(最終話)
声は途絶え、泣き声が響く。
肩をそっと抱く甲斐性もない草食系男子の俺にはいささか辛い状況下だけど、助けは空からやってきた。文字通り天の助けだ。
ふわふわと、白い綿毛のようなものが暗闇を切り裂くように沢山落ちてきていた。
「雪だ…」
日本にはそれを表す単語が沢山あるけれど、そんな表記をよく知らない俺には綿雪という表現が一番しっくりくる。子供がふざけて布団の中味をぶちまけたみたいに、白い綿。
ふわりふわりと幻想的な演出を施しながら、それらはぽつぽつ着地していく。俺にも、美影にも。
マジで雪がふりやがった。和水が今日やけに優しかったのはこの時の伏線だったのか!?
「美影、雪だよ」
そっと言う。
嗚咽をくりかえし、しゃっくりを止めようと俯いていた彼女はその言葉で上を見あげた。目を見開き、
「うわぁ」
嬉しそうに声をあげた。
凍てつくような寒波が街に雪を運んできたのだ。2月の初旬に働いただけでサボっていた北風小僧の寒太郎がもう一度その重たい腰を上げたのだ。
もう雪が降ったくらいで騒ぐような歳じゃないけど、不思議と心はワクワクしていた。
何もかわらない日々にアクセントをつける雪というイベントを俺は瞼に灼きつけた。
雪が周りの音を吸収しているのか、あたりは深い静寂に包まれている。その無音の中、美影と俺だけ。二人きりだ。耳に優しい静寂と彼女の吐息だけが、俺の世界。
「こうやって、空を見上げていると、」
泣き声はもうしない。楽しそうな笑い声がするだけだ。
息を切らして美影が俺に優しく笑いかける。
「天に登っているみたいですね」
その通りだった。
上から下に、紙吹雪が舞うように降るたくさんの雪は俺たちが上に昇っているのではないかと錯覚させるみたいである。なんだかたまらなく切なくなってきた。
俺は隣を見る。
大好き女の子の笑顔があった。
泣き出しそうになったけど、やっと美影が笑ってくれたのに俺が泣いたら台無しだ。俺は無理やり口角をあげる。
「美影、さっきは有耶無耶でいっちゃったからさ、もう一回言い直させて」
「何をですか?」
「告白」
漢字二文字の重さをよく俺は知っている。
楓と中津川がよく見せてくれた。
何も知らない、何もしようとしなかった俺は、伝えるべき言葉を持たず三年間を浪費するだけかと思っていたけど、そんな人生はやっぱりごめんだ。
秘めたる恋路を墓まで持って行く気はない。ここで打ち止め。ジエンドだ。
決着をつけるタイミングがこれから都合よくほいほいやってくるとは思えない。全てを吐露してどうなるかなんてわからないけど、後悔だけはしないだろう、不思議とその感覚だけはある。
美影はゆっくりと、だけど確かに頷いてくれた。
急スピードで高鳴る心臓を、落ち着かせ、今までどうやっても喉から上に行くことなかった言葉をスルリと俺は放った。
「美影」
「はい」
目が合う。俺の声以外全ての音が雪に溶けていく。
「俺は、美影が好きだ」
「はい」
優しい微笑を浮かべて綿雪が舞う中彼女は凜と頷いた。
心が強く震える。
静かに脳が転がった。
想像のシミュレーションの中では何回も、望んで繰り返してきたパターンだ。シミュレーションの中の俺はいつもおどおどとしていたけど、現実では思ったより冷静だった。
ほほえんで、美影に向きなおす。
「俺を置いていかないで。一緒に歩こう。ゆっくりと、二人で、前に進もう。なんて言えばいいかな、あぁ、アレだ」
美影が望む告白というシチュエーション。自分の気持ちをストレートに潔く伝える、それが大切だ。
「付き合って下さい」
雪が舞う寒さだというのに、体中は湯上がりのようにほかほかしている。
「はい。私も、」
一回言葉を切ると、言葉を噛み締めるように、続けた。
「大好きです」
今度は叫んでいいよな、
脳に緩やかに問いかける。脳内会議は満場一致って、イエスの回答を俺に与える
「よっしゃぁぁぁ!」
紫煙のように口から真っ白な息を吐き出しながら逆転ゴールを決めたサッカー日本代表選手みたいな雄叫びをあげる。緑の芝のピッチではなく、セメント色のくすんだコンクリートの上だけど、俺の全てを捧げたシュートだったのだ。それくらいやらせてくれてもいいだろ?
美影は最初面食らったように俺の声に驚いたみたいだったけど、やがて一緒になって大声をあげていた。歓喜の声じゃなくただのスクリーミングだけど二人一緒に雪に負けないくらい、雲を切り裂いて星空を覗かせるような大声をあげる。
やがて、息が切れて、何も言えなくなったら、二人で目を合わせて笑いあった。周りに民家がないから思う存分騒げる。いくら大きな声をあげても苦情がこないと思うと安心だ。
二人きりの大爆笑はこの世の全てを包み込んで続けられた。
静かな夜に暖かな雪、俺と美影の二人っきり。
世界の時間が止まってるかのようだけど、今この時も時間は確かに進んでいる。何もかも巻き込んで、たまに残酷な結果を産みだそうと、悠久の時は、そんなものちっぽけだと言わん限りに波を起こして過ぎていく。
なんの能力もない普通の学生は、笑いながらその波に従うだけだ。
「怖い!相変わらず不気味な所だなぁ!」
「うるさいわね、芳生!気にしすぎだってば」
それからポツポツ、二人きりを堪能していた俺たちを現実に戻すようにたった一つの扉が開いてみんなが姿をあらわした。
「あっ、いた」
隠れん坊していた友達を見つけ出した時みたいに素っ頓狂な声をあげている。
うっすらとつもりはじめ雪のキャンパスにズカズカと足跡のスタンプをつけながら、彼らは現れた。
「寒っ。早く中に戻ろうぜ。風防げるぶん外より中の方がまだマシだ」
「何を言う楓、冬が寒いのは当たり前だろうが。さあ、雪見と洒落込もうではないか」
それがごく当たり前と言ったように、みんなは俺たちのそばによった。
美影は少しだけ気まずそうに瞳を伏せていたけど、普段と変わらぬみんなの態度に、膠着した表情を柔らかくした。
いつも通りはずなのに随分懐かしく感じられるその光景を眺めていると、不思議とホンワカした気持ちになってきた。
孫を見守る祖父のようにタレ目になっている俺にいつのまにかに近づいた楓が肩にポンと手をやりながらなにやら差し出してきた。
「雨音、はい」
「何だ…ケータイ?」
「どんなに連絡入れても返ってこないから心配してたんだが、……入り口に落ちてたぞ」
「あ」
その時になってようやく俺はポケットに携帯電話がないことに気がついた。そうか、転んだ時に落としてたのか。チェックする意味で空っぽのポケットに手をやったまま静止していた俺に楓は呆れたように息をついた。
「どうでもいいけど、部長がミイラ取りがミイラになったってだいぶキレてたから後で謝っとけよ」
「あ、ああ」
それは悪いことした、と着信を知らせて明滅する携帯を受けとる。
チラリと部長を伺えば、なにも言わずに腕組みしながらこっちを眺めているだけだった。
「電車復旧したのか?」
「いや、タクシーで来たんだ。4人で割り勘だからそんなにかからなかった。和水が寒いっていうから乗る前にコンビニ寄ってカイロとか買ったんだけど、雨音つかうか?」
「いや」
言われて和水の方を見る。
確かに手にビニール袋をさげていた。
「じゃ、美影は罰ゲームでガリガリ君ね」
「い、いやですよ!雪降ってるのにアイスなんて食べたら死んじゃいます!」
コンビニの袋から、沢山の飲食物を取り出し和水が叫んでいる。カイロだけじゃないのかよ。
ごく自然に美影の隣に陣取った和水は、下品な声をあげながら、なにやら沢山入ってパンパンのビニール袋を揺らし、美影に高説たれる。
「寒いときに食べるアイスが風流なのよ。わかってないわねぇー」
「なんだろうと雪が降ってるのにアイスなんか食べたら凍死しちゃいますって」
ニタニタと笑いながら無理やり進める和水に美影は焦ったように拒否の意を示す。そんな風に美影イジメを楽しむ和水に学校指定のコートを羽織った芳生が話かけた。
「あ、和水、雪見大福とって、学校給食ではじめて食べて以来僕ファンなんだぁ」
「うおっ、マジか芳生。お前こんな時に冷たいもんとか腑がただれるぞ」
キチガイじみた芳生の発言に楓がゲテモノ食いでもみるように表情を曇らせて、言った。
それにさも当然のように芳生は続ける。
「邪魔はさせないよ!僕はついに十年ごしの夢を叶えようとしてるんだ。雪を見ながら雪見大福を食べるって夢をね」
手の平を上にむけ、わざとらしく雪をうけながら芳生は心底楽しそうに笑っている。言ってることは酷いけど、そのポーズはやけに似合っていた。
それを見て楓は肩をすくめた。
「狂ってるな。普通の感覚じゃない」
「楓もなにもわかってないわ」
和水が美影に言ったのと同じセリフで朗らかに言い放った。
上から目線の高飛車な物言いだ。
「こういう寒い日の楽しみかたを微塵も知らないなんて、まったくダメダメね」
「…お前はその肉まんを放してから言え」
オマケにMAXコーヒー(ホット)まで常備だ。なんつぅ組み合わせ、胸焼けがしてきたよ。
あの袋に入ってるのはアイスじゃなくてただ単に和水の防寒グッズなどじゃないんだろうか、なんだかすごくセコいぞ。
「よーし、みんな注目ー!」
黙って仁王立ちしていた部長が、腕をブンブン振り回して、叫び声をあげている。
やれやれ、言葉にださないけど全員同じ思いで、部長をみる。どうやらまた下らない提案があるらしい。
「この雪が積もったら、みんなで雪合戦しよう!」
俺たちの意志を無視した発案だけど、それはもう決定事項なのだろう。どんなに足掻いたって条件が整ったら彼女は実行に移すのだ、面倒くさいけど。
部長にバレないように、未来に感じた不安を溜め息にしてだす。
また、騒がしくなってきたな。
だけど、恥ずかしげもなく言うのであれば、俺はこの騒がしい空気が嫌いじゃなかった。
「今は前哨戦、というわけで飲めや歌えや!コンビニで買ったおつまみで存分に楽しもうではないか!宴会だ!……だけど寒いからとりあえず中に戻らないか。風邪をひいてもかなわんし」
鼻をすする部長の提案に俺は久しぶりに従うことにした。頭をはらうと雪がさらりと落ちる。積もりはじめてるんだもん。冷たいわー。
空から降る雪は街を白く染め上げていく。それでも俺のこの思いは変わることはないだろう。
美影が好きという感情を含め、部長の下らない発案に楓と一緒に頭を悩ませながらも、和水や芳生が引っ掻き回して結局尻切れトンボに終わるこの部活を楽しんでいる、この感情を。
活動目的もろくに決まっていない意味不明な部活だが、俺にとっちゃこの世界が心地よい空間なのだ。
何か変化をもとめ、挑戦を繰り返し、失敗しても、帰るべき場所があることは有り難い。
例えば十年後、高校時代を振り返ったとして、真っ先に浮かぶのはあの部室だろう。
「積もるかな」
みんなの後に続いて呟く。
俺たちは、止まっているように見えても、着実に前に進んでいる。
大人になるってのがどういうことはまだよくわからないけど、前に進んでいるならそれでいいのだろう。
神様もきっと笑って許してくれるさ。
「積もれば、いいな」
そうだ。
中に入る前にもう一度雪が降りしきる空を見上げる。
雪合戦の後にでも、
花見に行きたいと部長に相談してみよう。
俺はドアを閉めて、前に踏み出した。
後書き
というわけでついにやって来ました。
アレを最後に言おうこれを最後に言おうと後書き目指して今まで頑張ってきたのにいざとなるとなんにも浮かばないものですね。
1年と半年投稿し続けた「ノン・ストップ」という作品。いわばこれが私の処女作になったわけですが、一番最初にこれを綴れたことを誇り思っていますし、自信にも繋がりました。3日坊主に定評がある私がこれだけできたのだからそれはもう伝説達成なわけです。やりたい事はやりつくしたし、色んなことにチャレンジしたこの百数話。なげぇよ、の一言で片付けず、ここまで読んで下さった方が何人いるのかわかりませんが、一度でも目を通してくれたのなら作者冥利につきます。心からの感謝をすべての方に送りたいと思います。
さて、私の中でノン・ストップに残された話はなく、正真正銘これで終わりのわけですが、読んでくれた皆さんの中に面白いアイデアがあるなら、まだ話は続いているのだと私は思います。夜寝る前とかに『この話おもしろいな』と妄想してもらえるならば私も書いた甲斐があったというものです。
お話はこれで幕をおろしますがカーテンコールは行いません。もしかしたらまだ読者のみなさんの中でお話が生きているかもしれないからです。そういう人たちに私は最上の感謝を伝えたいと思います。
ありがとうございました。