表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
116/126

第 話(1)


早朝の学校はシンと静まり返っていて、教室はぼんやりと薄暗かった。

電気をつけていないのもあるのだろうが、窓の向こうも白の絵の具を塗りたくったような薄暗い空に覆われている。

音もない一人きりの教室、わき上がる不思議な感情を留めるように瞼を閉じた。

数秒そうしてから、机から手を離し、かがめていた腰を伸ばす。


あの人は何時もここで授業を受けているんだ。1メートルも離れてはないはずなのに、近くて遠いもどかしい距離感。

いつまでもここから黒板を眺めていたいけど、誰かが来る前にいかなくちゃ。

教室のドアを抜けて廊下に出た。


廊下も人気はなかった。私の足音だけが、この世界の存在証明だ。

普段はあっという間なのにこの日はやけにながく感じた。知らず知らず噛みしめるようにゆっくり歩いていたのだろうか。それとも、隣に男の子がいないからだろうか。

たどり着いた部室は、始めてここに案内された時と同じように、変わらずに存在していた。

ドアを開けて中に入る。休みを跨いで、鍵を閉めなかったのは不用心だったかもしれないけど、今日という日に見ておきたかったのだ。


扉の先は、この半年で見慣れたはずの景色なのに、誰もいないからか、静寂という二文字とともに寂しさが部室を演出していた。

様々な思い出の奔流が私の全身を駆け巡る。

忘れない、忘れたりしない、だけど――

一年前、お兄ちゃんが、


同じページをめくり過ぎてボロボロに擦り切れてしまった思い出が、再び私の胸を締め付けた。

声を出して泣きそうになったけど、グッとこらえるように唇をかむ。

「あ」

上半身に力を込めたからか、ガクっと足から力が抜けて近くに引きっぱなしにされたままだった椅子に座りこんでしまった。

「出る時に、……いつも椅子をしまってって、言ってるでしょ。……雨音さん……」

彼は、何時も、ここで私に微笑んでくれる。別に意図してやったわけじゃないけど、偶然そこに座った私は、誰もいないけど顔が見られないよう机に伏せた。

ちょうど一年前のその日、雨が降っていた。

それから私の心にはずっと冷たい雨が降り続けている。

だけど、憎んでいたハズの雨をいつの間にか、好きになっていたのは、なんでなんだろう。

「……雨音あまおと……も、好き、なんだもん」

誰もいないけど、私の釈明はこの部室に残ってくれるだろう。

全ての、思い出と供に。




その日はとても寒い日だった。


吐き出す息はタバコの煙のようにぶわっと広がり白くなる。鼻息でさえ白かった。

記憶の出どころは定かじゃないが、鼻息が白くなるのは3℃を切ってかららしい。ということは今の気温は少なくとも3℃以下。雪国育ちではない俺には拷問に近い温度である。


いくら朝とはいえ、もう3月だ。

こんなに底冷えする日は、珍しい。最近じゃ春といっても過言じゃないほどいい天気が続いてきたのに、一気に冷え込んだものである。

空も昨日海に行った時と同じ厚い灰色の雲に覆われてる。

あの時と違うのは美影がそばにいないことだ。

だから、昨日は清々しい気分でも今は朝の寒さに登校が億劫になっているのである。


だけどー、そんな憂鬱でさえ吹き飛ばしてくれる思い出が俺にはあるもの〜

いやぁー、昨日は最高だったね!

あまりの寒さに影った気分が、過去の光に照らされてパァと明るいものになる。


美影と二人っきりデート!

たしかクリスマスのお返しのハズなのになんだか俺へのご褒美みたいだったよ!


思い出すだけで口元がにやけてくる。

通りすがった犬の散歩をしているオバサンが、不審者を見るような目で俺を見てきたが全く気にならない。

もう道端を歩く人に「あなた幸せですか?僕は幸せです」って言いたいくらい心の中はほっかほっか。

にやにやは仮面のように俺の表情に張り付いているが全然不快じゃない。


しかし、もうすぐ校舎が見えてくるころだ。いかんいかん。気を引き締めないと、



「ふぁ〜」


っと、思った矢先に欠伸がでた。空気が読めずに俺の真剣をアラピン、カラピン、スカンピーンとアクビちゃんはすっ飛ばす。

睡魔は俺に付きまとい、あわよくば眠りの世界に誘おうとしてくる。具体的に彼に襲われるのは一時間目あたりだろう。


錆び付いた校門をくぐると、一気に気分は沈みこんだ。

もうすぐ、期末試験がはじまる。

周りの人を見ていたらそれを思い出したからだ。

学生というのはいつもコレに苦しめられている。


なにか新しいことや盛り上がるイベントも、全てを無に帰す憎いやつ。それが試験という名の悪魔である。

こいつがいなければ、学生生活は薔薇色になるのに、そんな思いを胸に秘め、誰も彼もため息と共にペンを動かすのだ。嫌だけど、学生の本文は勉強(無駄に歳くったおっさんがこれ言うたびに殺意わくんだけど)、やるしかない。


そう気合いを入れて、エントランスのガラス戸を押してあける。


「あ」


美影がいた。


「おはよう」


「お、おはようございます」


突然の遭遇に声が上滑ったものになってしまう。

朝の挨拶を交わし合い、なぜだか見つめあった。

時間にしては数秒だろうが、俺には十秒くらいに感じられた。

先に視線を外したのは美影だった。親に叱られた子供のように目線を斜め下にさげてシュンとしている。

俺も昨日の出来事が再びフラッシュバックしてきて、気恥ずかしさに張本人を前に会話スムーズに行うことができそうになかった。


「あれ、美影、どこかに行くの?」


ふと違和感を感じる。

彼女が向いている方向についてだ。

俺は正面からドアをあけ、校舎に入ったのだが、彼女は明らかにこれから外に出ようと、こっちに向かってきている構図になっているのである。

登校時間中の今、流れに逆らって外に出ようとする生徒自体は特に珍しくはないが、それは遅刻者チェックする風紀委員に限った話で、美影には関係のない話だ。


「あ、はい。……忘れ物をしてしまって」


「ふぅん。そっか、でも、もう間に合わないんじゃない?時間そんなにないよ」


俺の体内時計はすでにチャイムが鳴る10分前を告げている。

今から外に出ると、校門で遅刻者としてチェックされる危険がある。


「急げば、なんとか」


「そっか。あ、もしかしたら外の先生に忘れ物を取りにいくって言っとけば遅刻としてカウントされないかもよ」


根拠はないアドバイスをしといた。

先生だって鬼じゃないし、ちょっと忘れ物を取りにいくことくらい許してくれるだろう。

俺はそう思うのだけど、実際はよくわからない。体育系の熱血先生じゃなければ、許してくれそうだ。


「そうですね。一応言っときます」


「それじゃなるべく急いでね」


そわそわとしだしたので、美影との会話を打ち切る。彼女だって俺と不毛な会話に華咲かすより、忘れものを取りに行きたいのだろう、そう思ったので彼女の横を通りぬけて、教室に向かうことにした。


「あ、あの!」


「ん?」


立ち位置が入れ代わった途端、美影が声を大きくして俺を呼び止めた。


「どうしたの?」


足を止めて、ふりかえる。

美影は、今度はしっかり俺を見すえている。気のせいか、まばたきが多い。


「いえ、なんでも、ありません」


「?」


それだけ言うとまた瞳を伏せた。

どうしたのだろう。なんだか今日の彼女は挙動不審だぞ。


気恥ずかしいからだろうか。

ただ海を眺めるだけでも、俺は楽しかったけど……。

しばらく待ってみたけど、美影はそれ以上なにも言う気はないみたいだった。ならなんで引き止めたんだ?


「じゃ、また後で」


「あ、はい、……また」


美影はなぜだか、少し寂しそうに微笑んだ。

その表情が、妙に印象に残った。




結局、間に合わなかったらしい。

ホームルームの出席確認に彼女は顔を出せなかった。

残念だけど、そういう結果だ。

担任が、「なんの連絡もうけてないのになぁ」と首をひねっていたけど、美影は忘れ物をしただけなのだから、欠席の連絡を先生にしないのは当然である。

欠席をする場合は担任に連絡を入れる必要がある。そうしないと無断欠席の扱いになり、家に電話でどうなっているのかと担任が確認する義務がうまれてくるのだ。

だから、めんどうくさがりの担任は、休むな!と普段から口を酸っぱくしているのだった。


「じゃ、ホームルーム終わり、一時間目にまた会いましょう」


先生は短くそう言うと、教壇から降りてスタスタと教室を出て行った。

一時間目は彼が受け持つ教科だからまた直ぐに顔をあわせるわけになる。それを見越しての発言だ。

先生は時たま、ホームルーム終わってそのまま授業を開始することがあるが、今日はそれがなかった。


「裏さんが休みなんて珍しいな」


ぼんやりと授業の準備に取りかかる俺の背中にいつの間にか近寄った斎藤が声をかけてきた。


「忘れ物を家に取りにいってるらしいぞ」


今朝の彼女の顔が思い出される。冷静になって考えてみたら、確かに美影の席が空席になるというのは珍しい。断言はできないけど、美影がホームルームに参加しなかったのは始めてのことかもしれない。

転校生の場合、無遅刻無欠席でも皆勤賞になるのだろうか?とどうでもいい、そんな事を考えていた。


「ふぅん、それなら遅刻に入らないかもなぁ。あ、つうかお前、それなんで先生に言わなかったんだよ」


「……忘れてた」


「バカじゃん。それより裏さん、何を忘れたんだろうな」


呟いてから斎藤はさも当然のように俺の机に腰掛けた。「オレノ机ハ椅子ジャナイ!」と声を大にして言う必要性は特に感じないので、俺は彼の質問に普通に答える。


「さあ、今日体育あるし、ジャージか何かじゃね?」


言って自分で思い出した。今日は体育が6時間目にある魔の1日だということを……。

鬱だ。いきなり鬱だ。また無駄に走らされたりするんだろうな…。


マラソンは、苦手だ。

たかが高一の授業に陸上部のような特訓を施す必要はないように思える。

長距離選手とか、苦しみを進んで受けてるただのマゾヒストだろ。そんな思考の俺だけど、やっぱり、お正月の駅伝とか感動しちゃうんだよな。

朝の澄んだ空気を切り裂き、勾配激しい山道をひた走る。汗は滝のように流れ、疲労感が足を鉄にするけど、襷に込められた仲間達の思いが、選手を奮い興す糧となる。う〜ん、なんだか青春だねぇ。俺は絶対やりたくないけど。


「なるほどー。それなら確かに鞄を持って行く必要があるな」


「え?」


斎藤が俺の言葉を受けてふんふんと頷いた。


「ほら、ジャージとか取りに行くってんなら鞄必要じゃん。机にかかってないから」


言われて隣の美影の席を見る。


斎藤の言う通りぽつんと机があるだけだった。ただ忘れ物を取りにいくだけならば鞄は置いていくはずだろう。

出席している人ならほぼ間違いなく掛けるハズの場所に鞄はなかった。


「にしても、裏さんおっそいなぁ。距離的に考えて、そう時間かかんないハズなのに」


「……なぜお前が美影のウチまでの距離を知っている?」


「秘密、秘密〜」


くそ、俺でさえ知らないのに。時たま、こいつのその異常な情報量を羨ましく思うことがあるよ。



「おー。表、ちょっといいかぁ?」


いつのまにか帰ってきたらしい、担任教師が体半分をドアから教室に出して俺の名前を呼んできた。

斎藤との会話が一旦途絶える。

先生はまだ「うぉ〜い」と言いながら手招きをしていた。


「ほら、雨音よんでんぞ。抜き打ち二者面談だ」


「やなこというなよ。朝からなんだろう。だりぃな」


「ほらさっさと行け」


「はぁ。ちょっと行ってくるわ」


小さく呼吸を整えてから(ため息をついたわけではない)俺は先生の元に行き、一緒に廊下に出た。



「なんですか?」


一時間目の始まりを告げるチャイムが校舎に響いた。

時刻はジャスト9時。6限までの地獄が今日もいつものようにスタートした。


一時限目に突入したというのに廊下には未だにちらほらと生徒が残っており、「早く教室に入りなさい」と習ったことない社会科の教師に怒られていた。お叱りを受けた生徒はすごすごと自分たちの教室に戻っていく。


そんな廊下の一角に、先生と一緒なので注意されずにすんだ俺が立っていた。


人がはけた廊下はがらんとしている。

誰もいない廊下に、おっさんと二人きり。…泣きたくなってきた。


「急にすまんな。ちょっと訊きたいことがあって」


先生は短く言葉を切るとそのまま続けた。


「裏から何か連絡受けてないか?」


「はい?」


裏って、…ああ、美影のことか。

微妙な発音だったので混乱しそうになった。


「みか、…裏さんでしたら朝に忘れ物を取りに行くって言ってましたよ」


どうやら美影が欠席(ほんとは違うけど)した理由を調べているらしい。

職員室に戻って確認をとっていたのだろう。


「本当か?どこで会った?」


「えーと、朝エントランスで」


今でもすぐに思い出せる。当たり前だ、彼女と別れてそんなに時間経っていない。


「そうか。うん、サンキュー。もう戻っていいぞ」


「はい。あ、そういえば先生はどうして俺を呼んだんですか?」


教室に戻る前にふと浮かんだ疑問をぶつけてみた。

美影の遅刻の理由を調べるのに、仲が良い女子に訊くのが普通だというのにわざわざ男子の俺に訊いてきたのを気になったからだ。


「お前、裏と同じ部活だから仲いいだろ?たぶん」


ただ単にそんな理由だった。

おそらくこの人、生徒の交遊関係まで目が回ってないのだろう。怠惰な人だから。


「だけど助かった。朝、家を出たっきりだなんて電話で言われたから失踪したもんかと」


「そんな事あるわけないじゃないですか」


鼻で笑いそうになる。今時失踪なんて聞いたことがない。

そういうのは探偵小説の中だけの話だ。


「まあ普通はそうなんだが、思春期のガキは何しでかすかわからんし、誘拐とかも怖いからな」


先生はそう言ってからスタスタと教室に入っていった。取り残された俺は慌てて先生の後に続く。

ふと、斎藤の言葉が蘇った。

『そう時間かかんないはずなのに』。家に戻るのに、時間がかからない。なのに家の人は美影が朝に家を出たっきり知らないと言う。


まさか。まさかな。


嫌な予感がしたが、気のせいということにしといた。

チラリと今朝会った時の美影の表情が浮かびあがる。

なんであんなに不安そうな顔をしていたのだろう……





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ