過去8
あの日、そんな高い玩具は買えないと怒られた。
それが原因で喧嘩をして、言いたくもない言葉でチエコを傷つけた。
あんな言葉言うつもりは無かったし、言った後にチエコが傷ついた顔をしたのを鮮明に覚えている。
言った事を後悔した。でも、意地を張って謝らなかった。それはいつでも謝れると思っていたから…
誕生日…謝ろうと思って走って家まで帰った。
おかえりとケーキを用意して待ってくれてるはずのチエコの姿は無く…、それっきり…。
チエコはあの日、ケーキと一緒にこのプレゼントを渡すつもりだったんだろう。
そして、…嬉しそうな顔をするのを見たかったんだ…。
喉の奥が熱くなる。
唇が震える。
「朗はずっと待ってたんだよな?じゃなきゃアパートを土地ごと買えない…また、あのアパートでチエコと暮らしたかったんだろ?チエコをアイツとしか呼ばなくなったのはお母さんと口にすると会いたくなるからだろ?」
竜太朗がそう言って頭を撫でてくれた。
奥歯を噛み締めてしまう。
チエコが居なくなったあの日から泣くのを我慢するクセがついてしまった。
何故我慢するのだろう?
震える手で玩具を握りしめる。
チエコはすぐに怒るクセに最後には必ず何かをやってくれるし、買ってくれた…。女手一つで育ててくれたんだからお金がない事くらい分かっていたはずなのに…。
凜の言葉が頭を過ぎる。
「一週間も美味しいって言ったカレーを出すのはまた美味しいって言って欲しいからよ」
チエコは愛情表現が下手だったのだ。
ズルイ…謝りたいのに本人は居ない。
カードの文字が滲んで見えなくなる。
ポタポタと手に涙が落ちる。
竜太朗とエディは立ち上がると部屋を出て華を朗の側に行かせた。
「あのね…一人になりたいなら出るけど…」
俯き、黙って泣いている朗に気を使うようにそう言った。
朗は首を振る。華はベッドの端に座り、朗をそっと自分の方へ引き寄せ抱きしめた。
抱きしめられた腕は幼い頃を思いださせた。泣いたら抱きしめてくれた優しい腕。
朗の手をギュッと握り散歩してくれた。繋いだ手は未来まであると信じていたのに…その優しい手はもうない…。
傷つけたのに謝らなかった。
「謝るくらいなら言うんじゃない!」
チエコの声がした気がした。
「ごめん…なさい…、お母さん…ごめんな…さい」
あの日から泣く事を我慢した。何故、我慢するのかやっと分かった。
泣きやむまで抱きしめてくれる腕がない事を知っていたから。
喉の奥の熱さは小さい頃、祖父に見つからないように布団の中で母親に会えない寂しさで泣いた夜以来だ…
エディに言われた通りだ。
悔しい…凄く悔しい…信じてあげれなかった自分が悔しい。謝れない事が悔しい。
何故…あの人は今居ないのだろう、ずっと待っていた。でも…もう帰って来ない。
「お母さん…」
何度も何度も繰り返す。
華も一緒になって泣いた。
チエコは華にも優しかった。遊びに行くと裏が焦げたホットケーキを出してくれた。
朗は焦げてると文句を言っていたが残さず全部食べていた。
笑うととても綺麗で可愛い人だった。笑顔は今思うと朗に似ている。
ううん…朗が似ているんだと思う。朗が華にしがみつくように泣いている。抱きしめる腕に力を込める。
あの人は朗を本当に愛してたんだ。
華の目にチエコのメッセージが映る。
渡したかっただろうな…チエコの代わりに抱きしめた。
◆◆◆
「マキコ…華は泊まる気かな?」
要約マキコ宅に上げて貰えたエディは時計を気にしている。
もうすぐて12時になる。
「なぁに?ヤキモチ?」
マキコはニヤニヤしている。
「あ~、娘はつまらない」
エディはテーブルに顔を伏せる。
「その内、朗が息子になってくれるわよ」
「…朗、立ち直れるよな?」
「立ち直れるわよ、散々泣いたんだもの…ようやく泣けたのよ…チエコも朗に誕生日おめでとうって言うのに16年かかったし、チエコ素直じゃなかったから…でも、ようやく朗の元へ帰って来たのね」
マキコは涙を浮かべる。
「あ、朗の誕生日になったな…朝になったらケーキ持って誕生日おめでとうを言いに行こうな」
エディはそう言うとマキコの手を握る。
◆◆◆
「朗、起きて」
聞き覚えがある声で目が覚めた。
見慣れた天井が目に飛び込んでくる。
「いつまで寝てるの?」
チエコの怒った声で慌てて起き上がる。
横瀬のアパートだ。チエコが目の前に居る。
別れたあの日の姿で。
「早くテーブルに来て」
言われた通りにテーブルにつくと誕生日ケーキが置かれていた。