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三話 岩本陽子

 

「陽子さん、あ、あ……の、きょ、今日……一緒にご飯でもどうですか!?」


 トイレから出てすぐ、陽子を呼び止めたのは、同期の岩本さんだった。いや、大樹さんだ。同じ名字で分かりにくいからと、互いに名前で呼ぶというルールが出来たのだ。

 陽子がこの名字になったのは中学三年生の時であり、母の再婚の名字であるから、よく忘れて岩本さんと呼んでしまう。

 入社当初、互いに名前で呼び合う私達を社員が噂するのは必然に等しかった。

 話を戻そう。何故、大樹さんはトイレから陽子が出てくるのを分かっていたのか、追い掛けていたのか? という疑問はさておき、とりあえず返答する。


「良いですよ」


「ああ、やっぱり……ダメですよね……良い!? 良いんですか!?」


「……はい」


 陽子の返事に意気消沈したかと思えば、髪を乱して高揚を隠せない表情で陽子を見る、大樹さん。

 臆病で内気な性格で、女性が側に寄っただけで挙動不審になる彼を、陽子もまた好意的に思っていた。

 大樹さんは好意を隠すのが下手で、陽子への好意は既に悟られていた。けれど、そんな所も彼の魅力である。


「え、あ、……夢じゃない。よ、陽子さんは何が好きですか?」


「ここで談笑する暇あるなら、とっとと仕事を終わらせて早上がりするのが得策だと思いますけど」


 陽子は、ピシャリと冷たく言い放った。けれど、嫌な気持ちがある訳でもない。ただの、照れ隠しだ。

 大樹さんは「そ、そうですよね……」と赤くなった耳を弄って、素早く持ち場へ戻っていった。

 しかし、最後に「ありがうございます!!」と歓喜の表情で手を振るのは忘れなかった。大樹さんはいつもそうするのだ。

 あーあ、また他の社員に噂されるじゃないの。と、思いつつも悪い気はしない陽子であった。



「ま、街ってきらびやかでどうも苦手です……あ、いや、陽子さんといたらそんな事も忘れられるなー、なんて……ははっ」


 完全に舞い上がっている大樹さんの横顔を眺めて陽子は苦笑した。アホみたいに必死な彼が可愛く思えた。

 二人は定時で仕事を終わらせた後、陽子の行きつけの店へと足を進めていた。

 二人一緒の帰社に、噂好きのOLが帰り際に、にやにやとした笑みを浮かべて陽子を小突いたのは言うまでもない。


「大樹さんは私の行きたい場所で良かったんですか?」


「あっ、勿論です! 陽子さんが良いという店なら僕も好きになるに決まってます!」


「そりゃどうも」


 照れ隠しに陽子は大樹さんから目線を外した。

 彼は素直で純粋だから、率直に好意をぶつけてくる。それがいつかも予測出来ないから、丸裸同然の時に受けてしまって羞恥を全面に出してしまうのだ。

 負けたみたいで悔しい、と軽く下唇を噛んだ。


「雪、ですね」


 ふと、大樹さんの足が止まった。

 チラチラと空から落ちてくる白き結晶に頬を緩ませていた。


「そう言えば、大樹さんの地元北国ではないんでしたね」


「ええ、はい。本社に採用と同時にこっちに来たんで雪にはまだ慣れてないですね。地元も降りますけど、十一月は早いです」


「でしたら、真冬は大変ですね。此方は一メートルとか簡単に積もりますからね……」


「そうなんですよ。雪かきで腰が折れそうです」


 陽子はふふっと、笑って遠くを見た。すると、チラチラ降る雪の隙間に見覚えのある、後ろ姿が入ってきた。

 まさか、ウソ。そんな、偶然ある訳ない。別人よ。しかし、今いかなければ後悔する。

 そう、思った時には陽子は走り出していた。大樹さんと夜食事するからと、ちょっと気にして整えた前髪は崩れ、慌てて陽子を止める大樹さんの声はすり抜け、べちゃ雪が足元を汚しても気に止めない。

 艶やかな後ろ髪、チラリと見えた整った横顔、しゃんと背筋の張った歩き方。

 間違いない。唯花ちゃんだ。


「唯花ちゃん!!」


 彼女、唯花ちゃんの足は止まった。そして、振り返る。離れている筈なのに、唯花ちゃんから妖艶な香りを感じた気がした。

 唯花ちゃんは声を発した陽子を見て、小さく首を捻らせた。そうよね。そりゃ、十年以上前の数ヶ月一緒に過ごしただけの同級生なんて忘れてるよね。大体、仲が良い訳でもなかったし。

 私よ、陽子よ。なんて、自己紹介しても無駄だと悟った。


「一応、小学生の時、同じクラスだった岩本です。あ、名字変わったから分からないよね。陽子です。鈴木陽子」


 唯花ちゃんの光のない瞳にはしっかりと陽子は映っていた。けれど、唯花ちゃんは首を振る。


「ごめんなさい。ワタシ、小さい頃の記憶がほとんどないんです。お友達、だったんですか?」


「お友達……いえ、四ヶ月位クラスメートだった関係ですね」


 記憶がなくなったのは、きっと誘拐監禁されたショックだろう。と、勝手に推測する陽子。あながち間違いでもなかった。

 そうですか、と唯花ちゃんは呟く。そうですね、と陽子も呟いた。特に仲が良かった訳でもない。普通の反応だった。


「唯花ちゃんはこれから、一人で何処か行くんですか?」


「ええ、まあ、少し。用事があって」


「今、何の仕事をしてるんですか?」


「保育士です……なんか、尋問みたいですね。それが、どうしたんですか?」


「あ、いえ。ただ気になって」


 矢継ぎ早に質問をしていた陽子は、唯花ちゃんの不思議そうな表情に眉を下げた。

 尋問する気なんてない。ただ、あの事件のニュースを見た時の感情が一気に蘇ってきて、疑問が浮かんだのだ。

 一番気になるのは監禁した人との、現在の関係性だが、記憶を失っている唯花ちゃんに聞けはしない。

 野次馬心を抑え、陽子は二番目に聞きたかった疑問を口に出した。


「今、幸せですか?」


 一瞬、唯花ちゃんの時が止まった。


「……ええ、最高に幸せよ。オトモダチも見つけたもの」


 そして、最高の笑顔が返ってきた。それにどんな唯花ちゃんの意思が含まれてるのか理解せずに陽子は微笑み返した。

 同級生が被害者という事で、気にしてた気持ちがそこで落ち着いた。

 そうか。幸せなんだ。監禁されて、酷い目にあっても、幸せになれているなら良かった。

 陽子は他人事の様に考えて、それじゃあまた今度。と無責任な挨拶を残して、大樹さんの元へ戻った。

 ただでさえ緊張で慌ててる彼には、陽子が走り出した事が自分から逃げた様にしか思えなくて、真っ青な顔で震えていた。


「あ、あれ……帰ったんじゃなかったんですね……良かった」


「すいません。ちょっと昔の同級生を見つけて……すいません」


「いえいえ!! た、ただ驚いただけですので大丈夫です!! じゃ、じゃあ行きますか!!」


 張り切って、ぶんぶん大腕を振って歩く大樹さんの隣を歩く陽子。

 彼女はかつて唯花ちゃんのニュースが流れても気付かなかった同級生の様に、彼女の事なんて記憶の一部として忘れ去った。



 人間だもの。

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