘れてた。
あいつがついてきたらマズい。
楓とタイマンと話をすることが出来なくなってしまう、かといってここでお前は来るなというのもおかしな話だ。
さて、どうするか。
「男の友情がツレションだなんてとんだ勘違いだわ。あんなの女々しいだけじゃない」
新たな参入者、水道橋和水まで加わった。
よりにもよって和水かよ。
彼女はばつが悪いことに楓が中津川に告白されたことを知っている人物である。それゆえに未知数、これから彼女がなにするかまったくもって予想できない。
芳生和水の娯楽ラ部話通じないツートップが楓との二人きりになれる機会を奪おうとしているとしか思えない。話の回避がより難しい方向になる。あああ、もう面倒くせぇな。
「女々しいとは失礼だなぁ!女子だって、ツレションくらいするでしょ?」
「しないわよ」
和水は考える間もなく即答した。
女子がツレションについて語るのはどうかと思ったが、彼女の言いたいことを予想するのは容易かった。
男子便所と違って女子便所は個室しかないのだ。
だから男と違って小便器前に並んで話をするという行為が出来なくなる。それゆえツレションを行わないのだろう。仮に女子が一緒にトイレに行ったとしてもそれは8割以上目的は化粧直しになるのだろう。
「またまた〜。うせうそ。女子二人が一緒に女子便所に行くのよくある光景じゃん」
ははは、芳生バカだな、それは鏡とにらめっこしに行くためであって、
「もう芳生だめね。何も分かっていないわ」
「え、何がさ」
「女子はトイレなんてしない。あれはただ単にお花を摘みに行ってるのよ」
……何をおっしゃってるのかわかりません。
日本語ですか?それ。
だけど彼女が言ってる意味が微妙に理解できてしまったことが悲しい。
たしか、『花を摘む』というのは登山での隠喩表現で『トイレしにいく』という意味だったハズだ。
……意味的にはまったく変わらないじゃん。本質がブレてもないのに、自分の知識枠を見せびらかそうとするのを止めてほしい。
「え?それってどういう意味?トイレに花?トイレに花なんてあるの?まさか、消臭剤もない昔のトイレの金木犀のことを差してるの?」
「違うわ。ふう。もういいわよ。ともかくアナタは私と真剣勝負中なんだから途中で抜けるだなんて許さないんだからね」
「そんなっ!トイレ休憩なしっ!?ってか、頭叩かれすぎて痛いんだけど!」
「それは私も同じことっ!うぉー」
「うぉー」
「「ジャンケンほい!!」」
「……」
二人はとても楽しそうだ。
そのお陰で芳生は俺達についてくる気をなくしたらしい。
これは都合がいい。
俺と楓は部室のドアを開けてトイレに向かうことにした。
っうか、アレ、三本勝負とかにしないと終わりないよね。
人のいない廊下にはただ俺達の足音だけが響く。
日が完全に沈みきった校内は、ただ不気味さだけがただよっていた。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。
「ところで雨音」
「あん?」
そんな静寂を気にしてか、楓が話かけてきた。小さな声でさえ、やけに耳に残るような音に変わる。
中津川についての事を尋ねたい俺にしてみれば話があるのはこっちなので、ちょっと会話の主導権を握られるのは勘弁してほしい。
そんことを少しだけ憂いていた俺に楓は言葉を続けた。
「お前のクラスに中津川っている?」
なん…だと!
「中津川佐江…?」
まさかの固有名詞に驚きついリピートしてしまうと、楓は一度頷いて同意した。
いや、まて落ち着け。
話が自然な形と俺が望む方向に来てくれたぞ。
楓の方から言われるとは思ってもなかったが逆にいうとこれはチャンスかもしれない。
「ああ、い、いるぜ」
「そうか。たしか三組だったよな」
「うん。そ、それで中津川はどうしたんだよ?」
訊いてきた理由は知っているが、あえて知らないふりをして尋ねた。
告白されて楓も中津川の事を意識しているのだろう。
みかけによらずなかなかの純情少年なんだ、五十崎楓は。
「ん、いや、なんでもない」
「気になるなぁ。お前が女子のこと知りたがるだなんて珍しいじゃん」
ニタニタ笑いを止めることなくからかう。
楓だって人の子だ。女の子に興味がないというわけじゃないのだろう。しかも、相手は自分に好意をもっているときた。そんな中津川が気になって気になってしかたないんだろう。
「まぁ、な」
歯切れの悪い返事をして、楓はトイレの入り口のドアを開けた。見かけの目的を思い出した俺も慌てて楓に続く。
当然のことだけど、放課後のトイレはがら空きだった。
薄暗闇の中、俺と楓は並んでトイレする。ここでいうトイレっていうのは、まぁ、うん、多くは語れないが小便器で隣同士になったということだ。大じゃなくて小のほうね。
「中津川とは生徒会で同じなんだけどさ」
「生徒会?」
そういえば中津川も似たような事を言っていた気がする。
小便をしながら楓と話をする。尿意はとくに来てなかったが、話を合わせるためだ。
「楓はたしか書記だっけ?去年の秋ぐらいに選ばれたとかなんとか。中津川はなんの役員?」
「中津川は会計。っていうかお前同じクラスなんだからそれくらい知っとけよ」
「俺はお前が役員だとつい最近知った男だぞ。知るかそんなもん。んで、同じ生徒会役員の中津川さんになんのようだよ?」
「用なんかない。ただなんとなく思い出しただけだ」
ここに来てしらばっくれる楓。
はん、ネタは上がってんだ、大人しくお縄につけ!
「なんだか気になる言い方だな」
「気にすんな」
とは言え。
中津川から頼まれて、楓の心情を調査しているだなんて、中津川はともかく俺も余り知られたくない。
なんだか友情を疑っているような気がしてならないからだ。別にそんなことはないとは言え、楓もそんなしつこく思われてると思ったら気分悪いだろう。中津川にしてみれば、ただ楓を困らせていないか心配しているだけなのだが。
さて、
それならばどうする?
今の楓の態度を見れば、はっきりと言ってやらなきゃとぼけられるのがオチだ。
さすがに告白の件を避けて楓に今の気持ちを尋ねることなどできないだろう。
だったら、言うしかない。
中津川からの頼みということを伏せて楓に訊いてみるっきゃない。
そうなると、ある種、真実を打ち明けるが得策だ。
「ところで楓。俺見ちゃたんだよ」
ある種の真実。
俺が現場の目撃者だということを。
「み、見たって、何を?」
「昼休みによ。和水と一緒に校舎裏ブラブラしてたらさ」
そこまで言えば感の良い楓の事だ。俺の言いたいこと全て理解したらしい。驚愕の表情を浮かべながら震える唇で言葉を紡いだ。
「あ、雨音と和水はそういう関係だったのかッ!?」
「は!?な、何いってんだ!?」
全てを理解してないどころか誤解してやがるッ。
「だってそうだろ。ただの男女二人が人気のない校舎裏をブラブラするわけないだろうが。見損なったぞ雨音。お前は美影に一途なやつかと思ってたのに」
「いやいやいや!お前ならわかるだろっ!和水のバカな思いつきに振り回されただけだよ!…ってお前っ…」
あからさますぎる楓の態度。
なにかを誤魔化そうとしているのが顔に出ている。
「話に触れられたくないから無理やり俺と和水をくっつけやがったな」
「…バレたか」
普段ポーカーフェイスのやつに限って肝心なときにボロだすもんなのさ。
俺のズバリの指摘に楓は小さく息をついた。
「どっから見てたんだよ?」
「草葉の影から、ソッーとな」
「どこの覗き魔だよ。にしても和水にもバレてんのかぁ…、はぁ」
「言いふらしたりはしないから安心してくれ。和水もそんなことはしないやつだ。たぶん」
「だといいがな」
疲れきったサラリーマンみたいに虚ろな表情でがっくりと肩を落とした。
励ましてやりたいところだけど、本題にはまだ移ってない。
ここからが本番だ。
中津川から頼まれたこと。
また、俺も単純に興味から知りたいこと。
そう言った思いをこめて、彼に質問を浴びせる。
「それでお前中津川になんて返事すんだよ」
「ん?」
「いや、だから返事。お前、言い逃げされてたじゃん」
「返事ねー」
素っ頓狂な言葉が帰ってきた。
なんだか手応えがない。
壁とのキャッチボールとか、壁とのラリーとか、壁とのシュート練習とか、そんな感じだ。
暖簾に腕押してスカった感じ。ヌカに釘さしてヌボった感じ。
「言い逃げされて困ってただろ?」
「まぁ、な。ああでも別にそこまでは。ただ単に驚いただけかな。戸惑っただけだ」
中津川の任務はこれでクリアってことでいいのかな。困ってないよ、って送ればオーケーっすね。
「それで返事はどうすんだよ」
「そ、そんなの俺の勝手だろ」
「そりゃそうだけど……」
いかんいかん。つい突っ込みすぎたか。
「というかまだ考えてないから答えようがないな」
うろんな目で彼は答えた。
まさか感づいたのかッ!?俺が中津川からの使徒だということに……。
「……」
「……はぁ」
どうやら思い違いらしい。
こいつの瞳はいつもこんな感じだ。
「楓はよぉ」
「ん」
なので質問を変えてみようと思う。
「誰か好きな人いるのか?」
「……なんでだよ?」
質問を質問で返すな。
そんなん俺が知るか。
「いないならオーケーすりゃいいじゃん」
おうし、俺が中津川と楓の愛の架け橋になっちゃうぞぉ。
「そんな中途半端な気持ちじゃ相手に失礼だろ。好きな人いないからコイツでいいやだなんて、バカにするにもほどがある」
で、ですよねー。
「あ、いや、俺が言いたいのは、もっとシンプルに、とりあえずオーケーしてそっから相手のこと知っていく、みたいな」
分かってても言い訳しちゃう。
だってダメ人間ですもの。
「そうか。うん。そういう手もあり、だなぁ…」
でも楓にはなんとなーく効いたっぽい。
やった!ラブリーエンジェルレイニーサウンド作戦成功だッ!
「それで気になってる人、いないんだろ?だったら中津川にオーケーすりゃいいじゃん」
そうすりゃ万事解決ー。
中津川もハッピーで、俺もついでにハッピーっとくらぁ。
と、続けようとしたのだが楓の様子がどことなくおかしい。無言になって少しだけ赤くなっている。まっ、
まさかっ!
「楓、お前…」
「……」
「いるのか?気になってる人が?」
「……」
「答えろよ!」
「い、いや、い、いないヨ。そんな人」
だったらなんでどもるんだよ!
そしてまた無言になってるし。もう十分だ。その反応だけではっきりと理解した。
「…いるんだな。気になる女の人が」
「い、いや!いない!断じていないぞ!」
そこまで頑なに拒否するだなんてなんかあるのだろうか。
まぁ、それに首を突っ込むのも野暮ってやつだけど。
「あれは恋愛感情なんかじゃない。言うなればただの興味だ!ただ単に気になるだけであって愛とか恋とかは絡んでこない!気になるだけであって…」
だけど自分一人で勝手に暴露してる場合はノーカンですよね。
「楓」
「あ?」
「なんとなくわかったからもういいよ」
自分の感情に素直になれないんだなぁ。
そう意味を込めた憐れみの瞳で彼を見る、そしたらまたみるみる赤くなってきた。
「なっ、ち、違ッ」
「ともかく今の問題は中津川だろ。論点ズレてるぜ」
「あ、ああ。わ、悪い」
何時になくパニックになってたな。楓の奴。珍しいこともあるもんだ。
「それで、ほんとになんて応えるんだよ、中津川に?」
「だからまだ決めてない。まあ、今日一日じっくり考えるよ」
「そうか。…はは、あんまり女待たせんなよー」
ニヤニヤと茶化した。楓も笑い返す。
「うるせぇ。ほっとけ」
「結果は教えてくれよ。カラオケ同盟の卒業パーティーくらいは開いてやるからよ」
「それはお前と芳生の組合だろ!勝手に俺を加えるな!」
二人でくらい便所で笑いあった。
「ところで楓」
「ん?」
ふと笑いが止んで再び静寂が訪れた時、俺は思わず彼に尋ねていた。
「お前、小便なげぇな」
「…な!?」
「……」
「…お前に合わせてたんだよ」
俺はお前に合わせてたんだよ。
微妙にぎこちない動きでチャックを上げて、手をあらい、また、騒がしい部活に戻ることにした。
さて、中津川にはなんてメールしようか。
普通に『別に困ってはないってさ。急な事で驚いただけだって。あと楓の小便はながい』と言葉ママに送ろうか……。
しばらく考えて上の一文の小便の件だけを添削して送信した。