四話 山田淳之介
僕は大罪人だ。この世で最も許されぬ事をした。
しかし、己のした事に後悔はない。僕はただひたすらに彼女を守りたかっただけで、邪念などはないと胸を張って言える。
僕は正しい事をした。
けれど、社会から見れば僕は最低なペドフィリアの異常性癖者。ゴシップ誌で騒がれ、親まで叩かれる。
僕は悪い事をしてない。
どうしてこんな事になってしまったのか。どうして僕はこんな冷たい地面の上で寝ているのか。どうして僕は一人なのか。
疑問の辿り着く先を見れば、世界で一番愛らしい少女。汚れを知らない無垢な少女。腐敗しきった社会のドン底に落ちても尚煌めく少女。
そうだ。僕はあの子の為に、この身を捨てたのだ。悔いはない。
ただ一つあるとすれば僕がいなくなったあの子の現状だけ。
僕がいなくなって錯乱していないかな? 僕がいなくなって自殺未遂なんてしていないかな? 僕がいなくなって食事もままならなくなっていないかな?
心配すると同時に、心配している事が現実に起こっていたら、と想像して嬉しくなる。
ごめんね、唯花ちゃん。僕は君を汚したお父さんと同じ、汚い人間なんだ。
唯花ちゃんの全てを知った時決して犯そうとは思わなかったけど、僕が唯花ちゃんの父親の立場に立ったら、同じ事をすると思う。
汚くてごめんね、騙しててごめんね、でも、ずっと騙されてて。
実はね、唯花ちゃんと初めて公園で出会った時、僕は死のうとしていたんだ。この腐りきった世の中で育った性根の曲がった同級生に囲まれて、僕は疲弊していた。
けど、君に出会った。
君は天使の様に僕の前に現れて、顔を覗き込んだ。大丈夫、貴方は生きていて良いのとでも言うかの様に。
「おにいちゃんもひとりなの?」
舌ったらずな話し方。そりゃそうだ。相手は小学生にも満たない幼女だ。そうすると、何故一人で出歩いているのかという疑問が沸く。
迷子か?
いや、迷子じゃなかった。彼女は五歳という年齢でありながらも自らの意思で、親から逃げてきたのだ、と知るのは唯花ちゃんと暫く会話を交わした後だ。
彼女は所謂、虐待されている様で、肉体的接触を極端に避けた。
まあ、普通に触る、という行為の事だ。撫でようと手を上げただけでビクつく。典型的な虐待された児童の反射だ。
僕は泣きそうになった。
何故か。
唯花ちゃんの家庭環境を憂いて? 唯花ちゃんの心の傷の重さを感じ取って? 唯花ちゃんの精神の強さに感動して?
違う。どれも、違う。
僕は、唯花ちゃんが僕よりも虐げられていて弱く脆い存在であるから喜んだんだ。歓喜の涙だった。
イジメラレッコ同士で仲良くなるって聞いたことがあるけれど、僕らの関係も似た様なモノ。
お互いの傷を舐め合い、見せ合い、共有する。けれど、イジメッコに対象にされそうになれば相手を突き放す。深い様で浅い。
唯花ちゃんは一ミリも気付いた素振りはなかったが、僕の腹の中は黒い感情で溢れていた。
そりゃそうだよね。
僕は結果的には犯罪者。小学生児童を誘拐監禁した罪人。
いくら酷い家庭環境にあった唯花ちゃんを救う為だからって、罪を犯すのは心に黒い感情が少しでもあったからに違いない。
そもそも僕はあの時死のうとした身分。彼女によって助けられたのだから、彼女の為に全てを投げ出すのが当たり前だ。
だから、僕は捨てた。自ら望んで低きもちゃんと積んだ僕の社会的地位を葬って、君を救うという名目で監禁した。
それが君にとってもベストな選択だったと思う。
けど、君は僕の所に来る前に、お父さんを殺しちゃった。僕も殺そうと思ってたのに。
大切な唯花ちゃんを犯した憎き下郎だよ。僕が殺したかったよ、本当。痛い痛いと泣き叫んでもギリギリ生死をさ迷う程度の拷問を与えながら、最期を迎えさせる。
最期の瞳には彼女は見せない。僕の残忍な笑顔を脳裏に焼き付かせて死ねってね。
まったくもって、僕はとんだゲス野郎だな。自分でも分かるよ。
それでも社会は優しいから、最終的に悪かったのは「唯花ちゃんの両親」と標的を変えて、ボロクソに叩いた。汚い布団は大量の埃を撒き散らし、彼等からは別の余罪が見つかった。どうやら、あのクソ親父は援助交際で一度小学生を殺してしまった事があるらしい。最低だな。
お陰様で、僕は予想よりも早く、外界に出れた。
勘当されて行く所なんてないが、新鮮な空気に触れて肺が清浄化されて心が落ち着いた気がした。
出所して、まず、行きたい所ねぇ。唯花ちゃんを五年監禁していたあの部屋かな。売り払われているか?いや、どうでも良い。あの時の気持ちを思い出したい。
お兄ちゃん、と慕われていたあの時の記憶を、思い出したい。
「お兄ちゃん」
そうそう、こんな風に……え。
「あれ? ワタシ、何言ってるんだろう……それに、ここはどこ? 貴方はワタシのお兄ちゃんなの?」
記憶を失っているのか、混乱している彼女に言う。
「僕は、お兄ちゃんだよ」
そこには、純粋無垢に成長したかつて僕が監禁していた唯花ちゃんが立っていた。唯花ちゃんは変わらず美しく、頬に張り付いた赤い塊で尚輝いていた。そんか、彼女の右手には××が握られている。
僕は、あの五年間という短い監禁生活の中で彼女に良い教育が出来たみたいだ。ああ、良かった。
「唯花ちゃんは変わったね」
「ワタシのことを唯花ちゃんって呼ぶ人……もしかして、お兄ちゃん?」
「そうだよ。アノ、お兄ちゃん」
どの? って聞かれたら答えられないが、適当に誤魔化す。先程、唯花ちゃんからお兄ちゃんと呼んだのは意識してなかったのか? それとも、僕を見て反射的に出たのか?
「そう、お兄ちゃん……ワタシね、お兄ちゃんが教えてくれたことを頑張ったの!」
子供みたいに笑う唯花ちゃんの右手に握られたソレは余りにもこの状況に不釣り合いだけど、表情を変えずに唯花ちゃんに聞いた。
「その男の子、どうしたの?」
「保育園の子供! 誘拐してきちゃった。これから監禁しようと思ってるんだけど、お兄ちゃんも来る?」
男の子の目はかつての唯花ちゃんの様に死んでいる。中々良い人選ですな、唯花ちゃん。これは監禁しがいがあるね。
「ああ、是非」
僕は、唯花ちゃんの右手にすがる様に立つ男の子の空いている手を取って歩き出した。
僕らの行く末は真っ暗だが、実に足取りは軽やかであった。