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桜も散って新緑が眩しく、段々と夏にむけ暑くなっていくこの時期。
冬の頃の話を綴っていると、何がなんだかと混乱してしまいそうになります。
シシオドシの音なんて響かないけれど、お風呂の効果音っていったらやっぱりカッポーンなんだよな。
とどうでもいい擬音について本気だして考える。
お風呂場は冬の冷たい空気は完全にシャットアウトされていて、気候は温暖である。ヒューヒュー外では木枯らしだか北風だかが音をたてて吹いているが、今の俺にいわせれば、まぁ頑張って、というところである。
「ふぅ」
入浴剤が入れられて乳白色に染まっているお湯を足で軽くかき混ぜながら、腹の底から空気をはきだして落ち着く。足を伸せるほど湯船は大きくないが十分にくつろぐスペースはある。
ステンレス製のバスタブに向ってもう一度大きく息をはいた。
「ふぁぁ〜」
手でグルングルンとお湯をかき混ぜて渦潮を作り遊んでいたら、いつの間にかこっくりこっくりとかぶりをこぎはじめていた。と同時にシシオドシの事を完全に脳内から追い出し、無心になる。
「…」
あまりの気持ち良さに眠くなってきたが、お風呂での溺死率は食後に増えるというのを身を持って味わいたくはないので我慢だ。
今日一日の疲れがお湯に染み出していく感じが気持ちいい。
熱すぎもしないいい湯加減のお風呂は最高である。
「…」
はっ!?
いかんいかん!今一瞬だけ夢の世界にかかとくらいまで突っ込んでたよ!危ういぜ!このままでは、他人家の風呂で死ぬとかクソ間抜けな事をしてしまうやもしれぬ。
思考を止めちゃ、ダメだ!
えーと…、…ぬるま湯ーフォー!
ウトウトとしないように自分に気合いを入れていた時だった。
コンコン
「…ふぇ?」
半分ドリームランドに埋没していた両足を救い出す音が辺りに響いた。
…ノック?
今、コンコンって音しなかったか?
…気のせいか。
コンコン
「!?」
さっきよりも多少強めに扉を叩く音が風呂場に鳴竜する。な、なんでまた!?
「は、入ってます!」
音はお風呂場の壁にぶつかってを繰り返すので語尾に微妙エコーがかかる。トイレの時みたいな言い方だがこれ以外になんていえばいいのか思い付かなかったから仕方無い。
とにもかくにも、今俺はお風呂タイムを味わっているのだから邪魔をしないで頂きたいところである。
「入るわよー」
がちゃ
木製のドアが開けられる音がして、それからすぐに先ほどまで俺と梓ちゃんが押し問答していた脱衣所のカーテンを開ける音がした。
っう、ぅおいぅおいおい!
な、なんばしよっとですかぁ!人の話を聞いとるですか、この人。
「入ってます!」
「分かってるわ」
すぐに返事が返ってきたのはいいんだけで、分かっているのはそれはそれで問題がある。
返事の声は少女という感じではなく女性である、梓ちゃんのようにまだ幼さが残るような声ではない。おそらくこの声は五十崎家長女、楓の姉、桜さんでほぼ間違いないだろう。
「え、えーっと、な、何か用ですか?シャンプーとかリンスや石鹸は別にきれているとかそういうのはありませんでしたけど…、あっ、タオルなら自分家から持って来といたんで大丈夫ですよ」
彼女が何をしに来たか分からないのでとにかく思い当たる事をトコトン言ってみた。
「あら、それは良かったわ。ところで湯加減はどう?」
「丁度いいです」
風呂というのは人間が二番目に無防備になる時だと思う。一番は睡眠時だが、両方をダブルブッキングしそうなこの時に、よく知らない他人が介入してくるのは大変煩わしい事である。
お風呂を頂いといてなんだが…。
「それじゃ一緒に背中流し合いましょうか?」
「…はい?」
楓の家のお風呂のドアは向こう側がぼんやりと見えるすりガラスである。
その、モザイクのように歪んだ人型がモゾモゾと動きはじめた。
…モゾモゾ?
腰を曲げるような動き、それから立ち上がって…
って、
てぇぇぇぇぇぇ!?
桜さん、服をぬ、脱いでるっ!?
「だあー、ちょっと待って下さい!」
叫んだ。それはもうお風呂に波紋が発生するくらいの大きさで。
と、ともかく止めなくては!?
いきなり裸の付き合いをするような間柄じゃないでしょ!
「な、な、な、何をしようとしてらっしゃるんですかぁ!?」
「私お風呂まだなのよ、一緒に入っちゃえば時間の短縮短縮〜」
そ、そういう問題じゃない!
問題は俺達が男と女という事である。
いきなり友達の姉ちゃんの裸体を眺めて何か興奮を得ようなどと変態な人間性を持っていないし、俺はお風呂で裸のニアミスなんてお約束をやるキャラクター性は生憎持ち合わせていないんだ。
第一、そういうギャルゲーだかなんだかで主役をはれる自信を持っていないし、良くて主人公の悪友が最高レベルの俺に突然高レベルのイベントを達成できるはずなんてない!俺は立ち絵なしのなも無きキャラAが限界なんだって!それこそ『ここは○○の村です』っていう村人がさぁ!
「や、やめて下さい!」
もう素直に遠慮させてもらおう。
俺は思いのたけをドアの向こうの彼女にぶちまけた。
「どうしてー?」
間延びする声が風呂に響く。
「どうしてって俺は男ですよ!」
「もう雨音ちゃん何言ってるのよ?」
桜さんはどこかにいく気配を一向にみせない。
…何を言ってるんだ、というのはこちらのセリフである。
「だから、俺は男だからそういうのは良くないと思います!」
「あらあら、大丈夫よ。ちゃんと雨音ちゃんは可愛らしい女の子だから」
…まさか…、
桜さん、ひょっとして女装してる俺を見て本物の女の子だと思ってる、とか!?
「だから、っね!心配しない」
あなたが俺を男だと知った時の反応が一番心配です。
きっと言わないんだろうけど、『変態』とか思っちゃうんだろうな…。
い、いや、目先の未来より今をどうにかしなくては!
ともかく俺に与えられた任務は一つ、伝えるという事だ!
「だぁ〜、だからアレは部内の罰ゲームで女装させられてたんですって、だからは俺は本当は男なんですって!」
「もぉう、そこまで嫌がらなくっていいじゃない、私、他人のヌードを見る趣味なんてないから安心してよ」
俺が見ちゃうかもしれないから危ないんじゃないか!
っは!?
その時、俺は風呂場の扉に鍵がついているのを発見した。鍵は残念ながら『開』になっていてるため、ガララっとドアをスライドさせるだけで簡単に開いてしまう。
「…っ」
お湯に浸かって体温が上昇したからか分からないが汗が、タラリと頬をつたった。
間に合うか?
いまから鍵をちょちょいとかけに行くのは簡単だ、10秒もかからないだろう。だが、問題はアレをかけようと浴槽から身体をだした瞬間に桜さんが中に乱入してくるかもしれない、という事である。
その場合もれなく俺の股にある男の秘宝は見られてしまう事になる。
どうする…、どうする…?
行くか、退くか?
立つか、待機か?
…取りあえず、いざと言う時、股間を隠すための桶だけは確保しておこう。俺は出来るだけ腕を伸ばして、タイルの床の上に置きっ放しにされてあった桶を掴んで、お湯に浮かべた。
桜さんだって女性だ、お風呂入っているのが男の俺だと分かれば、すぐに帰ってくれるだろう。
男だと判断するのに上半身あれば十分だし、このまま白濁色の湯に浸かっていれば桜さんも気がついてくれるハズである。その際、俺は桜さんの裸を見ないように後ろでも向けば完璧であろう。
決めた、君子危うきに近寄らず、待機だっ!
「…」
取りあえずハッタリかましとくか…
「か、鍵かかってます!」
「そんなのハサミでちょちょいのちょいよー、アラ?別にかかってないじゃない」
さすがにここに住んでいるだけはある、俺の嘘は簡単に見破られたみたいだ…、さて、次はどうするか…
「雨音くーん、入るよー」
「わぁぁぁぁ!」
桜さんは衣服をすべて脱ぎ終わったらしい、そう俺に言いながら、お風呂のドアを横に、滑らせた。
「あああ!だぁぁ!」
慌てて俺は目をつむる、ぎりぎりで視界をシャットダウンする事が出来た。
「あああ!」
しかしこれだけでは不安だ!
ダイバーダウン!潜行するぜ!
ぶしゃああ
勢いよく水飛沫を発てた音を両耳で捕らえながら、白き世界に俺は自らの頭を埋めた。
アマネインユニットバス。
ブクブクと泡が上がっていく音がする。
俺はお湯の中で、そのまま身体を反転させて先ほどとは逆方向を向いて、お湯から顔をだした。
「ぶっはぁ!」
イメージするのは鯨の息継ぎ、潮を吹く感じで水面に顔をだす。
ガタン
頭に何か当たった。
「…あ゛?」
どうやら先ほど浮かべた桶が俺が潜る際の反動で裏返り、かつ、その状態のまま俺の頭に乗ったらしい。
帽子のようにプラスチック製の桶が頭にかぶさっている。
だけど完全にそれを外すタイミングを逃していたので取りあえず無い物として考え、背後にいる桜さんに話かけた。
「だ、だから男だって、いっ、言ったじゃないですか」
なので俺を責めないで下さい。
「あらあら…」
桜さんはお茶を飲みながら言っているのでは無いかと疑ってしまうほどのんびりとした口調で返事をしてくれた。
「凄い慌てっぷりねぇ」
「そりゃ、慌てますよ!そ、それよりほら!こんな言い方失礼ですけど、悪いんですけど、早く出てってくれませんか!」
「別にいいんじゃない?性別違ってもお風呂は一緒で」
「よくないっ!何を言ってるんですか!?年頃の女の子がっ!」
…あ〜、やばい桜さんみたいな美人な人からそういうお誘いを受けるのは素直に嬉しいぞ、…だけど我慢だ!俺には美影がいるし、何より桜さんは楓の姉貴だ!そんなこと出来るわけないじゃないか!
耐えろー俺ー!首をちょいと後ろに捻るだけでそこにはまだ見ぬ女体の神秘があろうと、人として大事な物を失ってはならないのだ!
「えーい、こっち向きなよー」
タンタンと頭にかぶったプラスチックの桶を叩く音がする。
「向けるわけないでしょ!」
「私は雨音ちゃんの顔が見たいのよ、えい!」
つつつ、と首筋に冷たい物が這う感覚がした。
「ィっ〜〜」
ぞぞぞ、と鳥肌が起つ。
どうやら桜さんが俺の首に自身の冷えた指を這わせたらしい。
「なにするんですか!」
思わず振り向いてしまった。
「あ」
「へへぇーん、やっと振り向いてくれたわね。気付いてくれなかったらどうしようかと思ったわ」
露わに桜さんの裸が、俺の網膜に焼き付く、
…というわけでは無かった。
桜さんはちゃんと服を着ていた、この家を訪れた時と同じピンクの淡いセーターだ。
「…どゆこと?」
目の前の不可解な現象に、たじろぐ。服を着て風呂に入るのか?桜さんは…。
「雨音くん、うちの可愛い梓ちゃん困らせたでしょ?だからちょっとしたイタズラを仕返したの」
「あ〜、そうっスね…」
アレは困らせたというより向こうが勝手に勘違いして暴走しただけじゃないかな…。
「どんな話したのか分からないけど、梓、顔を真赤にしてお風呂からかけて来るんだもん、驚いたわ。雨音ちゃんあまり女の子を苛めちゃダメよ、純粋なんだから」
確かにちょっと苛め過ぎた感はあったけど、少し仕返しの度合いのが大きくないか?
「私も悪ノリし過ぎたかも。ゴメンね」
「…大丈夫っス!」
…うん、そんな笑顔で謝られたら親のカタキでも許しちゃう。
「それに私ちゃんと雨音くんが男の子だって知ってたのよー。前に会ったじゃない?だから雨音くんも私がイタズラしてる事に気付くかなぁ、って思ったら全然そんな事ないんだもん」
「忘れてると思ってましたから…」
「ひっどーい、ま、いいわ。そんなわけで調子乗って本当にごめんね。それじゃ私は戻るからお風呂ゆっくりどうぞ」
そう言うと桜さんはにっこりと微笑んで今度こそ出て行ってくれた。
静けさが戻ると途端外の風の音や、水滴が落ちる音が響く。
「はぁ」
俺は浅い溜め息をはいた。
今更くつろげるわけないでしょ。
…そういや小学生の頃、「ねぇ、ちゃんとお風呂入ってる?」とか下らない質問流行ったな…。