第28話(1)
今日も今日とて前書きを持て余す。
冷たい北風が吹き荒れる冬の早朝。
気温は一桁で、そんな状況下では身体は当然冷えてくるのだか、それとは逆に心の中は期待というドキドキによって、暖まっていた。
2月15日。
男子全員が意識してしまう、あの日が日曜日だったので、期待は次の日の月曜日に持ち越されたのだ。憂鬱な月曜日もそんな状態なら変わってくる。
そう、前日の14日は、バレンタインデーだ。
バレンタインが日曜日だったのは、男子にとってみれば、ある意味救いかもしれない。
言い訳が通用するようになるからだ。
チョコレートが貰えなかったのは当日ではなかったから、仕方ないさ、と、自分に言い聞かせる事が出来るのだ。
なるたけそんな惨めな気持ちになりたくないな、と思いながら、俺は最初の試練となるロッカーの扉を開けた。
「……」
ザッと見通す。
ディテクターオン!Search!
検査にはものの数秒かからなかった。
…異常なし。
ロッカーの内部に特に変化は見受けられない。
プレゼント包装されたお菓子なんてなく、甘い香りの代わりに、いつもの汗の染み込んだ体操着の香りが仄かに漂うだけだ。
う、くそ、気分が悪くなってきた。
気持ちを切り替えて、教室に向かう事にしよう。
いつまでも俺がここにいたんじゃ、女子が近寄りづらいもんな、ははは…。
落胆の色濃く重たい足取りで移動を開始する。
ふらつく足で階段にたどり着いた俺は、手すりに半分よりかかるように、ゆっくりと階段を上がっていった。
…まだだ、まだ俺には机の中があるっ!それに放課後まで時間もたっぷりだ!
それに貰えなくても仕方ないさ大体今日はバレンタイン当日じゃないんだから!
「おはよう」
「あ、部長おはようございます
教室に向かう階段の途中の踊場で、上の階からトントンとリズムカルに下ってきていた部長とすれ違った。彼女は両手に紙袋を下げていて、一段下るたびに振り子のようにそれが前後にゆれている。
なんだあれ、重そうだな。
朝の挨拶を軽く交わして、そのまま足を止めずに教室にいこうとしたとき、俺の脳はその紙袋の中身について考察を終えていた。
お!あ、あれって
「あ、まて雨音」
「な、なんですか!?」
まさか!
俺が導き出した紙袋の中身、それは言うまでもなくチョコレートである。
そして、ここで女子の部長が男子の俺を呼び止めらる予定といったらもう一つしか浮かばない。
うぉぉ!テンションがマックスにぃ!
「わかっているくせに白々しいやつだな」
「ななな、なんのことですか?そそそ、それより急に呼び止めて何なんです?」
「ははは、恵まれない男子たちに愛の手をな」
「仰ってる意味が良くわかりませんけど、なんでしょうか?」
言い方が気になるところだが、好意は素直に受け取るのがオレ流だ。
部長は右手にぶら下げた紙袋を左手でゴソゴソとほじくり、しばらくしてから何かを取り出した。
まあ、なにかっていっても大方予想はついているんだけどね。
「ほら」
「ありがとございます!…って、これ…」
左手に包まれている10円玉くらいの小さいチョコレートを部長から差し出された。
とても美味しそうな一口サイズのチョコレートだ。
うん、これ、あれだね、けっこう好きだけど、ほら、
「チ○ルチョコですか…?」
「うん」
やっぱりー。
頷いてくれるのはいいんだけど、喜びが半減したな、…美味しいけど、値段的に…。
「ありがとうございます」
ひとまず貰っておこう。
俺は二度目のお礼を言ってから、チョコを受け取ろうと手を伸ばした。
「あ、こら。何をする」
しかし、指がそれに触れる前に部長は文句を言いながらチョコを握りしめ、遠ざける。
何をする、って、は?意味分からん。
「く、くれるんじゃないんですか?」
「誰があげるなんて言った。無償で何かを得られると思うなよ、若輩者が」
「え、だって、え?」
「昨日までならタダだったけど、明けて今日は有償だ。甘ったれるなよ、甘いのはチョコだけで充分だ」
上手くもないギャグについて一瞬考えてしまったが問題なのはそっちではない。
昨日はバレンタインデーだった。つまりその時ならば快く部長はチョコをくれたというのだ。ただし、1日経って15日になってしまったらタダではチョコはあげられない。怪しい話だが、言いたいことはそういうことだろう。
「えー、そんな理不尽な」
「理不尽じゃない、何かを得るためには何かを犠牲にしなくちゃいけないのは世の常ではないか。それ相応の対価を払ってもらわなくちゃコイツはやれないね」
「コイツって、チ○ルチョコじゃないですか!たしかそんなにしないでしょ!?それくらい快く下さいよ!」
「だぁぁぁ〜、甘い!なんて甘い考えだ!これが全入時代、就職氷河期、少子高齢化で甘やかされてきた弊害か!」
「部長だって俺らの世代とさほど差ないじゃないですか!」
部長は浪人やダブってはいないはずだから、学年と年齢で言えば俺らの一個上で、大人になれば同い年のようなもんである。
そんなたかだか一学年上なだけな上級生に「今の若者は…」なんて説教くらいたくない。
「はいはい。全く口だけは達者なんだから…」
部長は年長者らしく、せせら笑いを浮かべた。
「うっ、その一言は反則でしょ…」
それ言われると負けた気がしてきてしまうのだ。
「さ、お戯れはこれくらいにして本題に移ろうか」
部長は、うんうんと二回首を縦にふって切り替えを行う。
お戯れ、ねぇ…。少なくとも俺にはそんな気なかったけど。
「本題…?ああ、チョコですか、もういいですよ。そんなに渋られて受け取っても嬉しくないですし…」
ウダウダやって得るものが小さなチョコ一粒じゃ報われないにもほどがある。
そういう労力をさくのは手作り以上のレベルからだろう。
「まぁ、そう言うなって、今なら特別特価、ミルク味のチ○ルチョコ、なんと20円で販売しております!」
「高っ!?」
なんだそれ、詐欺じゃねぇか!なんで10円で売ってるもんを20円で転売すんだよっ!俺は原価知ってんの!初めて日本を訪れた交換留学生とかじゃねぇんだよ!
もとのお値段が良い意味で驚きなのに、今度の値段は悪い意味でがっかりだよ!
だと言うのに部長は真顔のままで言葉を続けた。
「ケチ付けないでください」
真顔でいうことじゃないっ!
「ケチじゃねぇよ!一般論だよ!なんで値段が倍に跳ね上がるんだよ!高いよ!」
「むぅ、何を〜!いいか、よく考えてみろ!決して高いなんてことないぞ!ピチピッチの女子高生であるこの私がわざわざコンビニまで出向いて購入し、自宅の冷蔵庫で丸一日保管していたのだぞ!もう一度言う、じ・た・く、でだ!それだけで、このものの価値は100円くらいにはなっているのを今なら20円で売ってやろうというのだ、なんと良心的なことか」
「とんだ悪徳商法だよ!」
少なくとも女子高生にブランドを感じるほど俺はまだ耄碌していないんはずだ。たぶん。
「もういいッス。埒があかないんで、購入は見送りにさせてもらいます、それじゃ」
そういう結論に至った俺は部長背後の踊場に残し、教室までの廊下に出るための残り数段に足をかけた、その時だった。
「え?いいの?友達に一歩リードできるけど」
びたっ
進もうとする意志とは反して、空中に俺の右足は静止する。
うう
「優越感に、浸れるわよ」
重力に逆らわなければ、前にいけるはずなのだ。動け!我が足!悪魔の言葉に耳を貸してはいけない!
「ピッチぴちのうら若き乙女の思いを受け流すのかな?」
「……」
「ねぇ、雨音ぇ」
部長から普段聞かないような猫なで声が、発せられ、あ
「…一個ください」
「毎度ありー」
結局買っちゃったよ。
教室についた俺は、友達との朝の挨拶もそこそこにし、早速自分の机に移動した。それから鞄を横の取手にひっかけることもせず肩に背負ったまま机内部の探索に移る。
「……」
ディテクターオン!
…するまでもなく結果は明白だった。
教科書を鞄につめて持って帰るような優等生ではないので、俗に言う置き勉状態できっちりと教科書が詰まった机の中には箱に入った茶色いものなど入る余地などなかったのだ。
ああ、もっときちんと教科書を持って帰っていれば…
俺の心情はテスト前のそれになっていた。
「神様は残酷だ……」
教室をぐるりと見渡す。
クラスメート半分以上が登校した状態の教室の中には二つの壁が出来ていた。
まず、キャピキャピと楽しそうに「友チョコ」とかいうのを交換しあう女子たち、
今ならチョコレート工場の陰謀にも乗ってやるからソレを分けろ、と恨めしそうな視線を女子に送る男子たち。
俺は女子たちの中に美影が混じっているのを見て、テンションをマイナス値にしながら、男子の集団の波に視線をやった。
なんか惨めだ。猿山の猿団子を思い出す。
「残念な結果だな、肩をガックリ落としちゃって」
暖房前にたむろっていた男子集団から斎藤が抜き出て俺に話しかけてきた。
彼も俺と同じような表情をしていることから、結果を訊くまでもないだろう。
「惨めだなハハハ!」
「笑うな」
朝からムカつく笑いを浮かべながら斎藤は、登校時コンビニで買ったであろうゼリーをスプーンでズズッとすすった。
ソーダゼリーなのだろう、きれいな水色が宝石みたいに輝いている。
「チョコ毎年0は寂しいよなぁー、最後に貰ったのは保母さんからですかー?」
残ったゼリーをカップごと傾けてジュースみたいに飲みながら斎藤が効いてきた。
「お前はどうだったんだよ?」
質問には敢えて無視して、聞き返す。記憶の糸を辿ればそれに近い結果に行き着きそうだったからだ。
「俺ぇ?俺?ハハハ聞いちゃうかなそれを」
語尾にカッコ笑いをつけて斎藤は、俺とは違い答える意志をみせた。
ってその反応を見るに、まさかのまさかだよな!?
だってさっきはあんなに陰鬱な表情してたし、コイツが女子からチョコ貰えるなんて天変地異でも無い限り、あ
「三個貰ったぜぇ!」
ありえない!
うわぁぁあ、ぁぁぁ〜、こ、コイツに負けたぁー、とか、嘘だぁぁぁぁ!
「嘘をつくなっ!」
だから叫んでいた。
「う、嘘じゃないもん」
なにが「もん」だ。それは可愛い女子がやって初めて効果をだすんだ、貴様のようなムサい男子がやっても殺意しか湧いてこないわ!
「じゃ、誰に貰ったか言って見ろよ」
「う、」
言葉を窮す斎藤。ほらやはり、予想通りやつの意味ないブラフだな。
こんな簡単な追求に挫けているようじゃまだまだ。
「い、いいだろう。聞いて驚くな、まず…」
「え?マジ?」
マジで発表すんのかっ!?
ってことはまさか本当に…
「母さんだろ」
「……」
それはないか。
「それから姉ちゃん」
「身内だけじゃねぇか」
「そして自分から、合計三個」
「最後をカウントすんなタコっ!」
自分へのご褒美はよそでやれ!
だがおかげで安心できた、何故なら斎藤も今年のチョコはゼロだということを教えてくれたようなものだからである。
彼の勇気に免じて、敢えて心の中だけで言おう!
中学の頃チョコ貰ったことなくて、高校にいったら沢山貰えるんだろうなって思ってたけど、別にそんなこと無かったぜ!
「まぁそんなこんなで三個貰った俺はお前より進んだ存在なのだよ。全く哀れよのう。ワラにすがるように机を覗きこんで」
「うるせぇな、お前だってどうせ見てみたんだろうが、んで結局無かったんだろ?」
高校になったらチョコが一杯もらえる、そういう風に思っていた時代が私にもありました。
「確かに今年は無かったが、今まで一度だけあったことがあるんだなぁ、おれには」
「はぁ!」
嘘だ!またさっきと同じように嘘に違いない!
「あれはそう!小五のバレンタインデー…」
勝手に思い出を語り出す斎藤。くそぅ、誰が詳細を求めたか?…うう、頭でそう思っていても思わず耳を傾けてしまう…。
「俺は朝一番に登校し、机の整理をし始めた!」
「ほう…」
そんな甘酸っぱい思い出がない俺にとって羨ましい体験談が語られようとしている、耳をふさいでもいいんだけど、興味が出てきてしまった。
「そして、俺は発見してしまったのだ!茶色くて甘い!」
「く、くそ!」
「…一週間前の給食で出された揚げパンにカビがはえているのを!」
「は?」
「好き嫌いが激しかったから机の中にいれっぱにしてたのを忘れていたのだ!」
「チョコじゃないじゃないか!」
「いやでも緑色のカビとかで綺麗にデコレーションされてたぜ」
「だからどうした!」
「過去の俺から未来の俺に、ハッピーバレンタイン…」
「意味わかんねぇよ!」
結局、てめぇも甘酸っぱい経験したことないんじゃないか!
危うく騙されるかところだったぜ!
「だけど俺は思うんだ」
俺の中で完結した話をさらに続けようとする斎藤に俺は頷くこともせず、鞄をゆっくり机の上に置いた。
「この世界の俺がダメでも、平行世界の俺はあの時チョコを貰っていたんじゃないかって…」
うわぁ、この人、電波だ…。
もうバリ3で電波状況良好すぎるほどヤバめだよ。
こういう人にあった時は無視するのが一番って俺の辞書に書いてあったはずだから、なにもしないという行為を実行だ。
「まさにファニーなヴァレンタインをそっちの世界の俺は過ごしたと思うと我ながら殺意わくね、うん」
「……」
「こう、なんていうの、こういう格差が国をダメにするんだとおもうぜ。チョコをもらえる人がいて、もらえない人がいる。こんなんだから戦争はなくならないんだよ。だから女子にはもうちょっと考えてチョコを上げてほしいもんだな。平等に配れば格差はでねぇだろ?自分が彼が好きだから彼にしか上げないってのは、エゴだぜ。いとも容易く行われるえげつない好意だ」
「お前、その考え方異常に疲れねぇ?」
ダメだ、シカトしきれない。
「いんや、全然。チョコみんな貰えばフェスティバルだぜ!ハッピーだぜ!チョコレートディスコだぜ!」
「はいはい、そうだな」
「この考え方マジで革新的だな、次の法案とかで通らねーかな」
「そんなんが通ってたら間違いなく国が滅ぶね」
椅子を引いて、それにドカっと座る。
立ちっぱなしはつかれるのだ。
「いやぁ、でも良かった。我らモテないブラザーズは永遠に不滅だもんな?」
一息ついたように斎藤は良い笑顔で言ってきた。
「モテないブラザーズ?っは、一人でやっとけよ」
鼻で笑う。
そろそろかな、切り札投入!
俺はポケットから一口サイズの伝説のアレを取り出し、斎藤に見せびらかすように頭上に掲げた。
「わりぃな、俺多分お前の言う異次元からの来訪者だわ」
人差し指と親指に挟まれたチ○ルチョコを見て、バルバルバルと震え始める斎藤、驚愕のあまり声も出ないらしい。
「お、おま…」
「ああ、うまそうだ」
「お前それどうした!?」
ようやく人語を紡ぎ出した斎藤は焦りを隠そうともせずストレートに訊いてきた。さっきとは立場が逆になった事ににやけながら答えてやる。
「さっき階段とこですれ違った可愛い女子が雨音くんに上げるぅって言ってくれたんだぁ」
嘘は言ってない。
部長は美人の部類に入るし、今朝俺を君づけしてたような気がする、気分的に。
「嘘だ!」
おやおや、感情的になられて、先ほどの俺と同じ事を叫んでらっしゃる。
「どどどどーせ、じじじじぶんでか、買ったに違いないんだ!」
舌に障害でもお持ちなのだろうか、ある意味良く回る舌で俺に聞いてきたがそれは有り得ないと断言できる。
「この時期、俺にチョコ買う勇気なんかねぇーよ」
「う、それもそうか…」
こんな言い訳で納得されてしまうとは普段からチキンアピールしといてよかったぜ!
「く、くそ、うわぁあああぁぁ」
「あっ、ばか!」
突如として斎藤は俺の手からチョコを引ったくるようにして奪い取ると、コンマ数秒かからぬうちに包装を破り、なかのチョコを口に含んでいた。
時間が吹き飛んだかのような早業である。
「うわぁぁ!俺の20円!」
「ふがふが、うめぇ!」
「わぁあぁん!女子高生の自宅保存のチョコレートがぁぁぁぁっ!」
未練たらたらだった。