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34(2)


『月日は百代はくたい過客くわかくにして、行きかふ年も又旅人なり』


松尾芭蕉の『奥の細道』です。


ともかく私が言いたいのは

もう2月かよっ!




「うっえ、ぐ、うぅ、ずずっ、う」


映画鑑賞後の晴れやかな気分を台無しにするように呻き声がまた聞こえ始めてきた。

呻き声をあげながら鼻を啜り、涙を拭おう目をこすってはいるが、拭っても拭ってもまたあたらしく涙が零れるので、いつまでたっても彼女の睫毛は濡れたままだ。

映画館をでて、近くの茶店で席に着いた瞬間、彼女の涙腺は決壊したらしい。

ハンカチをもたない俺はその様子を黙って見ていることしか出来なかった。


「す、すっご、ぃ、っう、か、感動し、ズッ、たぁよぅ」


「わかった、わかったから、鼻すすろうな、な」


喫茶店の机に備え付けられていたちり紙を見つけたので、それを一枚とって彼女に差し出す。和水はそれを受け取ると顔面にこすりつけるように、涙を拭った。


映画を見終わった後、隣の和水を見たら、あり得ないほど涙を流していたのだ。地面に水たまりができるんじゃねぇの、ってほどの勢いである。

どうやら心にズッパシ響く何かがあったらしい、まぁ、平たく言えば感動したのだ。確かに良くできていたとは思うが、そこまでのものか?

それで、泣きやまない和水と仕方なく映画館で時間をつぶしていのだが、次の上映が始まるため、しょうがなく映画館を出て近くの喫茶店に入ったのだ。しかし、和水の中にまだ余波が残っていたらしく、ドバドバとまた泣き始めた。

というか、この状況を他人がみたら別れ話をしていると誤解されるのではないだろうか…。


「あの、シーン、わかる、蛍の、うっ、泣いたわ」


やっとこさ落ち着いてきたらしいが、


「まだ泣いてんじゃないか…」


瞳を赤くしながら、尚も涙声で彼女はヒクヒクとしゃっくりあげている。

映画の感想を語る前にその涙を止めてくれ、当然ながら女性の涙を見るのに慣れていないんだ。


「っるさいわね。か、カンドーしたんだからいいじゃないの、それで、ズッ」


「確かに、こうゾクッと来たけどよ、…泣くほどのもんか?」


そこは性別の違いという奴だろうか。

俺も感動することにはしたが、涙は出なかったっす。


「な、泣いてなんかないわよ!」


言い切るのはいいけど、


「今更それを言う?」


100人中100人が今の和水を見て『泣いてる』に一票を入れるハズだぜ。


「う、うるさいわね!これは、あれよ!目から汗がでてるだけよ!」


「…目から水分ださないでください」


どちらにせよ、泣いている事には変わりないのだが。


「それで、なんだっけ?蛍のシーンだっけ?」


「そ、そうよ!あそこ!主人公に女の子が『なんで蛍はすぐ死んでしまうの?』って問いかけるシーンで私の涙腺は決壊…」


あそこはパロディシーンだと思うんだけど…


「教えよう!」


「わっ」

ずっし、テーブルを揺らしながら何者かが乱入してきた。突然の事なので人物をうまく視認出来ない。勢いにアイスティー(午後○紅茶ではない)が2、3滴零れてを机の上に広がった。


「蛍は成虫になると何も食べないからさ。ウスバカゲロウと同じだな。口がないのさ」


「え、え!?」


「まあ、幼虫の時が長いから、虫の命としてはなかなかじゃないか?」


俺と和水が座っているテーブルに無理矢理詰め込むようにしてソファーに偉そうに女が座り込んできた。向かい側に座る和水も驚いたように、その人のタメに席を詰めている。やっとそこまで脳が理解出来たのだが、そこから先は、出来ることなら理解したくなかった。


「えーと…」


冷静になってその女性の顔を見ると、なんと我らが娯楽ラ部部長柿沢秤その人だったのだ。

なんという、事でしょう…。


「ぶ、部長っ!?どうしてここにいるんですかっ!」


「どうして?愚問だな」


どこから沸いてきたのか、学校の最寄り駅ならまだしもなんでこんな辺鄙なとこで、1日に二人も知り合いに会うとは。

偶然とは恐ろしいものである。…偶然だよね?


「えい」


部長は右手で持った紙袋を掲げた。紙袋のロゴには『プラモデル』と書かれている。

なんだこれ。確か映画館に行くまでの道のりでそんなお店があったような気がしないでもないが。


「不朽の名作、…HOゲージの、…まあ鉄道模型を買いに来たんだ。この辺にいいホビーショップがあるんでね、ふふ」


欲しいおもちゃが手に入った子供のように嬉しそうに笑い声をあげた。…不気味だ。


「あとあそこの本屋に本を買いに来たんだ。なかなかコアなものがあるのでな」


「はあ、そうですか。って、そんなんどうでもいいんですよ。…こんな所で会うなんて奇遇ですね」


探りを入れてみる。もし部長が何らかの力、認めたくないが千里眼とか、で俺の行動を捕捉していたとしたらこの質問でボロがでるハズである。


「いや、たまたま本屋を出た時にお前たちを見つけてね。ついて来ちゃった」


テへ、と可愛らしく舌をだす部長。なんかムカ。


「それでコレはどういう状況?悪いと思って遠くから見とくだけにしようと思ってたんだけど耐えられなくなっちゃた」


どういう状況って…、

視線を正面に座る部長からシフトさせ、彼女の横の窮屈そうに身を縮めている和水に移す。

和水は相変わらずの泣き顔だった。

…全く、映画見終わってからもう結構経つんだしそろそろその涙も引っ込めようぜ。


「修羅場なのか?」


「?」


…うん?

そういえば、さっき俺は〈こんな所を他人に見られたら別れ話していると誤解される〉、みたいな事を思わなかったけな…。

っは!?


「ち、違いますよ!部長!和水とはさっきたまたま会っただけです!」


絶対部長は誤解してるよ!

俺と和水が休日デートしてるもんだとこの人解釈してるに違いない!


「…申し合わせたわけじゃない人とたまたま会って映画館に行くか?」


部長はいやしくも、まだ疑っているらしい。

うう、その推理する探偵みたいに無駄に鋭い眼光、どうにかしてくれ!グラサンかけるなりなんなりして!


「それはそ…その場のノリというますか、…和水がチケット持ってたんですよ!」


「そ、そうよ!部長!偶然にもたまたまチケットが二枚あっただけの話よ!無駄にしたくなかったから雨音を誘ったのっ!」


どうやら和水も部長がとんでもない勘違いをしようとしている事がわかったらしい。俺と一緒になって部長に弁解を開始し始めた。


「ふーん。んで、和水は何で泣いてるの?」


絶対納得はしてないだろうが部長は曖昧な相槌を打ってから嫌らしい笑みを浮かべ別の質問をしてきた。

やれやれ、後でまたなんとか言い訳させてもらわなくては、…まぁこの質問にはすぐに答えられるし、間違っても痴話喧嘩かなんかで和水が感極まって泣き始めたわけではないのだから。


「ああ、和水のやつ、映画で感動したらしいです」


「っ」


「ほうそうかなるほど納得な」


首肯はしているけど部長は間違いなく納得はしていないのだろう。

まぁ俺はこの話がこのまま収束に向かってくれればそれでいいんだけど。


「ち、違うわよ」


「え?」


…だからなんでこのタイミングで和水が否定の言葉を吐き出したのかがわからない。


「私は映画なんかじゃ泣かないわ!フィクションじゃ泣かない!」


出たよこの意地っ張り。

つうか、さっき『泣けたわ』とかほざいたばっかじゃないか。


「ほう、しからば何故に目を赤くしているのだ?」


「あ、あくびよっ!とてつもなくデカいあくびがでただけよ!」


見苦しい言い訳を必死に行う和水。

というか、やめろ。

俺はホントのこと言ってるのに噛み合ってないみたいになってるじゃないか。

そんな些細な綻びからから部長の目がキラリと家政婦みたいに光っちゃてるし。


「ほほう、辻褄があいませんなぁ」


部長はニタニタとしながら、首をぐるぐると歌舞伎役者みたいに回す。そのアクションがなんの意味があるのかしらないけど、なんだかとっても楽しそうである。


「辻褄って何よ?ほ、ホントに私は泣いてなんか無いんだからね?」



「異議あり!雨音は和水は映画を見て泣いたといい、一方で和水はあくびで泣いたと言っている!これは明らかに矛盾しています!」


机をバンと叩いて立ち上がり俺を指差す部長。指さすなや。


「和水がごまかそうとしてるだけです」

冷ややかな視線を部長に送る、これで頭を冷やしてくれればいいんですけど…


「屈しない!デカルトが言ってた、我思う故に我有りって」


多分意味が違う。


「懐疑論だ。しらないの?」


「倫理履修してないんで」


「ま、いいや」


部長はそう言うと、喉が乾いたらしく机の上の放置プレイされたままだったアイスティー(俺の)を、ストローも使わず直にコップに口をつけて飲んだ。

無許可である。しかも意図的に間接キス避けてるし…、甘酸っぱい思い出が欲しいわけじゃないけど、嫌な思い出を植え付けないで下さい。…別に間接キスしたかったわけじゃないけどさ。


「一口もらったよ」


「…どうぞ」


「どうも」


見事な事後承諾を終えた部長は机の上に肘をつき、前に乗り出すようにして訊いてきた。


「それでそろそろホントの事を教えてくれても良いじゃないか?」


「ホントの事?」


「ああ、回りくどいのは好きじゃないんでね」


そうか?けっこう部長は回りくどい言い回しを多用してる気がするけど、…意味なく演技口調のときとかたまにあるじゃん。


「二人は付き合ってんの?」


「は?」


「ふぇ?」


沈黙。沈静。静寂。静止。静態…。

思考、俺を取り囲む空気が全てシャットアウトされた気がする。そのままブラックアウトしそうです。

突然ですがここで問題。今俺に圧倒的に足りないものはなんでしょうか?


はい、ブッー、時間切れ!

答えは酸素、分かったときはもう遅い。

どっかの死刑囚の言葉を借りただけだけど、ようは俺の脳に届くはずの酸素が絶対的に少なくなったということです。

おかしいな、呼吸数は多分いつもより多めなのに。


「な、に、い、っ、て、んですっかぁあああ!?」


ワンテンポ、つうかけっこう遅れて否定。


「ふっざけったこっとぬっかさっないっでっよっ!」


和水も一緒に。


「うわぁ、何時にない迫力」


横と正面からの強い否定に部長はたじろぎながらも、まだ勘違いを続けている。

さっきの時点でわかってくれてないなぁとは思ってたけどまさかストレートに訊いてくるとはこれは完全に予想外だ。


「でもさ、休日に映画館で若い男女が二人きり、ってこれはもう恋愛中ってやつではないだろうか?」


「違うわよ!客は私たちの他にも沢山いたものっ!」


「私が言いたいのはそういう事じゃない!部内恋愛は禁止してないから自由にしてもらってけっこうだが、せめて報告くらいしてくれても良いじゃないか!ということだ」


「私が言いたい事を全っ然、分かってくれてないようね!いいぃ?私はいま恋愛する気なんてミジンコもないのっ、恋なんて煩わしいだけもの!」


「私の話を落ち着いて聞け!ムキになって否定するのは構わないけど、それはそれで怪しいぞっ!恋愛する気がないなんて言ってるのに休日に男と会っている、この事自体がぁ…」


「ちょっとは私の言い分を含めてよ!恋なんて云わばエゴとエゴのシーソーゲームで友人の評価がいまいちでもShe So Cute、なわけ!」


いや、意味分からん。

つうか和水、お前、つい先日から私の王子様ー、探してんじゃなかったのかよ。


「それは違う、と私は思うっ!エゴとエゴのシーソーゲームではなくエゴ、ないしエスとエムの端子がガッチリ会うかという問題だ!」

真面目に討論してるようにみえて滅茶苦茶ズレてる二人を俺は無言で見ていることしか出来なかった。

こういう茶店での女子の会話のヒートアップに男子の俺はついていけそうにない。


この後、二人が『もう恋なんてしない』を歌おうとするのを、止めるまで、俺は一言も口を開くことなくアイスティーで喉を潤していた。






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