残り100年くらいを
祭が嫌いになった。
みんな笑顔で、この世の不幸を知らない、あるいは忘れたかのような晴れやかな表情をしていて。
だから、【彼女】が居なくても人は笑えるんだって思い知らされた気がしたから。
少し離れて、神社の階段を上る。
『ねぇねぇ、また元気になるからさ、そしたら、お祭り行こう?浴衣とか着てさっ』
そう声を弾ませていた彼女はいないのにここに来ているというのは、もしかして、彼女の代わりに、とでも言いたいのだろうか。
[彼女はいないのに?何を言っているんだ、心の中に、ちゃんと【】は居る。]
ああ綺麗事くん、その通りだよ、と、誰に向かってか返事した。
心の中にいる。だからここに居ないし何処にも居ない。
それなのに、彼女とここを歩きたかったという願望を叶えようとしに来てしまっている。
幻想と二人で一緒に、僕一人で。
人混みに酔って、或いはそんな自分に吐き気がして、通りから出てきた。その誰もいない温度が心地良くて。
『えと、ごめん』
「?」
声がした。
浴衣をわざわざ着込んでおいて、歩きづらそうに声の主が寄ってくる。
『待った?』
僕が望んだ、茶色がかった肩までの短めの髪に、
青みがかった黒の、深い夜みたいな瞳。
【彼女】は、会えたのが嬉しいと隠す気がないような晴れやかな笑みで、駆け寄ってくる。
…うん。なるほど、夢か。
『りんごあめ』
「えっ」
『りんごあめ食べたい』
「買いに行けばいいじゃん」
『幽霊が買いに来て屋台の人はどんな顔すればいいのさ』
「恋人が幽霊になって目の前に現れた僕はいったいどういう顔をすればいいんでしょうか」
『笑えばいいと思うよ』
というか、死んだって自覚あるのか。
化けて出てることを知らないとか、こういう話ではあるあるだと思うんだけど。
まぁいいか夢だし。我ながら随分と雑だな、とは思いつつ、注文通りりんご飴と、注文以外の食べ物を買ってきた。
「はい」
『ありがとー!君ってやっぱイケメン!!』
「知ってる」
茶番はさておき。
『話したいことがあるんだよね』
「ん、なに」
『いやいや。ここじゃなんだし、神社の方行こ』
「えっ、いや別にここでいいじゃん」
『君が1人でブツブツ話してる変人扱いに耐えられるならそれでもいいけど』
神社ってどっちの方向だっけ。
『…あのさ』
彼女が口を開く。りんごあめ食べるの中断したのかと思ったら、手を見るとただの割り箸と化した棒が握られていただけだった。何処へ消した。
…というか、幽霊ってもの食べれるんだ。
『君、私の葬式来てくれなかったよね』
「…うん、そうだったね」
言いつつついでに買っておいた焼きそばにまで手を出す彼女。取り敢えず僕の金で買ったものだってことを思い出して欲しい。
『なんでだったの?』
「んー…」
重苦しい空気。茶化すのは限界らしい。
…信じられないくらい財布が軽くなったのはほんとなんだけど。
「えーっとさ」
『あっちょっと待って当ててみせる』
「おいこらシリアスどこいった」
『死んだ』
なら仕方あるまい。
『あー、あー待って、えっと…じゃあ、
私が死んじゃったのを認めたくなかった、とか?』
「掠ってるけど大ハズレ」
『どゆことよ』
「真逆なんだよ」
【彼女】が死んだのを認めたくなかった訳ではなく。
「君が死んだことを受け入れて仕舞いそうで怖かった」
《しんじゃった…?嫌だ、そんな訳ない》ってなるのが嫌だったわけじゃなくて。
「あっ、死んじゃったんだ、くらいにしか捉えられなそうで嫌だった」
自分が
「君を愛していなかったのかもしれない」
その答えを
「知るのが」
ただただ怖かった。
『…それってさ、別に真逆なんかじゃないんじゃないの?』
「?」
『どっちにしろさ、認めるのが嫌だったんじゃん』
「…まぁ、そうだね。結局、僕の器が小さかっただけの話だ」
『日本酒呑むときの器みたい』
「そこまで」
『とーにーかく!墓参りくらい来ること!じゃないとうっかり呪い殺しちゃうぞ!?』
「いいよ」
『え、』と固まる彼女。
矢継ぎ早に続ける。
「君がいない。もう生きる意味がない。
なのに死ぬのが怖くてダラダラ生き続けてる」
だから、
「僕を、ころしてください」
『…その生きる意味って、私が望んでる、とかじゃ駄目なのかな?』
「…なんで」
『君なら、他にいい人見つけられるでしょ』
「…違くて」
『だって君モテるじゃん大丈夫大丈夫』
「…やめて」
『それで、私のことなんか忘れてよ』
「やめてって!」
声を荒げた。
「いらないんだよそういうの!そんな来るかどうかもわかんない未来のためにわざわざ辛い今を乗り越えたくもない!いいから、いいから楽にしてよ!」
『ほら、ただ辛いだけ』
低い声の彼女。
『ただただ生きるのが嫌なだけなんだったら、私に理由を押し付けないでよ』
真っ黒な目で見下していた。
…僕の言っていたことだって、真っ赤な嘘で、真っ白で真っ黒な綺麗事だった。
「…ねぇ」
『?』
「変なこと言うから、綺麗事だって笑い飛ばしてくれないかな」
『…』
「僕は、まだ君が好き」
『…そのうち、忘れちゃうよ』
「だから」
忘れちゃうのが怖いっていうのもほんとだから。
「君を、好きなまま死にたい」
これが僕の綺麗事。
『…私は、私のせいで君を殺したくない』
これが【】の
「…あーっ、じゃあ、…しょうがないよね……」
涙声で、呟く。
僕の願いは、べつに彼女を差し置いてまで叶えたいものじゃないんだ。
「…じゃあ、…うん。お別れだ」
受け入れたくないのか、そんな心情を押し潰すみたいに、【】の死は僕の中で大きくなる。
もう受け入れるのが怖いなんて言い訳するまでもなく、僕は最初から彼女の死を認めていて、他に生きる理由を探していただけだったんだ。
器が小さい。日本酒飲む時のやつみたいに。
「さような
ら」
柔らかいものが口元に押し当てられて、遅れてお別れの言葉が出てくる。
『えへへ』
彼女は、僕の唇に押し当てた人差し指を虚空に振り回してはにかんだ。
『メインヒロインさんとかはこういうとき
ちゅうしたりするんだろうけどね。それはお預け。
… うん。
100年くらいあとに、君が死んで、また会える時までお預けだ』
僕の頬も、きっと彼女と同じように赤く染まった。
…生きる理由を他に探す必要は、もうないらしい。
「賽の河原の石積み、終わらせといてよ」
『終わらせるよー、言われるまでもなく。ぱぱーって。ちゃちゃーって』
「地蔵菩薩が助けてくれるまで終わんないよそれ」
『駄目じゃん。私の頑張りに関係ないじゃんそれ』
「じゃあ僕が待ってる」
『どっちが先に着くかねぇ』
「君であってほしいね。僕はあと100年も生きなきゃ駄目なんだから」
少し微笑むと、彼女は涙を浮かべた目を細めて、…見えなくなる。
からん、と、割り箸が石畳に落ちた。
どん、と、火花が暗い空に散った。
どうせなら、見ていけばよかったのに。
「…さてと」
石畳から腰を持ち上げる。蒸し暑い夏の夜にも座っていた床は冷たいままでいてくれて助かった。
まずは、彼女のお墓参りにでも行こう。
その辺りの屋台の食べ物を、財布が空っぽになるまで買っていこう。
まだ僕の人生は100年もあるけれど、しかし、すぐにでも行かないと彼女に怒られそうだ。
境内を離れて、また人混みに交じる。
この世の不幸を受け入れたのか、僕の顔は。
無個性にも、周りと一緒だった。