33(6)
寒いッ!
やっぱり寒いのは苦手だ!
衝撃は風と共にやってきた。
「楓、……」
寒空を突き抜ける冷たい風は、ナイフのように鋭く俺に襲いかかり、体温を問答無用で奪い去っていく。こんな寒い日に吹きさらしのサンクガーデンに行くやつなんざバカとしか思えない。
厚い灰色の曇り空は鬱屈した学園生活を体現しているかのようだった。
「ん、なんだ、雨音」
俺の存在に気づいたらしい楓は、壁が風除けとなっている部分に腰掛けたまま、軽くこちら見上げた。
その瞳は輝く太陽のように明るい色に満ちている。底無し沼のような暗い気分の俺にはまぶし過ぎて直視できない。
芳生の不吉な言葉が頭の中でグルグル回り始めた。
絶望という名の輪舞曲……
ロンド、ロンド。
「お前、お、お弁当……」
がなり立てたいという気持ちとは裏腹に、上手く舌が回らず、なり損なった言葉は白い空気となって吐き出されるだけだった。
とぼけた顔で、弁当を食いつつこちらを眺める五十崎楓に殴りかかったりしたら隣の人物は何を思うだろうとぼんやり思った。
「弁当?ああ、これ。これ中津川の手作り」
そう言って、隣を指差しながらタコさんウィンナーを口に運ぶ。
ああ、そうだろうとも。見ればわかりますともさ。
楓が口をもごもごさせる度に俺の怒りのボルテージもちょっとずつ上がっていく。
楓の隣に座る中津川は小さく俺にお辞儀をすると、仄かに紅くなった頬を隠すかのように俯いた。
この状況なら、手作り弁当しかないだろう。可愛いピンク色の弁当箱引っさげやがって、独り身を馬鹿にしてんのか、クソ野郎!
……現状を纏めるとこうなる。
まず俺。俺は楓の妹の梓ちゃんと共に、彼を訪ねてここ、サンクガーデンまではるばるやって来た。
次に梓ちゃん。彼女は外の廊下で俺の報告を待っている。
元々楓の昼食がどうなっているかを調べに来ただけなので、ここに顔を出す必要がなく、むしろ楓にその存在を知られたくないのだそうだ。
楓。
楓は信じられない事に、冬の寒空の下、もそもそと弁当を食べていやがった。
とぼけた顔で弁当を食べる姿を見ていると、中休みの俺の苦労が思い出され、ふつふつと怒りが湧いてくる。
そして、中津川。中津川佐江。クラスメートで楓と共に生徒会に所属。
つい先日、俺の平和を打ち崩した要注意人物でブラックリスト入りを果たしている。
彼女は楓の隣で嬉しそうにほんのり頬を紅くしながら、彼と一緒にお弁当を食べていた。まあ、よくある光景だ。高校生をやっていれば嫌でも目につく、うざったい日常茶飯事ってやつだが、一つ疑問が出てくるのは、俺がバカだからじゃないだろう。
中津川、お前……、
嬉しそうに昼食を共にする彼女を見ていると勘違いしてしまいそうになるが、その点に関してはキッパリと断言できる。
ズバリ聞くのも忍びないけど、
君、楓に、振られたはず、だよね?
「それで雨音、何の用だよ?」
吹き抜ける風に負けまいと思考を巡らせていた俺に、楓が話しかけてきた。
「用って、別に……」
「ん?俺に用が有って来たんじゃないのか?それじゃ、わざわざなんでここまで来たんだ?」
「あ、えっと」
……歩いて。
そんなギャグを入れる空気ではなかった。
「表、用もないのにわざわざこんなところに来るなんて暇人だね」
中津川がチラリと嫌味を言った。うるせー!
大体そもそもやっぱりなんだか、おかしいじゃん!
中津川、中津川佐江よ!
貴様楓にズバリキッパリズッピシ振られたって言ってたじゃん!
楓に、『今はそういう事に興味が持てない』ってキッパリ言われたって言ってたじゃん!
楓も、『友達のまま、アイツとは付き合いたい』って言ってたハズじゃん!
……落ち着け、俺。
二人が俺に内緒で本当は付き合ってるとかどうでもいいんだ、うん、どうでも、どうで、……くそ!くそぅぅぅ〜〜!
「眺めがいいココが好きなんだよ」
パニックになる脳内とは逆に口元では涼しく嘘をついていた。本当は今日まで存在は知っていてもこんなとこ来たことはありませんでした。
「昼休みに散歩?」
「その通り。しがらみから解放されたくてよ。暇つぶしに散歩してて、開放感に導かれて来たわけ」
「ふ〜ん、そう。この季節結構冷えるのにね。ああ、私たちがいるこの位置はちょうど風が来ないデッドスポットになってるから心配しないでね。とは言ってもやっぱり寒いものは寒いんだけど。まあ、お昼だから嘆くほどではないけどさ」
「そうか?昼なのに息白いぜ?よく耐えられるな」
はぁー、とわざとらしく息を吐くと、ぼや〜と白くなった、気がする。直視すればようやくわかるレベルだけど、息は白い、と思う、気分的に。
「うふ、ふふ」
俺の言葉を受けた中津川は突然不気味な笑みを浮かべた。
こわっ、こわ過ぎるよっ!
「うふ、私は、ちっとも寒くないよ」
にへらっ、と明るい皺が彼女の頬に刻まれる。
いらっ
二人の愛の力ってか、死ね!
「はっはっは、雨音、それには秘密があるんだ」
一方楓はワザとらしい笑い声を上げながら、持っているステンレス水筒を掲げて見せた。
お〜し、わかった、それでお前の頭を殴って撲殺すればいいのかな?まっかせっとけぇー!
「なんとこんなかには部室のポットを利用して出来たあったか〜いお茶が入っているのだ!これさえあればどんな寒いところもへっちゃらさ」
「そいつはめでたい」
お前の頭がな。
確かに、あったかい飲み物があれば寒い場所も幾らかマシになるかもしれないが、だったら始めからそんなとこいくなよ、って話だ。
わざわざあったかい飲み物まで用意して、人気無い寒いとこでランチタイムということは、やましい事があるからではないのか?
そう、やましい《ピーー》とか《ズキューン》とか《バキューン》とか、ほかにも《 グワバッ》や《メメタァッ》しいて言えば《ドォォ〜オン》と《 バァァ〜ン》とかもかな。
…有り体に言えば不純異性交遊だ。
「まぁ、雨音も一杯どうだ?」
「いや、遠慮しとくよ。それより……」
「なんだ?」
「お前がこんなとこで、ラブラブしてるとは、驚かされたぜ」
苛立ちを隠さずにはっきり冷やかしてやった。
「きゃ」
視界の隅で捉えた中津川は小さな悲鳴を上げながら、嬉しそうに笑っていた。隠しているつもりだろうが、全く隠れていない。
ぶっ、飛ばしてぇえ。
彼女に、(お弁当の)スパゲティをぶちまけたいんですが、構いませんねッ!
静かな怒りに震える俺をよそに、当事者たる楓は予想外の反応を示した。
「ラブラブ?なに言ってんだ、お前?」
尋ね返されたのだ。
これはまたどういう返事をしたら正解になるのだろう。
「何って、決まってるだろ。昼休みに仲良くお弁当を食べるのがラブラブと言わずしてなんと言うのさ」
「偏見だな。俺と中津川は友達だ。カップルじゃない」
キッパリと言い放つ楓。
最後通告みたいだな。
チラリと中津川の様子を見てみる。ショッキングな顔してるかなぁ、って思ったが、別にそんなく、教室にいる時のように涼しい顔をしていた。
「いや、でもこんな人気のないところで弁当を一緒に食べるだなんて友情の域を脱してるだろ」
「友情だ」
「しかも手作り弁当だろ?これはもうやましい関係としか思えませんな」
「な、なに言ってるんだ!け、けっして俺はこの弁当で食費を浮かそうとか、そういうやましい考えを抱いているんじゃない。ただ単に友達同士ならお昼を共にするのは当たり前という中津川の誘いに乗っただけだ!勘違いするなよ!」
墓穴を掘った、のか?
今、軽くネタばらししなかったか、楓。
友人同士ならお昼を共にする、いや、まぁ、その通りだとは思うけどさ。お前の場合、先に節約が来るのかよ。言っちゃなんだが、甲斐性なしのダメ男じゃん。
俺と楓がグダグダと言い合っているのを見かねてか、楓の隣で黙って動向をうかがっていた中津川は、意を決したように声をあげた。
「そうだよ、表。勘違いしないでよ。私と五十崎はただ単にと、友達として、お昼一緒にしてるだけだもの。だ、だって、わ、私は確かに、五十崎にふ、ふ、ふら、ふられ…」
「……」
「と、ともかく、友達としてお昼を共にしてるだけなんだから」
言い切れなかったよ、メンタル弱いな。
「友達ねぇ」
「そう、友達。だけどその先に進む可能性もあ」
「え?」
「なんでもないっ」
何か言いかけたな……。
まだ諦めてないみたいだ、ネバーギブアップ中津川!心の中で親指たてて彼女の前途に幸多くとばかり祈っとくぜ!
……楓相手は諦めた方がいいと思うけど。
「んじゃ、俺はそろそろ戻るわ」
楓の昼食事情を調べるという任務は無事果たしたので、表一等兵、ただいま帰還いたします!これ以上ここにいると内から沸き起こる憎しみという感情に飲みこまれてしまいそうです!
「む、もう戻るのか?もっとゆっくりしていけばいいのに」
「いや、いい。俺もなにかと忙しいんだ」
「さっき暇つぶしに散歩してたって言ってたじゃん」
揚げ足とんなよ。
中津川にしても、おじゃま虫はいない方がいいだろう。お見合い風に言えば、後は若い二人で、って奴だ。同い年だけど。
…虚しい、一人心の中でツッコミをするだなんて虚しすぎる行為だ。
「それじゃな」
「ああ。また部活で」
「教室で」
ひらひら〜、と手を振る。
楓と中津川はのっぺりとした表情のまま俺がドアから出て行くまで見送ってくれた。
パタン
「さて」
ガラス戸を閉めた瞬間、俺の心まで吹き荒れていた北風は止み、あたりはただ埃の臭気がただようだけだった。
綿埃が雪のようにヒラヒラと宙を舞う。
廊下に戻ってきた。
ちょっとした異世界から現実に帰ってきたような気分になる。
廊下は来た時と変わった様子はなく、木目の黒ずみまで寸分たがわず、上履きの足跡まで同じだった。
まぁ、サンクガーデンに出てた時間は五分くらいだから、変化があったりしたら、小さな妖精さんに、感謝よりも恐怖しているところだ。
「梓ちゃんに報告しなきゃな」
忘れそうだったので再確認の意味を込め一人呟いた。
楓に弁当を作らなくてもよくなった理由、それは、彼を好きな女の子が手作り弁当を持ってきてるから。
……ブラコンの梓ちゃんには少しコク過ぎる事実だ。
もう少しオブラートに包むか。
うーん、友達に弁当もってきてもらってた、でいいか。
間違ったこと言ってないし本人達もそう仰ってたしね。決定。
「って、あれ?梓ちゃん、どこだ?」
廊下を端から端まで見渡して見たけど、報告すべき依頼人の姿が消えていた。なんだ、これ?
行きに『私はここで待ってますから』って言ってたのに、なぜにいない?
忽然と姿を消した中学生、事件の香りなんてしないけど、このままじゃ俺、保護責任者遺棄に該当してしまうのではないか。裁判員裁判じゃ間違いなく有罪くらっちまうよ!よく分からんけど。
「お前なにしてんだ?」
あたふたと廊下で戸惑っていると、たまたま通りがかった上級生が話しかけてきた。
「あ、金谷先輩」
「こんなとこで会うなんて珍しいな。廊下で何キョロキョロしてんだ?」
先輩は友人を後ろにめんどくさそうに、あくびをした。
「えーと、この辺で紺色の制服着た中学生見ませんでしたか?」
とりあえず聞き込みがてら情報収集しておこう。
「中学?……あー、いたな。女の子」
「本当ですか!どこで」
「ん?さっきそこから出てきて」
サンクガーデンのガラス戸を指差し、
「駆け足で廊下をぬけ、あっちの階段を下っていったぞ」
指を階段に滑らせて、先輩は何もなかったかのように続けた。
「……あー」
「どうした」
「いえ、なんでも」
扉から出てきた、って事は…見たんだな。
楓が中津川とイチャイチャしてるとこ。
「先輩、ありがとございました!それじゃ」
軽くお礼を言い、彼女を追って駆け出す。マズいことになった。
「顔色が悪かったから便所だと思うぞ」
…なにその短絡的思考。彼がモテない理由が少しだけ分かった気がした。