6 女の恨みは恐ろしい
翌日午前十時、一昨日入った喫茶店「Yomogi」で結城と待ち合わせた。
空はどんより灰色の雲で覆われていて、昼前だというのに薄暗い。天気予報では、一応雨は降らないという話だったが、白銀も涼子も、一応鞄には折り畳み傘を入れて出かけてきた。
店に入ると、客の少ないフロアの隅っこの席で、先に来ていた結城が手を挙げた。
「二件目ってどういうことだ」
予想していなかった事態に気が急いて、席に着くと同時に白銀は結城に問うた。遅れて席に着いた涼子は、水を運んできたウェイトレスに「コーヒーとタバスコ」と注文して怪訝な顔をされていた。
「おそらくは連続放火、そして連続殺人だな」
「また遺体が出たのか」
結城は険しい表情で頷いた。
「燃えたのは、少し前まで事務所として使われていた小さな建物だ。公民館と同じで、今は使われていないし、周囲も人通りはそんなに多くない。延焼はないが、建物は全焼した。そして、焼け跡からは身元不明の遺体」
「また、連れ込まれて、殺されて、焼かれたのか」
「そのようだ。久川紀子の事件と時期も近いし、人けのないところで殺してから焼いて手掛かりを消すっていう手口も同じだ。同一犯だろうというのが上の見解だ」
「あの、前回聞きそびれたんですけど、結局直接の死因はなんだったんです?」
涼子が口を挟むと、結城は少し躊躇うような気配を見せた。
「あんまり愉快な話じゃないけど」
「構いません」
「……平たく言えば失血死なんだが、どうも様子が異常、というか」
歯切れの悪い前置きの後、結城は声を潜めて告げる。
「遺体が焼けていたせいで解りにくかったようだが、どうも、遺体からは心臓が抜き取られていたらしい」
「心臓が……?」
「そうだ。体を切り開いて、心臓を奪ったということらしい。二件目の被害者は遺体の損傷が軽かったから、すぐに解ったらしいが、やはりこれも心臓がなかった。犯人が抜き取ったんだ。その摘出の仕方が雑というか、とても医療に精通した者の仕業じゃないらしい。素人が、いい加減な方法で切開して心臓を取ったんだ」
「遺体を焼いたのは、身元を隠すためじゃなくて、心臓を奪った痕跡を消すためか?」
「おそらくそうだろう。まあ、結果はこの通り、痕跡が残ってしまったがな」
家屋の火災などでは、遺体の胸腹部臓器が完全に焼失することは稀らしい。その結果、犯人の意図したようには、上手く証拠隠滅ができなかったということだ。犯人は、どういうわけか心臓を奪っている。その目的を隠すために放火したのだ。
「心臓移植待ちの奴の凶行……なわけないよな。そんな雑な方法で移植が上手くいくわけない」
「その通りだ。なんのために心臓を持ち去ったかは解らないが、まともな目的を持っていたとは思えない。心臓が必要なのか、あるいは心臓を抜くことに何かメッセージがあるのか」
「メッセージってのはないだろう。それなら、焼いて隠すはずがない。とはいっても、心臓を必要としているって説にも疑問が……必要ったって、無理矢理抜き取って止まっちまった心臓を、なんに使うのか」
「まさか、被害者は人魚で、人魚の心臓を食って不老不死になろうとしたとか、そういうオチかしら」
涼子が不快そうに眉を寄せながら意見を述べる。
「そういうオチかどうかは知らんが、同じことを考えた奴がいたらしく、二件の被害者を種族鑑定にかけた。結果、二人とも妖怪だったらしい」
「……!」
白銀と涼子はそろって目を見開く。
種族鑑定では、人間か妖怪化を区別できる。だが、妖怪がいったいどういう種族なのかまでは調べることができない。妖怪の種族性については、完全に自己申告制だ。
「人魚、か。可能性は否定できないが……そうすると、なぜ二件目が起きたのかが問題だな。心臓を一つ食えば充分だろう」
「一個じゃ不死になれなかったのね、きっと。っていうか、人魚の肉を食べれば不死になるって本当なの?」
「知らん。そういう伝承があるのは知ってるが、実際のところどうなのかは」
「だが、実際の効果はともかく、そういう伝承を信じ込んでいる者が一定数いるということが問題じゃないのか? そう信じたから、一人目を食らう。それで駄目だったから、数を増やせばいいと考える」
「その論理で行くと、近いうちに三件目が出る可能性があるぞ」
白銀の指摘に、参ったな、と結城は頭を掻く。
「白銀、人魚に知り合いはいるか?」
「……いないこともない」
種族鑑定によって被害者の種族を知ることはできない。だが、妖怪は同じ種族同士のつながりが強い者が多い。人魚の仲間に聞けば、被害者たちが人魚かどうかは解る可能性が高い。
「……ったく、蜘蛛の敵討ちのはずが、おかしな話になってきやがった」
面倒がりながらも、ことこうなっては、白銀も依頼を丸投げたりはしない。妖怪が理不尽な被害に遭っているとすれば、正しく白銀が処理すべき問題である。
「とりあえず、人魚連中には話を聞いてみる……あまり気は進まないが」
白銀は、とある知り合いの人魚を思い出しながら、苦々しい顔で呟く。
「結城は、これからどうする」
「被害者が妖怪だってんで、対策係にも正式に応援要請が来た。強行犯係と合同で、捜査に出る」
「了解。何か解ったら連絡を寄越せ」
方針が決定し、ひとまず解散、というところで、白銀はすっかりぬるくなっていたコーヒーを一気に飲み干した。
タバスコが入っていた。
駅北口から徒歩五分ほどのところに、彩華町運動公園がある。サッカーグラウンドから野球場、テニスコート、体育館と施設がさまざま整っていて、当然のように一年中泳げる温水プールも完備してある。プールでは週三回、水泳教室が開かれている。
髪の濡れた子どもたちとすれ違いながらプールサイドへ向かうと、黒い競泳水着を着た女性がプールキャップを外し、長い髪をばさりとおろしたところだった。
「銀、それどうしたの」
隣を歩く涼子が怪訝そうに、白銀が右手に持つものを見遣る。白銀は、折り畳み傘をすぐに開ける状態にして持っていた。外はまだ、雨は降りだしていない。だが、必要な準備であった。
「ちょっとな。……漁!」
白銀が声を上げると、女性が気づいて顔を上げる。そして、白銀の顔を見た瞬間、不機嫌そうに顔を歪めた。
「――『水龍』」
女が小さく唱えて白銀を指さすと、プールの水が蠢き、間欠泉の如く水柱を噴き上げる。次いで、生きた龍の如く水の柱はうねり、白銀へ向かって突進した。
白銀は黙って折り畳み傘を広げて、襲い来る水流をガードした。傘に当たって弾けた水が後方へ勢いよく散っていく。プールサイドはあっという間に水浸しである。
やがて水の噴出が収まると、白銀は傘を除けて溜息をつく。
「いきなり攻撃するのをやめろ、漁。あと、攻撃がワンパターンだぞ」
毎度毎度同じように水を操って攻撃してくるものだから、いい加減先が読めてしまう。ゆえに、傘を持参して冷静に対処できてしまう。
「ならば、私の前にその顔を見せないことだ。私は貴様の顔を見るだけで虫唾が走る」
「そう言うな。十年来の友人だろ?」
「貴様、人じゃないだろうが」
「言葉の綾だ」
ついでにいえば、漁のほうも人ではない。
二十代くらいの若い女性の姿をしているが、十年以上前に会った時も、漁は同じ外見をしていた。そして、同じようにつんけんした態度であった。
「あなた、だいぶ嫌われているわね」
「ああ、昔ちょっと揉めて……って、お前、なんでそんな濡れてるんだ」
ふと隣を見ると、涼子は上から下まで濡れ鼠である。涼子はにっこり笑って、
「あなたが傘でよけたぶん、私に水がかかっただけだけど。こうなると解っていたなら最初から教えておいてほしかったわ」
「そりゃ、悪かっ……」
「ていっ」
可愛らしい掛け声とは裏腹に凶悪な蹴撃で、涼子は白銀の背中を蹴り飛ばした。濡れて滑りやすくなったプールサイドでは踏みとどまることもできず、白銀はプールに落下した。
ばしゃん、と大きな音とともに飛沫があがり、視界にブルーのフィルターがかかる。
子どもが泳ぎの練習をしていたくらいだから、プールはそんなに深いはずもない。普通に足がついて、白銀はすぐさま水面から顔を覗かせた。それを見下ろしていた涼子は、聞こえよがしに舌打ちした。
「……死ななかったか」
「殺す気? 殺す気で落としたのか?」
「吸血鬼は聖水に弱いって聞いたのに」
「これただの塩素臭い水!」
聖水で死ぬどころか溺死すらできないようなプールである。
白銀がどっと疲れを感じながら水から上がると、涼子と漁の間で、何か友情が芽生えていた。
「あなた、いい蹴り持ってるわね」
「あなたこそ、キレのある急襲だったわ」
がしっと固い握手を交わし、二人は白銀の悪口で盛り上がり始める。面倒な奴らが手を組んだらしい、と白銀は涼子を連れてきたことを後悔し始めていた。




