ホワイトアンニュイ
霧でくもった世界に、空は太陽も出ずただただ雲に覆われて、白いタイルの道とつながっているように見えた。今なら、歩いて雲の上まで行けるだろうか。雲の上までの道があるだろうか。白く、朧気な薄い道。霧の道。雲の道。願いがひとつ叶うなら、雲の上まで行きたい。それくらいの願いなら、神は叶えてくれるだろうか。
空を仰ぎ、それから私は目をこすった。ポラクス海岸の石畳の階段に腰を落ち着かせる。波が荒くてちらちらと白が見えるから。また白か、なんて思った。白は彼女を思い出す色だ。波の音に胸は騒ぎ、波の高さに背中を押されるような感覚を感じ、ふらふらと歩き出す。私の眼には霧でも空でも、雲でも波でもなく、彼女の姿がうつっていた。
「ボス!? そっちは海ですよ!」
ぐいっと引っ張られた私の腕は、いとも容易く後方へ下がる。白から黒へ色が変わった。部下のカポレジーム、ダニエルが私の目をまっすぐ見据えていた。青く透き通った瞳で。アクア色のそれはフォリナ家の誇りと秩序を背負っていた。
「あぁ、すまない。少し、考え事をしていたんだ」
「そうですか、気をつけてくださいね」
あまりにも真摯に私を引き留めるから、私は少し嬉しくなって笑ってしまった。こういう感情こそが、仕事に支障をきたすもとなのに。私は人に愛される喜びを、温かさを、幸福を知ってしまった。知ってしまった感情は、忘れられない。もう、この感情を捨てることはできない。
彼は前に手を差しだし、前へと促した。私はすすめられた道を歩く。すれ違う時、ダニエルのネクタイにつけられたきらりと光るピンに目がいった。シンプルなシルバーのピンにはゴールドのダイヤの模様が印されていた。
「そのネクタイピン、ジェシカからの贈り物か?」
「え、はい。先日なにもない日に急にプレゼントされたんです」
「そうか、よかったな」
ダニエルは複雑な顔をしていた。妹からのプレゼントを素直に喜んでいいのか微妙なようだ。彼とその妹は年頃だ。ぎこちない関係が少し羨ましい。大切な人の傍にいられる幸せは唯一無二だ。
部下たちに指示を与えて、私はまた一人になる。ふと空を見上げると霧は少しずつだがはれて、雲の量も減っていた。雲の切れ目から太陽が顔を出し、きらきらと日が差す。太陽の光の向こうに彼女が居る気がした。
「そうか、君はそんなところにいたんだね」
私のアンニュイな想いはいつの間にか消えていた。