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きっかけ

野球はもともとアメリカから伝わったが、すぐに日本人にも愛されるようになった。

しかしなぜ野球だったのか?

欧州や南米では当然サッカーだが、日本ではサッカーよりも先に野球の方が普及することとなった。




それはさておき、


『第1回全国中学校野球大会』


が開催されたのは大正4年のことだった。


当時の朝日新聞社社長、村山龍平(むらやまりゅうへい)氏による始球式が行われた。


その2年後の、大正6年2月1日、沢村家に誕生した、『栄治』と名付けられた男の子。


後の戦前戦中の大投手となる、沢村栄治(さわむらえいじ)のこと。



時は流れ、大正から昭和になり、ちまたには作曲家の古賀政男(こがまさお)の作曲した『影を慕いて』などの流行歌が流れるようになっていた。


そんなさなかの昭和9年、西暦では1934年。当時はとても、日本が野球でアメリカに勝てるなどとは誰も思っていなかった。


満州事変で中国大陸への進出を開始し、その年には国際連盟を脱退していた日本。


既に戦争の影は次第に色濃くなってきていた。


そんな中で、沢村栄治は京都商業学校【現・京都学園高等学校】のエースピッチャーとして、後の高校野球の前身となる、中学校野球大会に出場し、1試合23奪三振を記録するなどの活躍を見せていた。


「おい、栄治、お前野球なんてやってるんだな。」


同級生が栄治に声をかけてきた。当時はまだ、野球だけでなくスポーツに対する理解も薄く、男は兵隊に行ってお国のために戦って、名誉の戦死を遂げることが称賛されていたような時代だった。


「ああ、今度、日本でも野球のプロリーグを創設するという話があってな。

今度、日米野球で日本チームとアメリカチームとが対戦するんだよ。

それで、僕はその代表メンバーの1人に選ばれたんだよ。

アメリカチームは、ルー・ゲーリックとか、メジャーを代表する選手たちが来日するらしい。」


「日本に野球のプロリーグ?

だけど、アメリカのメジャーリーガーはとても強い。

おそらく今の日本の実力じゃ、惨敗することは目に見えているから、だからプロリーグを創設して、日本も野球を強くしようって話だろ。」


当時の読売新聞社社長、正力松太郎氏らの呼びかけで、東京読売巨人軍が創設され、チーム名は、『ジャイアンツ』と名付けられた。


同じ年に、大阪の方でもプロチームが創設され、『大阪タイガース』と命名された。


沢村栄治は後に東京読売巨人軍に入団することになる。


1934年、この時の日米野球では、日本代表は案の定、惨敗を喫した。


それが、あのルーズベルト・ゲームへと繋がっていくきっかけとなった。


取材記者の問いかけ。


「いやー、アメリカ大リーグとの差は、今の段階ではまだまだ大きいですな。」


沢村栄治の答え。


「しかし、いつかは日本人選手たちが、アメリカ大リーグで活躍するような時代がやってくると、僕は信じている。

アメリカは何でも自分たちの国が一番でないといけないという考えの国だ。

もちろん、野球においても、自分たちのアメリカ大リーグが世界一のリーグだと自負している。

もしそんな国と、日本が戦争をしたとして、本当に勝ち目はあるのかという疑問があります。

だからこれからの時代は日本も、もっともっと、スポーツに力を入れるべきです。」



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