第29話(1)
どんな物にも終わりは来ます。例外はありません。諸行無常。行く川の流れは絶えずして、というやつです。
そんなこんなで1ヶ月前、携帯を間違って洗濯してしまい、買い換える羽目に陥ってしまったのですが、旧携帯に比べて新携帯の扱いづらさといったら異常です。
慣れもあるとは思いますが、1ヶ月使っても慣れないのだからやはり問題はコイツ(携帯)にあるに違いないです。
ボタンが小さいから押しづらい、というのには目をつむるとして、入力してから文字になるまでのタイムラグ、目的の漢字に変換できない、メールの接触の悪さ、上げたらキリがないほどです。
同じ会社が作ってるものだから信頼して買ったのに、騙された気分です。
だから、このところ更新速度が落ちているのはすべて新携帯のせいです。
……半分嘘で半分ほんと。
放課後の廊下、部室前。
この時間帯、一般生徒は下校を終えたため、校舎は幾分と落ち着きを取り戻している。そんな静かな中、やけに聞き覚えがある声が廊下まで響いていた。
「ん?」
ドアに手をかけたまま立ち止まる。
ドアを一枚隔てた先(部室)の騒がしさに驚いてしまったからだ。
『きゃああああ、ひにゃゃや!』
『な、和水さん、そっち、そっち行きましたよ、た、倒して下さい!こう、ズバッと会心の一撃、みたいなっ』
『む、むりよ!こわいものっ、って!み、美影がやりなさいよっ!うわ、と、飛び!?』
『きゃわぁぁぁ!こないでぇぇ!!』
『狼狽えるな!羽路学生は狼狽えるんじゃないっ!って、早いっ!わぁぁ〜』
「……」
何やってんだろ。
声からして、中にいるのは美影と和水みたいだけど、二人で叫びあって、ミステリー劇の練習だろうか。
野暮用で、美影には部室に先に行ってもらっていたは良いけど和水と二人でスクリーミングの練習に精を出すなんてまったく予想外である。
『ひに、ひにゃ、ひにゃぁぁ』
どんな切迫感漂う状況だろうとそんな変な悲鳴を上げる人はいないと思うぜ、和水。
『きゃぁぁぁ、こ、な、い、でぇぇ』
そうそう、犯人と対面した時はそういう悲鳴が一番だって、流石美影はわかってるな。
と、落ち着き払って中の様子に耳を澄ませていたはいいが、いくら待っても彼女たち二人の悲鳴は止みそうにない。好奇心が膨らむよりも先に不安が募ってきた。
いつか和水が言っていたサスペンスの練習だろうと思って聞いていたが、彼女たちの慌てぶりから判断するにどうやら違うみたいだからだ。もっとこう、切羽詰まった感がヒシヒシと伝わってくる。
それはもう一大事といったみたいな。
『たすけてぇぇぇ!!』
二人の悲鳴が俺の鼓膜を振わせた。
なんだっ!?どうしたんだっ!?
強姦魔でもでたのかっ!?高校にっ!?
出来れば、そういうのの相手はご遠慮願いたいところだが知り合いが襲われている以上スルーというわけにはいかない。
俺は深呼吸して、腹をくくると決心が濁らぬうちに一気にドアを開けた。
「大丈夫かっ!!」
ブジぃ。
……ん?
ドアを開ける音に混じって足下からそんな変な音がした。
「あ」
敷居を跨ぐと同時に二人分の視線と間の抜けた声が浴びせられる。
中にいたのはやはり美影と和水の二人だけで、強姦魔なんてものは存在していない、ひとまずは杞憂だったようだ。
だが、不思議な事に二人は強張った表情のまま立ち尽くし、俺の事を凝視し続けるだけで次のアクションに移ろうとはしなかった。
「ど、どうしたんだよ。あんな悲鳴あげて…」
意味がわからないので状況の説明を二人に求める。
二人はしばらくの間、黙ったままだったが、やがて美影が重たい口を開いてくれた。
「ゴ、ゴキ○リが出たんです」
ゴキぶリ???
「は?」
恐怖のあまり商標でもないのに伏せ字が発生している小型の昆虫の名が彼女の口から発せられた。
「ど、どこに!?」
すこぶる起こり始めた嫌な予感を振り払うかの如く、俺は勇んで一歩前に出る。女の子二人の前でカッコ良く害虫駆除をしてあげようと思ったからだ。
だけど、何故か女生徒二人は、俺の歩みに合わせるかのようには後ろに一歩後ずさった。
……まさか、な。
二人の冷めた行動が嫌な予感に拍車をかける。
段々とついさっきの記憶がフラッシュバックしてきた。
右の上履きの下から『何か』を踏んだような音がしたんだよな……、それに、まるで丸めた海苔(おかしな表現だが)を踏んだような感触も……。
「……そこ」
引きつった顔で美影は俺の右足を指差した。
「……」
あああァァァ、なんてこったい……。
たらたらと汗が流れてきた。
出来ることなら今日はもうこの位置が一歩も動きたくないが、そうもいかない。
心の中で十字をきって、アーメン、と唱える。意味はよう知らん。
それからそっと、なんだか急に重たくなった右足を上げた。
「うわぁぁあ、ぁあ、ぁぁぁぁ」
そこには、
見てはいけないものがあった。ジーーーーーザス!くたばっちまえアーーーメンっ!!
心の中でも現実世界の自分に負けない勢いで俺は叫び続けた。
おれはっ、神をっ、許さないっ!!
「うわぁ…」
結果的には害虫駆除に成功したにも関わらず女性二人から贈られたのは『わぁ頼りがいがあるぅ』という感心の瞳ではなく『エーンガチョエンガチョ』という蔑みの視線であるという不思議。
俺の足下の事実に若干引き気味の和水さんと美影さんは、青い顔を元に戻そうと、俺を置き去りにして落ち着いたように椅子に座った。
「放置プレイですか……」
上履きで糸を引く弾けたアーモンドに視線を移さないよう窓側を向いた二人に聞こえるように呟く。
「……」
それでも彼女達は黙りだった。
「和水、ティッシュ取って」
「ん」
机の上の箱ティッシュを取ってくれるような頼むと意外にもあっさり渡してくれた。
こっちを見ないようにあっちを向きながらだけど。
手に入れたお鼻に優しい柔らかいちり紙で上履きについた死骸を拭う。
ううっ、いやな感じ。
「ちくしょう……」
水の滴る上履きを持って再度部室に入室する。死んでしまった生命に対しては申し訳ないが口からは常に呪詛が飛び出てくるようになっていた。
なぜなら俺は完全に被害者で有るからだ。そして加害者は間違いなく芳生だ。あいつが食べ散らかしたチョコとかポテチのゴミをそのまま部室のゴミ箱に放置するから虫が沸いたのだ。
芳生が部室に来たらまず頭をぶん殴ってやる。
「あいつら凶悪よね」
上履きを水洗いし、乾かすため干す作業をしていた俺の耳に和水の声が飛び込んだ。
上履きを水洗いという行為にそこまでするか、と思うかも知れないが、潔癖な和水それをするしか許さなかったのだから仕方ない、雑巾の上で新聞紙を詰めてドアの横にそれを置きっぱにし、俺は屈めていた腰を上げ立ち上がる。
「本当にその通りです」
和水の意見に美影は首を縦にふりながら同意している。ここでいうあいつらというのは間違いなくゴキブリさん達を差すのだろう。
右だけ靴を脱ぐのはバランス悪いので両方脱いで靴下だけの状態でヒョコヒョコと歩いて俺は席につき彼女達の会話に加わった。
「凶悪ってそこまでいう程じゃないだろ」
彼らだって同じ地球に生きる仲間なのだ。生命をもつものとしてあまり卑下た言い方はしたくない、と僧侶みたいな思考に至っているのは先程のインパクトの大きさからだろうか。
「いいえ、凶悪で最悪で絶対悪よ!彼らがこの世に生存しているだけで、私の心臓が幾つ有っても足りないわ。早くいなくなってしまえばいいのに」
同じ地球に生きる仲間なのに存在価値を完全に否定する和水。俺もどちらかと言えば和水よりの考えだが少しばかり彼らに同情してしまう。
存在否定とかそんなの悲しすぎるもの。
「随分な物言いだな。冷静に考えてみたらゴキ○リだって昆虫だぜ。お子様大好きカブトムシと同じ分類だ」
なので、出来るだけ価値の底上げを試みる。他力本願。
「なーにが、カブトムシよ!じゃあ何、雨音はムシ○ングにゴキブ○の参戦権を主張してるわけ?」
「いや、してないけど……」
「同じ事でしょ。大体虫バトルに彼らが参加しないのはおかしいわ。カブトよりも早く、クワガタよりも強い彼らがね!」
「嫌だろ!リングであいつらがカサカサと走り回ってたら!」
俺がおぞましい想像を口にして叫んだら、和水は不敵な笑みを浮かべた。
「ふふん、認めたわね。口では○キブリ擁護してても所詮そこまで。ちゃんちゃら可笑しくて臍で茶が沸いちゃうわ」
言って、和水はこれ見よがしに大口開けて『わはははは』と笑い出すから温厚な俺様もカチンときてしまうわけだ。
こうなったら意地でもあいつらの味方でいてやる。
「いいか?大体にしてゴキブ○達は太古の昔、それこそ恐竜時代から姿形を変えずに生きてきたんだぜ?哺乳類はネズミ類しかいなかった時にだぞ。それを新参の人類がバカにして除け者にするなんて恐れ多いとは思わんのかね」
小学生の時、博物館で得た古い知識の埃を払い、ここぞとばかりに披露する。
「思いません!」
しかし、俺の意見に真っ向からの対立に名乗り上げたのは和水ではなく、美影であった。
「なにが太古の昔ですか!そんな時代からいるんだったら進化してもうちょっと愛されやすいフォルムになる努力をしたらどうですか!」
「あ、いや、進化って役に立つ方向にしか向かないからさ……」
美影は外の冷え切った冬の夕暮れとは違い、夏の灼熱の太陽のように熱くなっていきり立っている。
一体彼女をここまで突き動かす情熱はなんなのだろうか。
「進化を怠った生物は淘汰されるのが常です。彼らは太古に進化する事をやめてしまった怠惰な生物なのです。成長が完成したといっても過言ではありません。それならばっ!」
叫んで美影は椅子をはじき飛ばさん勢いで立ち上がる。
恐ぇー、超気合い入ってるよ美影さん。
「何故人類との共存、ないし更なる進化を目指さなかったのかっ、と彼らが人語を解することが出来たなら小一時間問いただしたいところです!」
ゴキブリと小一時間向き合ってるだけで発狂しそうである。
「さ、更なる進化ってなにさ?」
「それは……」
そこで彼女の情熱は一旦途切れたかにように見えたが、二秒ほどで復活の兆しが見えはじめた。
「愛されボディです」
「「は?」」
美影の意味不な発言に和水と一緒になって口があんぐりになってしまった。二人並んでどっかの遺跡の埴輪みたいだ。
だって意味がわかんなかったんだもん。なによ、愛されボディって……。
俺たちの迷える視線に気が付いたらしい美影は咳払いを一回すると平然と続けた。
「愛されやすい、つまりカブトムシとかテントウ虫みたいに格好可愛い造形になる努力をすればいいんですよ。そうですね、名を冠するなら、恐いとモテるを足して『コワモテの愛されボディ』……これです!」
…どれですか。
美影、何時になく迷走し始めたな。彼女がまさかゴキブリの将来性(進化)についてここまで真剣になるタイプだとは思わなかった。
「コワモテの愛されボディ、ねぇ…」
美影の跳躍しすぎた説明に相変わらずポカーンと口をだらしなく開けっ放しだった俺は隣で俺と同じ状態だった和水が再び動きを開始していると気付くのに時間がかかった。
おいおい、まさか、美影の訳の分からない話を鵜呑みにしたわけじゃ有るまいな。
「それって具体的にはどういうことよ?」
「そ、そうですねぇ」
愛される造形とはどういったものなのだろう、和水の質問は要約するとそういうものなのだろう。
なんだ思ったより和水も的を得た質問をするじゃないか。おーし、そのまま美影の意見を現実的に見返しちゃえ。
「テントウ虫の斑点みたいのとか、可愛くないですか?」
「何よそれ、他の昆虫のパクリじゃない。アイデンティティがないわ。没」
えーと、あれ?
なんか話の方向性がまた怪しく……。
というか彼女達はなんの話をしてるんだ、ゴキブリ?ゴキブリがどうすれば可愛くなれるかについて?
……
ああ、もう、意味わからんッ!
「じゃあパンダ柄なんてどうです?みんなの人気者ですよ」
「模倣で愛されるなんて論外だってば、没」
「うーん、あ、玉虫みたいに虹色だったら出会った時に幸せな気持ちになれませんか?寧ろ願ってエンカウントしたい、みたいな」
「その理論だとコガネクワガタみたいに黄金のゴ○ブリなんかにも望んで会いたくなっちゃうわね。もう冷蔵庫の裏がワンダーランド。だけどやっぱり他の昆虫のパクリじゃないの。だからそんなじゃダメだって、真の人気者たるやオリジナルティに溢れないと」
「収斂としてアリだとは思うんですけどね。そういう愛されボディもあるという話です」
「もっと真面目に考えてよ。参考にするのは良いけどパクリはダメよ。あくまで人気の虫の傾向を見るだけだからね」
真面目に、何を考えてんだ、この女子二人は。
カオスだ、カオスすぎる。
混乱を極める俺の脳味噌を置いてけぼりにして、二人の境地、結論に至ったようである。
「分かりました!ピンクですピンク!ピンクの○○ブリ!しかもショキングピンクです!これこそがコワモテの愛されボディですよ!」
「そ、それよっ!」
どれよ?
「それこそが我々が求めていたコワモテの愛されボディよ!○キ○リも全身がショキングピンクだったならばあそこまで嫌われることは無かっただろうに……」
和水が残念そうにぼやいた。
ええー、それは絶対にないと断言できるよ。
もしゴキブリがピンク色だったら尚更嫌なイメージが浮かびそうだし別の意味でショッキングだろ。なんていうか、その、縁日のピンクヒヨコ詐欺。ただ塗っただけかよ、みたいな。
「はい、全くもってその通りです。ピンクは女子に人気の色ですし、あの色を着こなせる男子はモテる、とテレビでやってました」
なぬっ!?
「ピンクは両刃の剣のようなイメージですかそれさえも凌駕する生命力をもつ○キブ○ならば程よくカスタマイズされるはずです」
「えぇ。○○○リがもしピンクだったらまだマシな目で見れたかもしれないのに。私も好きだしピンク」
何だって!
「みっ、美影は!?」
「はい?」
「美影はピンク好きなの?」
二人の会話についていけず黙ったままだった俺が急に喋り出したので美影は驚いていたようだが、すぐにいつものように落ち着いた口調で答えてくれた。
「私も結構好きですねピンク」
何だってぇぇぇ!
「そもそもにして私はピンクという色は負のイメージを払拭するのにもってこいのものだと思うんです。だからゴ○○○のあの触角なんかもピンクにコーティングされていれば恐ろしさも半減……」
彼女には悪いが後半のゴキブリの件は俺の耳には入ってこなかった。というか会話文にゴキブリが出る度に伏せ字が増えて行って最後にゃ訳の分からないことになってるじゃないか、とそんな事おいといてっ!
俺の耳に届いたのは、『ピンクを着こなせる男子はモテる』と『美影もピンクが好き』という2つである。
うぉーーし!
人知れず気合いを入れる。
ピンクだピンクっ!今度美影と私服で会うときはピンクを着こなしてみせるぞっ!
ゴキブリに触発されてピンクを着ようか真剣に悩む、そんなこんなで過ぎる16の冬。