28(3)
執筆するにあたり自分で決めたルール。
1.途中で投げ出さない
2.別の話を書き始めない
この2つは今のところ守れていると自負しております。
あぁ、でも、別の話も書いてみたいなぁ…、でもなぁ、絶対どっちかが疎かになっちゃうからなぁ、でもなぁ…
六時間目の体育のカリキュラムは引き続きマラソンである。
前の授業の時、体育教師がキレて、欠席した生徒を呼び出し説教たれたことから本日の授業欠席者は0になった。
それ自体は素晴らしい事だが、マラソンという内容が変わらないのが問題だ。
「かああー、つかれたぁ」
解散し、先生のもとを離れた瞬間、口々に愚痴をたれる絞られた男子生徒たち。
先生の前でそんなこと言うと甘ったれるなっ!とキレられるのであまり声を大きくはしない。というか走れば疲れるのは当たり前なのだから理不尽な怒りだろ。
「きもちわりぃ、なんで帰る前にこんなことしなくちゃなんねぇんだ」
「汗びっしょりだぜ、ほんと疲れた」
体育の後、男子は教室に帰る前にジャージをロッカーをしまいに行く。
女子には更衣室とか素敵なものが完備されているのだが、男子にはそれが無く、そのままロッカー前で着替えるしかない。
そのため、体育後のロッカー前は異常に混み合い、着替えているだけで休み時間が終わるなんてママなのである。
まあ、もっとも更衣室は教室から遠いという理由で余り利用されていないため、女子の大半が自分達の教室で着替えを行っており、結局今行っても廊下で待ちぼうけをくらうのには変わりない。
次の授業に食い込んでまで着替えが続くことがごくたまにあるほどの長さだ。
「雨音見ろよ俺のジャージ、体育館でスライディングしてたら、摩擦熱で繊維が溶けてツルツルになっちゃった部分があんだぜ」
「お前の脳みそのがツルツルじゃねぇのか?」
「なんだと!取り消せ!……って、お前なにやってんの?ロッカーじっと見て」
「い、いや別に」
仄かな期待を抱いて開けたロッカーには未だに変化は見られなかった。
変化といえばジャージがあるかないかだ。
「ははぁん、さてはチョコを探してたな」
「う、うるせーぞ斎藤。黙ってろ!」
「かははは、無駄よ無駄、今更何も変わんねーよ。諦めろよいい加減、そんなに執着してっと女子から嫌われるぜ」
「お、俺の勝手だろ」
今年もチョコレート0か。
あ、一個部長から貰ったか。でも、あれ…結局買ったチョコだしな、挙げ句の果て斎藤に食われたし。
俺が密かに斎藤に恨みを抱いているのを当の本人は一切存ぜぬといったようで、隣で着替えを始めていた。
「ところでお前昼休みの呼び出しは結局なんだったんだよっ!」
「……なんでもねぇよ」
「はっ、そういう態度ということはバレンタインは関係なさそうだな」
「さあな」
「引っかかんないぞ。ひひーんだ」
ある意味関係はあったけど、俺は今日の思い出を他人に話すことはないだろう、うん。
斎藤はそのまま鼻歌混じりに着替えを続けた。
…安藤さんか…。
でもあれは素直に嬉しかったな。急に抱き付いてくるからびっくりしたけど、女子とあんなことできるなんて、今日の出来事として俺の人生史に刻まれることは間違いないだろう。
「あら雨音、体育だったの?」
心の奥底のニヤニヤを払い抜けるように、ロッカー前で着替えを続ける三組の男子達の前を、平然と通り抜けていた別のクラスの一団から見知った顔の女子が俺に話しかけてきた。
「あん?和水?」
「うちのクラスは理科の実験だったのよ」
俺たちは体育だから着替える時間を考慮されて早めに終わったのだが、本当はまだ六時間目の授業中だ。
それなのに生徒の一団がずらずらと通っていたから不思議に思っていたが、奥の棟の理科室を利用していたからだったのか。
「蒸留の実験したのよ」
訊いてもいないけど…。
和水は楽しそうな笑顔で上は体育着下は制服というキメラ状態の俺に気さくに話しかける。
なんという無頓着なやつ。
男子といえど異性に裸を見られるのは適わんわ。
俺はギリギリ他人に見られても大丈夫な格好だから良かったけど、隣の斎藤なんて今さっきまでパンツ一丁だったぞ。それから慌てて着替えたらしいからシャツのボタンを掛け違えてやがる。
「体育はマラソンだったのね?こんな寒い中ご苦労様」
「なんでわかんだよ」
「名探偵ですから」
カッコ良く顎に手をあててポーズ決めながら和水は言った。
理科室からグラウンドを眺望できることを思い出したから、むしろその行動はチンケに見える。
和水は名探偵でなく、偶然それを見ただけなのだろう。
「そいつはスゴいや」
「むっ、何よ、その疑うような目は…」
「べつにぃ〜」
「あ、汗の湿り具合から判断したのよ」
「ほう、なるほど興味深い」
本人にしてみればホームズばりの名推理を披露しているつもりなのだろう。
だがしかし、ネタはもうあがっているのだ。
ただ可哀想だから適当に相槌うっといてやろう。
和水はそんな俺の気配を敏感に感じ取ったらしい、ネタが指摘される前に話題を転換することにしたようだ。
「ところで話変わるけど」
いつもの和水ならわざわざ断りを入れるなんてことはしない、だからこれが彼女が何かを誤魔化そうとしているのがもろばれである。
「雨音にはまだ渡してなかったわね」
そう簡単に誤魔化せると思うなよ、からかってや…
びくっ
身体がその一言で大きく震えた。
渡す…?
渡すって、さあ…。
俺が昨日今日と恋い焦がれた魅惑の言葉だ。
興奮とは裏腹に脳みそはグングン冴えてきた。
白々しく聞いてみるのがオレ流、ここで焦ってはいけない。
「何を?」
「チョコレートよ」
チョコレート、その言葉に俺は一気にテンションが脳髄を突き抜ける感覚に包まれる。
部長とか安藤さんでは感じることが出来なかった興奮の荒波、アドレナリンの噴流に脳内は激しくかき混ぜられる。
流石和水!やはり彼女だった!彼女が一番ストレートでわかりやすい!そんな彼女だからこそ男子の気持ちにも応えてくれるんだ!
「な、なによ、急に黙ったと思ったらニヤニヤしだして…。気持ち悪いわね」
「感謝してるだけだよ」
「ふーん」
鼻での笑いを引き延ばしながら、和水は脇に抱えたままだった理科の教科書を掲げた。
混じっていたから気が付かなかったけど、そこには赤い包装紙にラッピングされたこの時期の男子が喉から手が出るほど欲しがるソレがあった。
「はい」
「アリガトー」
出来るだけ興奮が表にでないように感謝の言葉を伝える。
その代わり、心の中では、この広い世界中のなにもかもひとつ残らず彼女にあげる勢いで感謝セール中であるっ!
しゃぁぁぁぁスゥゥ!どうもーアリガトーーーーッス!
世界の水道橋和水様に感謝ャャャ!
「もうなによ、淡泊ね。もう少し感謝してくれてもいいんじゃないの?それ結構高いのよ」
「ははは、アリガトよ」
絶賛感謝祭中なのには変わりない!
水道橋和水、あんたが神さぁぁ!
サンキュー!シェイシェイ!ディモールトグラッチェ!
世界の挨拶、有難う!
「死ねぇぇ!」
「ぐわばっ」
鼓膜をつんざく殺害宣言と供に突然背中に痛みが走った。
ぎぃぁぁ!?
勢いよく前に吹っ飛ぶ。
和水には衝突しなかったが、それにつけても結構な衝撃である。
両手を床に着くことでなんとか姿勢を立て直し、転ばずにすんだが、
あぶ、あぶ、危ねぇ!
誰かに蹴られたらしい。
犯人は勿論目前で面食らっている和水ではなく背中にいた男である。
「くっ、斎藤!貴様!」
「グダグダうるせぇ!男なら黙って拳握れやぁ!」
「はぁ!?」
さっきまで俺がいた位置にはきっちり制服に身を包んだ斎藤がリングにあがる前のレスラーみたいに気合いを入れながら立っていた。
怒鳴り声を上げながら、挑発するようにかかってこいと指をクイクイさせている。
「なんでそんなに喧嘩腰なんだよ!」
「来いやぁぁ!」
「行かねーよ!」
「ちょっと急になんの遊びよ」
完全に蚊帳の外状態だった和水が苛だたげに声を上げた。
その声にひたすらレスラーみたいだった斎藤はヘコッと態度を変える。
「いやぁ、水道橋さん、お久しぶりです!」
俺に向けていた目を和水に向けて斎藤はさも当然と彼女に話しかけた。
「えっ、え〜…。……そうね!お久しぶりねっ!」
和水のやつ絶対誰かわかってないな。
「入部試験の時以来ですねー!」
「ええっ!そうね入部試験時以来ね!」
長っ!そんなの軽く半年以上前の話じゃないか!覚えてなくて当然だよっ!
「それよりも水道橋さん。こんなやつにチョコ上げるなんて勿体ないにもほどがありますよ」
ビシっと俺を指差した手を上下に揺らしながら斎藤は言った。軽くムカッ。
「こいつにあげるくらいなら、その、あの、えっと…」
なんだアイツ、言葉を濁らせて一体何が言いた…
「俺に下さいっ!」
って、それが本音かよっ!
斎藤め!見損なったぞ!
「あなたにチョコを?」
今日は嫌に可愛らしく見える水道橋和水は、目の前の頭がイカレている変態に戸惑っているご様子だ。
そりゃそうだ、あんな変態にあげるチョコなんてあるはずが…、
「それは別に構わないけど、」
な、イイイイっ!?
なんだとー!?
そんなバカなっ!?
そんなのってないよっ和水さんっ!?
「マジっすか!?ありがとうございます!」
「丁度理科の先生に渡しそびれたチョコも余ってることだし、ただ…」
「た、ただ?」
視線を上に上げて何か考えるように和水は答えた。
「欧米のバレンタインは女性だけでなく男性もプレゼントあげる日だときいた事があるわ。それなのに日本は女性からだけってフェアじゃないじゃない」
俺もそんな話を聞いた覚えがあるが、ここでその話を上げる意図が分からない。
「つ、つまり」
「なんか頂戴」
…流石和水、ストレートです。今日はお前を尊敬しっぱなしだよ。
「なにか、と言いますと?」
「何でもいいわよ。チョコでもクッキーでもグミでも花束でも」
「……!」
和水からそう言われ、しばらく廊下で立ち尽くしていた斎藤は何か思い出したように、
「少し待ってて!」
と、彼女に言い残すと何処かへ走り去って行った。
後に残された俺と和水は、彼を無言で見送る。
「何をくれるつもりかしら」
キラキラと目を輝かせて和水が呟くように言った。
「お前いきなりもの凄いな…」
和水から対価無しでチョコを貰った立場としては多くは語れないが確かにそう思う。
「何がよ」
「いや、ほら、ずけっと物を要求するとことかさ」
「そう?だって実際その通りじゃない。私はバレンタインデーという問題に一石を投じたに過ぎないわ」
「一石ね…」
男性が女性にプレゼントを上げるという企画は日本人には定着しないと思うけどなぁ。
日本男児は硬派だから。
「大体私はかねてよりバレンタインデーはおかしいと思ってたのよ。なんで聖ヴァレンティヌスの命日にそんな行事しなくちゃなんないのってね」
「命日って…、そうだったの?」
「…たしか…。……それより彼、何をくれるんだろー」
和水は自信なさげに答えたあとで楽しそうな声を上げた。
その声に答えるように足音が響き、やがて階段から手に何か持った斎藤の姿が現れた。
走ってきたらしい、激しく息を切らせている。
「はぁはぁ、こっ、これ…」
斎藤の手に握られていたのは彼が今朝食べていたソーダゼリーであった。どうやら三個入りのやつを買っていたらしい。
し、しかし確かこれは教室の彼の鞄の中にあったはずだ。
「さ、斎藤、お前。これ……」
そして、教室は今、ほぼ間違いなく着替え中の女子が占領しているはずである。その中に飛び込んだというのかっ!?
「お前どうやってゼリー取ってきたんだよ!」
「っふ、野暮な事は言いっこなしだぜ…」
「なんで誇らしげなんだよ!」
こ、こいつ!?
大勢の女子に好かれる事よりたった一人の女子からチョコを貰う事を選んだというのかっ!?
斎藤!お前の命がけの行動、俺は敬意を表するッ!
「あ、ごめんなさい」
和水が静かにいった。
「私ゼリー、ソーダだけはダメなのよね」
「……」
正解は『斎藤は女子に頼んで取ってきてもらっただけ』、侵入とかはしていません。たぶん。