第25話
冬と夏なら冬が好きです。
ただ、初夏の爽やかさと夏の終わりは別格です。
部室のテーブルの上に置き手紙があった。
手紙には校庭に集合、とだけ書いてあり、指示の内容に従って校庭に行くと、部長がジャージ姿で仁王立ちしていた。
北風が容赦なく吹き付けるなか、ずっと俺たちを待っていたらしい。
「なにやってんすか?」
「ふん、遅いぞ。待ちくたびれたわ。…これでやっと全員そろったな」
部長は鼻を赤くして気丈に振る舞っていたが、それも長くは持たず、ズズッと鼻を啜ってから続けた。
「今日の会合は校庭だ!」
声が寒さから震えているように思える。
実際今日はかなりの気温だ。下の方に激しい温度は、下手したら死人がでるほどの寒さである。
俺は帰宅するか、暖房の効いた部室に逃げたかった。
「ちょっといいかな…?」
「む、なんだ芳生?手短に頼むぞ」
白い息を吐きながら、頬を紅潮させた芳生が部長に呼びかけた。
ちなみに校庭には今、娯楽ラ部全員が集まっており、グラウンドで活動をする他の部の迷惑にならないように端っこで部長の話を聞いている状態である。
そういう気遣いを出来るなら部員にも分けてほしいところである。
「すごい寒いんだけど…」
「うん。私も寒い」
至極真っ当な芳生の意見に悩むことなく部長は同意する。
寒い、って、…わかってるならどうにかしてくれ。方法はいくらでもあるだろ。
「だったら部室に行こうよ」
一番の解決案は芳生が部長に提案してくれた。
「それは出来ない」
だがしかし、部長はそのベストアンサーを一蹴してから、着ていたジャージの上着を、バッと意味なくカッコ良く脱ぎ捨ててから、言い放った。
「特訓をするからだっ!!」
半袖になって、冷風をモロに食らいながらも部長は姿勢を崩さない。
すげー、俺にはとても真似できないな。こんな寒空に地肌さらすなんて暴挙。
「と、特訓って、なんのですか?」
冬でもスカートを強制されている可哀想な女子高生の一人である美影が、震える肩を抱くようにしながら訊いた。
「む、いまの状況でわからないのか?」
質問を質問で返す部長。
疑問文に疑問文で答えるとテストで0点になるんですよ。
…あ〜、そんな事より寒ぃ。マジでぬくぬくの部室に行きたいです。
「わからないです。うう、さ、寒い、としか…」
「はぁ、まったくダメだな、お話にならないぞ。ほら、彼らを見なさい」
おそらく部員の気持ちが一つになっているのを、部長は知ってか知らずか、すべてを無視して、指を後ろに向けて、グラウンドで練習をする野球部たちを指差した。
…なんだよ、彼らがどうかしたのかよ。
「野球の練習だ!」
そして部長は見たまんまの情景をわざわざ口に出して言った。何がいいたいのか結局訳が分からない。
動物園に行って、キリンみながら『キリン!』って叫んでるようなもんだぞ、…いや、まあ、それは普通か。
「そんなの見たらわかりますよ」
呆れながらも、部長にそう言う。
部長は俺の指摘に、今時の欧米人は絶対そんなことやんないよ、と思わざるを得ないジェスチャー、チッチッチッと舌を鳴らしながら指をふる、を行った。
バカにされてるようでカチンときたが、話を早く終わらせたいから不要なツッコミを今はしないでおこう。
指を振りながら部長は先ほどの言葉に、信じられない衝撃な一言を付け加えた。
「我々が、だっ!」
「…」
風が遠くでいなないた。
そのとき、確かに、
時が止まった。
我々が…?我々って、娯楽ラ部が?
「気合い入れてくぞ!」
って、この話まだ続いてたのかよ。メンバーが足りないから、といえ理由で諦めてはくれなかったのか…。
「…」
一人だけ気合い充分な部長は、闘魂を注入されすぎて寒さも感じないほど感覚が麻痺してしまったに違いない。
だってそうじゃなきゃありえないもの、この寒さの中半袖なんて。
「む、おい。みんなどうしたんだ?もっとやる気を出していこうじゃないか?」
無理です。周りの反応がないことでこの話題がいかに嫌か悟ってください。
「かけ声が気にくわなかったのか?だったら『夢きらめけに明日にときめけ(誤字有り)』とか『やる気元気岩鬼(ドカベン的意味で)』とか『きれいな顔してるだろ?死んでるんだぜ、それ(意味不明)』とかでも別に私は構わないぞ!」
少なくとも今いえる事は一つ。
かけ声なんざどうでもいいよ。
「あ〜、部長」
和水がいつになく静かに手を上げてから言った。
「私は遠慮させてもらうわ。それじゃ部室にいるから」
そのまま上げた手をさよならという感じにふりながら和水は校舎に向かって歩き出した。
俺も無言でそれに続こうと歩き出したところだった。横を一気に部長が走り抜け、和水の腕を掴んでからグイッと引き寄せて動きを止める。
「〜ったい、わね!何するのよ!」
当然痛みがあったらしい、肘をさすりながら噛みつくような勢いで部長に和水は叫んだ。
あぶねー、もうちょっと様子見てから校舎にいこ、っと。
「何、じゃない!協調性がないぞ和水!個性的なのも時と場所を考えろ!」
そりゃアンタだよ。
せめて時期(冬)と場所(外)について本気出して考えてみてよ。
「何が気にくわなくて野球がしたくないのだ?」
さすがに部長、腐っても聡明な彼女の事だ、部員が野球をしたくないという事を本当はわかってくれていたらしい。
だったら中止にしてくれ。
「かけ声か?だったら『夢の舞台に駆け上がれ!』とかどうかな」
やはりわかっていなかったよ。
和水は嘆息しながらも部長に返事をしてあげた。
「私寒いの苦手なの。だから部室から見学させてもらうわ」
ズルいぞ和水。
俺だってそうしたいわ。
「アウト!ストライク三回だっ!」
だけどそれは部長が許さなかった。
意味がわからないかけ声で和水の帰宅を妨害する。
「あ、アウトってなにがよ?ストライク三回って、…10レーン目の話?」
「ボーリングの話はじゃないわっ!今は野球!」
お互いのスポーツ知識を交換しあい二人は会話を発展させていく。
ほんとになんなんだこいつら。寒いんで早く決着つけてくれ。
「野球って…、だから私さっき言ったじゃない。寒いからしたくないって」
さっきよりもズバリと意見をいう和水に部長は見てわかるほど躊躇っている。
「さ、寒いからって…。あ、あいつらを見ろー!」
叫びながらまたもや野球の連中を指差した。
野球はランニングによるアップを終え守備練習に入ったところである。
「頭皮を寒さから守るものがないのに頑張ってるんだぞ!」
…はぁ、まったく。
的外れな意見である。
「なに言ってんのよ!防寒用の髪がなくても野球帽かぶってんじゃない!」
それに対して和水も的外れな反論を開始する。
しかし、部長も負けてはいない。それに加えてさらに的はず(以下略)。
「帽子だけじゃまだ寒いだろ!なのに彼らは寒さに耐えて練習してんだぞ!彼らに出来て和水にできんのか!」
「帽子だけじゃないじゃないあの茶色い手袋もして暖かそうじゃない!」
おそらく和水がここで言う茶色い手袋とはグローブのことであろう。まあ、間違ってはいないけど。
「ふははは、引っかかったな和水!あの茶色い手袋は野球する上で常備のものなのだっ!よってお前にも支給されるのだよ!ぬくぬくの暖かい手袋がなっ!」
「な、なんですって!?」
「よってお前もぬくぬくとあったかく野球が出来るのさ!」
「っく…」
なんだかよくわからんうちに和水は論破されたらしい、悔しそうな声を上げたあとそれっきり口を開くことがなかった。
「ふっわはは!野球をやるのは決定事項!絶好調!誰にも私を止めることは出来ないッ!ふっわっは、わっは、わっはは!」
最高のテンションのまま部長は大声で笑い出した、…すぐ調子乗るんだから…。
そんな部長の横を勇猛果敢にも通り抜けようとする人物がいた、そう、我らが低血圧楓である。
「止めないんで勝ってにやっててください。んじゃ」
「ぬは…、ぬわぁぁあ!楓!どこに行こうと言うのだお前はぁ!?」
「どこって、…寒いから暖房の効いたとこ?」
楓は当たり前のことのように答えた。
たしかにその通りだが、あれだけのテンションの部長を前にして実行できるとはなんてすごい精神力なんだろうか。
「はな、はなしをきいて、たのかぁ」
部長は楓の腕にしがみついて動きを止めようとするが楓はかわまずズンズンと先に進んでいく。脚力あるな。
「すっごい聞いてた。ただ俺はやらない。以上」
素晴らしい三段論法だっ!
俺もあれだけはっきりいえるようになりたいぜ!
「うわぁー、ま、た、んかぁあ!」
だけど部長も負けていない、ジョイナー並みの脚力で見事楓の歩みを止める事に成功した。
「…どんなに言われてもやりませんからね」
グラウンドには、部長の踵により二本の線が綺麗に弾かれていて、その線の先に立つ部長は息も絶え絶えに、楓に必死に呼びかけている。動きを封じられた楓はそれでもしつこく断り続けるのだった。
「野球ー、やきゅー」
「ええぃ、はなせ!今日は風邪気味なんだよ!」
「外でて野球すりゃ吹っ飛ぶぜ!」
いつになく部長のテンションがあがりまくっているのがわかる。
口調から。
「やらないって言ってるでしょ!しつこいですよ!」
「えぇい!楓!」
つかんでいた腕が急に離されたので楓は前に激しくよろけた。「何するんですかっ!」と楓は叫んでいるが、知らぬ顔で部長は空いた右腕で自分の左腕をたくし上げ、タックルするようにそれを楓に向けて言い放った。
「この桜吹雪が目に入らないかっ!」
「…」
桜吹雪って、…え?
差し出されたのは部長の白い二の腕だけで、彫り物や、勢いでつけたタトゥーもない、健康的な腕だ。
「…それはBCGです」
あ、よく見たら予防接種の斑点があらぁ。
「ふん!いいから野球やろうじゃないか!」
「何も変わって無いじゃないですか。いいから、は俺のセリフですよ。いいから、俺の事は放って他の人と楽しくベースボールでもやってくださいよ」
「お前が乗ってくれるなら対価に、『エロサイト見た後の履歴の消し方』教えてやるから…」
「うちパソコンないんで、いらないです」
俺はちょっと興味が出てきた…。いや、知ってるけどさ、あの方法であってるのかどうか気になるじゃん!…あっ、お、俺は別にエロくないよ!
見ないよ!そんないかがわしいサイト!
「わ、わかった。検索履歴の消し方もレクチャーしてやるから…、気をつけろよ。パソコン本体の履歴は消しても検索窓の履歴も消さないと家族にバレるおそれが…」
「それじゃ」
部長がまだ何か言っていたがシカトして楓は歩き始めた。
部長による進路妨害から解放されたので、足取りも軽そうだ。
部長は必死に楓の腕をまた掴んで彼の動きを止める。
楓はやれやれといった風に振り返ると、呆れ顔で部長に言った。
「いくら部長命令でも今回は無理だ。この寒さで野球なんてしたくない。かじかんだ手でボールを触りたくない」
「むぅ」
どうやら楓は本当に今回は嫌らしい。確かに、寒い時に野球ってきついよな。守備の時はボール来るまで暇で寒いし、来たらかじかんで痛いし。
「寒さがなんだっ!子供は風の子だろ!なら大人は風だろ!私は風!気張ってみせろ!」
「意味がわからないです!」
「ともかく、この程度の寒さで断念してたら前に進めないぞ!大体なにが『寒いんで』だ!?全然寒くないじゃ…」
さっき寒いって芳生に同意してたよな、と、つっこもうとした時だ。白い息をはきながら言葉を紡いでいた部長は、そう言いかけたところで一回大きくブルっと震えて無言になった。
「…」
「部長?」
口を開かず彼女は、静かに後ろに投げ出されたまま、放置されていたジャージの上着を拾い上げ、羽織ってからさっきの続きを叫んだ。
「…ちっとも寒くないじゃないか!」
「説得力がないわ!」
行動と言葉が一致してない!着るなら最初から脱ぐなよ!
楓を筆頭に部員全員が部室に向けて歩き始めた。