(3)
お昼休み、弁当も食べずに教室を飛び出した俺は混乱する頭を抑えこれから自分がすべきことについて走りながら考えていた。
美影の行動の全てが、嫌な予感を芽生えさせ、胸を締めつける不安要素となっている。
なんで今更になって写真を俺に渡したのか。
なんで朝、学校に来たのか。
なんで急にいなくなったのか。
プカプカと浮かぶ疑問全てが俺の頭を沸騰させている。
相手にできない疑問を引っさげた俺は二年生の教室が並ぶ廊下にたどり着いていた。荒ぶる息を整えながら、目的地にしていた教室を探す。
俺に、美影の行動の謎を解きあかすことはできそうにないけど、あの人ならなんとかしてくれそうだと思ったからだ。
文化祭の時にチラリと教えてもらった教室の前に行くとちょうど男と女の二人組がドアを開けて出てくるところだった。
二人はぶつくさといいながら仲よさそうに、階段に向かって歩きはじめた。
「なんで私があなたの尻拭いをしなくちゃいけないの?」
「悪かったと思ってるよ……」
「反省してるなら、いいんだけどね」
部長と金谷先輩だ。
ナイスタイミングと神様に感謝しつつクラスメートの前で猫を被る部長に一気にかけより声をかけた。
後ろから声をかけられ驚いたように肩をビクリとさせ振り向いた部長は、少し怪訝な顔をすると、すぐに作り笑いを浮かべ俺に応えてくれた。
「あら、どうしたの?」
二年生が溢れるこの場に俺という一年が紛れているのが不思議といった感じである。確かに進んで上級生のクラスが並ぶところには行きたくないが、緊急事態だ、許してほしい。
それにつけてもいくら他の人が見ているからと言って今更猫を被るのは止めてくれ。金谷先輩はあなたの正体が狼に衣だととうに気が付いているはずだ。
「部長、話があります」
「いかがなされたの?」
ニコニコと仮面のような笑みを浮かべ俺に続きを促した。その丁寧すぎる言葉使いはどうやら自分自身でその二面性を楽しんでいるようである。普段なら笑って許せるジョークも今の俺にとっちゃイライラを助長させるものでしかない。
頼むからまともに話を聞いてくれ。
「あ、えーと」
「……じゃ場所を変えましょう。そう言うわけだから金谷、一人で頑張ってね」
なんて言っていいか悩んでいた俺に部長は場所を変えることを提案した。金谷先輩は部長にそう言われて露骨に嫌そうな顔をしていたけど、渋々了解しその場を後にしてくれた。
「さて、それじゃどこに行こうか」
気にするべき人の目がなくなった途端にいつも威圧的な部長に戻る。やはり彼女はこういうのじゃないと、こっちの調子が狂ってしまう。
「俺はどこでも」
「そう、とりあえず歩きながら何があったか聞こうか」
俺と部長は目的地もなくただ歩きはじめた。
昼休みの喧騒は学年が変わっても同じである。バレーボールに汗を流す女子生徒や、鬼ごっことおぼしき遊戯に興じる男子生徒、忘れてはならないのはここが『走るな!キケン』の標語でお馴染みの廊下であるということだ。
ぶらりぶらりしながら、俺は今日あったことを思いだしながら部長に語っていった。不思議と言葉は詰まることなく、スルスルと口から滑り出る。
今朝会った時のいつもと違う感じの美影。
忘れ物をとりに行くといっていたはずなのに戻ってこなかった授業。
そして、電子辞書にはさまれた三枚の写真。
俺が知る全てを語り終わった時、部長は何やら考えるような素振りをして、階段の踊場でピタリと足を止めた。
「そうか」
遅れて階段を降りてきた俺の方を向くためか、そのままクルリと体を反転させ手すりにもたれかかりながら顎に手をやった。
そのまま俯きぎみな頭がどんどん下がっていく。
そんな暗い部長が突然、はっ、と何かに気づいた表情になった。だけどやっぱり上げた顔は微妙に青い。
「部長、何かわかったんですか?」
閃いた表情に期待を抱いた俺の問いかけに、部長は返事をしないで胸ポケットから手帳を取り出しそれを開いた。
カレンダーを見つめながら小さく息を飲む。
「部長?」
「今日は、…月曜日だよな」
「え、あ、そうですけど。そ、それがどうかしたんですか?」
「ああ、クソ」
「え?」
女性らしからぬ汚い言葉を吐いて部長は俺の横を駆け抜けた。風だけを残し、踊場で折り返しになっている残り半分の階段をさらに下って行った。
タンタンタン、とリズムカルな足音が響く。
「部長、急にどうしたんですか!?」
大きな声を上げて部長を呼ぶけど返事が無ければ立ち止まってもくれず、彼女の背中はみるみる小さくなっていく。
慌てて後を追いかける。
部長は後ろを全く気にする風もなく全力疾走だ。
「どこにいくんですか!?」
距離が開かないように必死になりながらも部長の背中に向かって声をかけた。だけどやっぱり俺の存在を忘れてしまったかのように振り返る素振りは全くない。
やがて、部長の行く先に職員室が見えた。どうやら目的地はそこらしい。
全力疾走の勢いそのままに、コーヒーの匂いが漂う職員室にノックもなしに駆け込んだ。
部長が閉めることなかったドアを閉め、肩で呼吸しながら辺りをキョロキョロしている彼女にやっとこさ追いつく。
職員室はお昼休みということもあってか、弁当を食べる先生や、試験にそなえて先生に話を聞いている生徒なんかがいる。
「部長、一体全体どうし、」
「先生ッ!」
俺の言葉を防ぐように一段と高い声をあげ、椅子に座る山本先生に部長は駆け寄った。
部長の叫びとも取れるその声に職員室中の生徒と教師の視線が一斉に部長に集まる。
なんでこのタイミングで山本先生なのだろう。
話を聞くのならば、俺の担任の方が適任だろうに。
今更だけど、山本先生は俺と部長が所属するクラブ、娯楽ラブの担当教師である。といっても彼自身が活動に参加することはあまりない。放任主義なのだ。
「山本先生ッ」
声をかけられた山本は飲みかけのマグカップを中途半端に持ち上げ所在なげにしている。そんなもの露ほど気にしない感じで部長は山本の正面に立った。
「お、おう、秤、どうした?」
流石の山本も勢いが凄まじい部長にびびっているようである。ビクビクしながら口を開いた。
俺も部長の後ろに続きながら、らしくない彼女を不思議に思う。本当に部長はどうしたのだろう。
「昨年度の三年生の生徒名簿を見せてください!」
「「はぁ!?」」
部長の横に立った俺は山本と声を合わせていた。急に走りだしたかと思ったら、なにわけのわからない事を言いだしてんだ、部長。
「……なんでそんなもの見たがるんだ?」
山本はコーヒーカップを机にカタンと置いた。
「悪いが、個人情報なので一般生徒に見せるわけにはいかないぞ」
「そんなの…知っています。だけど、必要なんです!」
ほとんど怒鳴っているような感じで部長は山本に言った。
「頼みます。すこしだけ、すこしだけでいいから」
「部長、落ち着きましょう」
俺は興奮状態の部長にそう声をかけた。それが効いたのかわからないけど無闇に怒鳴るなんてことはなくなり、代わりに下唇を噛んで震えていた。
なんで、そんなに、つらそうなんだ。
「先生……」
「ダメだ」
段々と小さくなる声に困ったように頭を掻いたあと山本はそう言い放った。
教師として、当たり前だろう。俺がもし、先生の立場だったらやっぱり簡単には生徒名簿なんて見せたりはしない。一昔前ならいざ知らずプライバシー保護が徹底されている今、そんな軽率な行動を取ることは許されないのだ。
部長はガクンと糸の切れた人形のように頭を下げた。
「おねがいします…」
「だからな、」
「先輩の、先輩の家について知りたいだけなんです」
せんぱい?
「お願いします!」
去年の生徒名簿を求める理由がその先輩とやらからなのだろうか。
だとしたら、なんで?
今は全く関係ないじゃないか。
去年の情報を集めようと、それは彼女の勝手だけど今このタイミングは違うんじゃないだろうか。
俺は純粋に美影を心配してるのに、部長は何を考えてるんだ。
非難するように、隣を睨みつけようとした。
だけど、うまくいかなかった。
部長が、涙を流していたからだ。
「……」
その言葉を聞いた瞬間、山本の表情が見るからに変化した。
断固として、冷たくあしらうべき生徒である部長に対し、すこしだけ憐れみを含んだような目をすると先生はそっと優しい声音で言った。今までの頑な感じが柔和になっている。
「春野についてか?」
「はい」
先生はギィと音をたてて椅子から立ち上がると涙を止めることない部長の肩にそっと手を置いた。
はるの?
「少し待ってろ。ほんとはダメなんだが、お前がそこまで言うのも珍しいし、何よりお前は優秀生徒だからな、特例だ」
先生は砕けた笑みを浮かべた。
春野とは誰なのだろう。
先輩と言っていたが卒業生なのだろうか。
なんだかまたこんがらがってきた。
俺と部長は、山本先生が去年の生徒名簿を取りに行っているのを、職員室横の生徒指導室の椅子に座って待っていた。名前こそ不良生徒を懲らしめるような感じの指導室だけど、実際は進学とかの悩み相談所で、本棚には赤本とか、職業案内書とかがギッシリ詰まっている。初めて中に入ったが、思っていたより普通の部屋だった。
三年生になったらここで面接の練習なんかもやるらしいが、俺にはまだ無縁な話だ。
「……」
持て余した時間をどう使えば有効なのか、神でも予見者でもない俺にはどうすればいいのかわからない。
部屋に備えつけられた時計の針が音をたてるのに混じってスンスンと鼻をすする音がする。
隣の部長が、その小さな身体を震わせて必死に泣くのを止めようとしているのだ。
そんな状況の部長に、『先輩』とやらの話を聴くことは出来なかった。
山本先生が資料を取りに行く前に淹れてくれたコーヒーの湯気が鼻を優しく刺激する。ブラックコーヒーは飲めないけどこの匂いは好きだった。
スティックシュガーの袋を破って、黒いコーヒーに入れ、それからティースプーンでかき混ぜる。
息をふいて冷ましてから一口目を口に含む。
コーヒー自体口にするのは久しぶりだけど、たまに飲むとおいしいもんだ。
「すまなかった」
「いえ、俺は平気です」
しゃくり泣きはせず、いつもの口調に戻った部長はなぜかまず俺に謝罪した。
落ち着いたようで何よりだけど、部長が泣くところを見るのは初めてだったので、戸惑ってしまった。実はいうとまだ、回復はしていない。だから山本先生が淹れてくれたコーヒーは部長はもちろんのこと俺の気分を落ち着けるのに役に立っているのだ。
二口目。
「春野、というのは」
謝罪の後すぐに部長は、俺が気になって聞けなかったことの説明を開始してくれた。
「二個上で、前年度三年生だった私の先輩だ」
「ああ。今までの話から大方予想はついてました」
「……元天文部で、初代娯楽ラ部の部長でもある」
少し驚いた。
話には聞いていたけど、名前は知らなかったからだ。
だけど何よりその人について調べようとする部長が必死だったことが一番驚愕だった。
いつか、部長がつけていた日記を覗きみた時書かれていた先輩がその春野さんなんだろう。遠い記憶の中の出来事だ。
渇き始めた喉を潤そうと三口目をすするけど、余計に喉が渇きそうだった。
「そうだったんですか。だ、だけど部長、なんで今その人について調べる必要があるんですか?今、美影が…」
俺が一番疑問に思っていたことをすべて言い切る前に部長は呟くように既に説明をはじめていた。
「春野、春野優人は、美影の亡くなった兄なんだ」
はるの、ゆうと。
コーヒーから立ち上る湯気はいつも形が違うけど、同じふるさとをもっている。ふわっと広がってしんみりと消えていく。
辿る道は同じだけど、存在自体は別個のものだ。
四口目を口に含んだ時、溶けきっていない砂糖の固まりがあったらしく、甘過ぎる後味がドロリと俺の喉を通過した。