9 大ミミズ
巨大な穴の中に住む貧民街の人々の主食は土ネズミです。
土ネズミは豚と同じように、大量に子供を産みます。
太らせて食べれば、味はともかく食べれない事はない程度の味です。しかし、それを食べないと他に食べるものは、魔力で作った雑草位です。ですから、シグレもこの貧民街に来た当時に、土ネズミの牧場を買い取ったのでした。その牧場は、元の牧場主であるカシームが誰かに殺されたので、誰もその牧場を見る者がいなかったのです。そこで監視者がその牧場を奪った訳ですが、それを、シグレが買い取ったのです。
シグレは巨大な穴の壁に、壁が見えない程建てられた家を通って牧場に向かっていました。家を通る時は通行料を払わねばなりません。
シグレは、牧場に行く途中に通る家に、通行料を払うためにノックします。
出迎えた親父マシューが笑顔で扉を開きます。
「よく来たね。牧場に向かうのかい?」
二人が家の中に入ると、アリスがマシューに挨拶をします。
「お早う。マシューおじさん。」
マシューは嬉しそうにアリスを見ます。
「おお!アリス、今日はお母さんと一緒なのかい。それは良かった。」
「そう、今日は大ミミズを退治しなきゃならないの。」
「そりゃ、剛毅な話だね。」
シグレは、腰にぶら下げている土ネズミで出来た袋から、銀の粒を2粒だします。
「済まないがいつものように梯子を使わせてもらうが構わないかい?」
マシューはシグレから渡された銀の粒を一粒取るとこう言います。
「お代は、これでいいよ。あんたにはいつも世話になってるから、本当はタダでも良いんだがね。それではあんたの気がおさまらんだろうから、これだけもらっておくよ。」
シグレは、マシューに一礼しました。
「すまない。何か困ったことがあったら言ってくれ。あたしに出来る事があれば、何でもするよ。」
マシューは嬉しそうな顔をしてアリスの頭をなでます。
「今のところはないよ。今日はアリスも見れたし。それで満足さ。」
マシューは二人が家の中を通っていくのを見送りながら、ニコニコしています。
シグレが扉を開けて家を出ていくと、アリスが笑みを浮かべながらマシューに手を振ってその後を続きます。
マシューはアリスが扉を閉めるまで、ニコニコした笑顔をしていました。
扉を閉め終わると、ふうと溜息をつきます。
「ふん、シグレめ。偉そうにしやがって。」
マシューは、通行料を最初はかなりの高額で貧民街の住民からふんだくっていました。しかし、シグレがマシューの所に乗り込み、彼女のひと睨みで恐怖し、そう上シグレに脅されて通行料を下げてしまいます。その後、色々親切にはして貰ったものの、噂で自警団で凄腕の男が、シグレの指一本で殺されたと聞くと、彼女を恐ろしい女だと思いました。
その噂は貧民街の壁中の家に伝わり、シグレに逆らえば殺されるという噂まで流れていたのです。それは、あくまで噂なのですが、この貧民街では、強い者には逆らうなという言葉に支配された街でもあったからです。
だから、壁の住人たちは誰もシグレから金をとろうとはしません。しかし、シグレは通行料を義理堅く払おうします。そこで、しかたなくわずかばかりの通行料を取る住民たちでした。
シグレはマシューの家を出ると梯子を見上げていました。梯子は真っ直ぐに伸びて永久結界手前までありました。
腰に巻いている土ネズミの皮で編んだロープを確認します。こちらの世界で言う安全帯です。そのロープの端に鉄鉱石を溶かして作った鍵爪が付いています。これから何百メートルも登らねばならないので、落ちないためにこれが命綱になります。
アリスの腰にも、同じように安全帯となるロープがまかれていて、シグレはそれも確認します。
「いいかい、下を見るんじゃないよ。それから、梯子から足を滑らせてもいけないよ。安全帯を信じずに確実に登ってくるんだよ。」
安全帯のロープを自分も確認しつつアリスは頷きます。
「うん、わかった。」
二人は、シグレを先頭に梯子を上っていきます。
穴の上から永久結界を透き通って、たまに風が下に吹き込んできます。永久結界は人は通しませんが自然的なものは通すようになっています。二人はこのたまに来る突風に持ちこたえなければいけません。
シグレが下にいるアリスに言います。
「大丈夫かい。アリス!」
「うん、大丈夫。」
アリスは小さいころから梯子を、上り下りしていますから慣れてはいました。しかし、恐怖感が消えているわけではありません。
魔力が強い者なら、Flyingの呪文で難なく永久結界手前まで行けるのですが、貧民街の住民でその呪文が使える者はごく僅かです。聖剣士であるナミキはもちろんできますが、シグレは、あまり魔力を使おうとしません。
シグレが使う魔法と言えば、誰でも使えるごく当たり前の魔法しか使わないのです。
二人が永久結果手前の牧場につくまで、アリスのスピードに合わせながら登っていました。その為に、2時間ほどかかったのです。それでもアリスが登る時間はだいぶ短くなっていました。最初一人で登り始めた時は、途中で休憩しながら4時間ほどかかって登っていました。
それでもアリスが梯子を上りきると、くたくたに疲れていました。
「お母さん。動けない。少し休もう。」
アリスは、一メートル幅くらいのスペースで寝転がります。
「そうだね。少し休んでから昼ごはんにしようか。」
シグレは壁際に座って、腰にぶら下げた鉄の水筒を自分の前に出して、腰にぶら下げている土ネズミの袋を取り出します。
土ネズミの皮ひもを解くと、一枚の大きめのハンカチになります。それを広げて、包んであった土ネズミの乾燥肉と土ネズミの乳を絞って雑草を混ぜて作ったチーズがあります。
どれも美味いという程ではありませんが、貧民街では美味しい部類に入ります。
「あ!チーズだ!」
アリスがチーズを目にすると、さっき迄へばっていたことが嘘のように、起き出してシグレの前にちょこんと座ります。
彼女にしてみたら、この食事はごちそうに見えました。
シグレは、そんなアリスを見て少し不憫に見えました。
(可哀そうにこんな食事をご馳走と思うなんて)
「よく噛んでお食べ。」
「うん!」
元気に返事するアリスに、シグレは目頭が熱くなります。
それに気づいたアリスが不思議に思います。
たまに、母シグレが何でもない事に涙ぐむことがあります。
それがどうしても、アリスにとっては不思議に思えました。
「何でもないよ。食事して、少し休んだら牧場に行ってみよう。ここは盗人は来ないが、大ミミズやお化けモグラがでやすいからね。」
アリスは乾燥肉を食べながら言います。
「あたひ、ほばけもぐりゃがいい(あたし、お化けモグラが良い)だっしぇ、おいひんだもん。(だって美味しんだもん)」
「こら、食べながら言うもんじゃないよ。」
急にアリスが乾燥肉をのどに詰まらせます。
「ほら、そんなことするもんだから、喉に詰まるんだよ。」
シグレがアリスの背中を軽くドンと叩いてやります。
その時、少しだけ魔力を使い乾燥肉を通りやすくして上げます。
「あービックリした。」
シグレは笑いながらアリスを見ていました。
シグレが笑う時は、必ずアリスと二人だけの時です。
人がいる時は、険しい顔で神経をとがらせています。
まるで、敵でもいないか探るようにです。
二人が休憩し終わると、梯子から少し離れた牧場の前に到着しました。
牧場は、洞穴になっていて、穴の中に鉄でできた小屋があります。その小屋の中に10匹ほどの土ネズミがいます。
シグレが、小屋の扉に使っている石を刳り貫いて作った柵を片手で上げます。
これは、大人でも両手で持たないと抜けない重さです。しかし、彼女は軽々とその柵を片手で持ち上げるのでした。
土ネズミが一斉に穴の奥の方にトコトコとゆっくりと歩いて行きます。土ネズミの速さはアリスが少し走ればすぐに追いつける早さです。土ネズミにしたら全速力で走っているのですが、アリスから見たらゆっくりとした足取りにしか見えませんでした。
アリスが小屋に立てかけてある鉄の杖を持って、土ネズミが別の方向に行かないように追い立てます。
「そっちじゃないよ。あっちだよ。」
土ネズミは、アリスに追い立てられながら穴の奥に行くと、行き止まりなった土の壁をガシガシと食べ始めます。
土ネズミは土の養分を食べて生きてます。この洞穴は土の養分が豊富なのでしょう。土ネズミでも良質と言って良いのか解りませんが、とにかく質が良い土ネズミに育ちます。
こうやって、土ネズミは穴を掘って、牧場を広げていきます。
気をつけないといけないのは、穴の崩落です。
ですから、土ネズミが少し穴を掘ったら別の所の土を食べさせます。たまに台に登らせて穴の上の方も食べさせたりします。食べた穴は、土ネズミをどかして崩落させます。
そうすることによって、牧場が次第に大きくなり過ぎないようにするのです。
アリスは土ネズミがトコトコと動くのが可愛くて、一日中面倒を見ます。
シグレは入り口付近で、怪しい奴が来ないか見張りながら、そんなアリスを見るのが、彼女にとって一番の幸福な時間でした。
「お母さん!」
幸福な時間を壊すような、アリスの声が聞えます。
シグレから笑みが消えうせます。
「アリス!どうした!」
「何か音がする!」
シグレは大ミミズだと解りました。
アリスを連れて来たのは、このためでした。
誰も気づかないような音をアリスは聞こえてしまうのです。
「ネズミたちを早く小屋に連れて行くんだ。」
シグレはアリスの所に、素早く走ります。
その速さは尋常ではありませんでした。
コンマ一秒の速さと言いましょうか、とにかく一瞬でアリスの所までやって来たのです。
アリスは、土ネズミたちに両手を延ばし神経を集中させます。
(お前たち、今から怖い奴が来るから小屋に逃げて)
土ネズミは、アリスが思った通りに動き始めます。
トコトコと小屋に脇目も振らずに向かって行きます。
どの土ネズミも、別の方向に行こうとはしません。
小屋まで一直線です。
シグレ、両手を握り締めて頭の中で呪文を唱えます。
(Muscle strength improvement!(筋力向上)Speeding up!(高速化))
シグレの筋肉が盛り上がってきます。
シグレは、一番穴の奥を睨みます。
穴の奥から、彼女にも音が聞えてきました。
足元で地鳴りがします。
一番穴の奥が少しづつ崩れていきます。
シグレは、じっと待ち構えています。
(来る!)
シグレが後ろにジャンプします。
一番奥の行き止まりの壁が崩れて巨大なミミズが飛び出てきます。
そのミミズは、丸い口を開けて口の中に何重にもなる鋭い歯がギザギザに口の中を覆っています。
食べられたら最後、ミミズのとがった歯でミンチにされそうです。
シグレは後方に着地するとすぐさまミミズに向かって拳を振りかざし飛び掛かります。
シグレの右フックがミミズの左頬に炸裂します。
ミミズがそのまま物理法則に従って洞穴の壁に激突します。
着地すると、シグレはすぐさま、また、こぶしを振り上げてミミズに向かって行きます。
しかし今度はこぶしを振り上げた状態のシグレに、向こうから頭を横に振ってきます。
吹き飛ぶシグレ。
壁にぶち当たり、片膝をついて睨み返すシグレ。
ミミズは頭を上にあげて、シグレを睨む形で口を開けたまま、その口を向けています。
ミミズはじわじわとシグレに口を近づけていきます。
シグレは、目を見開いて物凄い形相でミミズを睨み返します。
ミミズに目は有りません。
その代わり、レーダーのように電波を出して跳ね返って来た電波をキャッチして、相手の距離を測ります。
しかし、ミミズはシグレの形相が解るかのように、近づける口を、急に遠ざけて距離を置こうとします。
大ミミズが、シグレの気合に負けてしまったのです。
大ミミズは恐怖します。
シグレが殴りに行こうとした時に、大ミミズが口を閉じて急に大人しくなります。
急に大人しくなって動かなくなった大ミミズを見てシグレは、アリスに目をやります。
アリスが小屋の傍でガタガタと震えています。
大ミミズは静々と元来た穴の中に帰っていきます。
穴の中に帰っていった大ミミズを見届けると、シグレはアリスの方に振り返ります。
アリスが一目散に抱き着いて、泣きじゃくります。
「もう大丈夫だよ。アリス、大ミミズは暫くはここに来ないよ。」
「怖かった。怖かったの。お母さん。」
そう言って泣きじゃくるアリスをギュッと抱きしめてあげるのでした。
シグレはアリスが泣き止むまで、黙って抱きしめていました。
(このままではいけない。何とかしないといけないな)
彼女は、アリスを見てそう思います。
第9話です。
今回は、壁の住人についてです。
壁の住人は、通行料だけで暮らしているわけではありません。自分家から少しずつ横穴を掘って暮らしています。なぜ横穴を掘るかと言うと、レンガを作ったり、テーブルや暮らしにかかわるものを作ります。また、ある者は、一番下の町まで下りて貧民街の拡張工事に行くものもいます。
それぞれが閉鎖されたこの社会で生きていくために、色々な仕事をしています。
それでも、その日食べていけるかいけないかぐらいの賃金しか稼げないので、牧場を持っているシグレはまだ、裕福な方です。シグレも牧場以外の仕事をしています。それは、次回で書かれることなのでここでは書きませんが、過酷な貧民街の住人たちは、生きるために何でもするのです。
また、汚い話ですが、排泄物は全て魔力で肥料や燃料に変えられることも書き加えておきます。
それでは、また、次回を読んでくださることを期待しつつ終わりにしたいと思います。