14 気に食わないなら銃を取れ
比喩ではなく本当に何かが砕けた音がしたと思ったら、それは窓ガラスだったようだ。
がしゃあっ、と耳障りな音に反射的に窓の方を見遣る。ブラインドが吹っ飛び、砕けたガラス片がきらきらと輝きながら床に散っていった。同時に、白銀の頬に生温かい液体が触れた。
「え……」
視線を戻すと、目の前で茉莉の頭部が弾け飛んでいた。
「……っ!?」
これまた比喩ではなく、本当に弾けていた。棒で叩き割ったスイカか、あるいは踏み潰したザクロを彷彿とさせる。次いで茉莉の体が横合いに吹き飛び、壁に叩きつけられた。ぐしゃり、と嫌な音がする。恐る恐る視線を巡らせると、茉莉の体には拳よりも大きな風穴が開いている。
「何事だ!?」
叫んだのは早乙女だった。茉莉は声も上げない。白銀も、目の前に惨状に言葉が出なかった。
灰色の無機質な部屋は一瞬でとんでもない惨劇の場になっていた。窓は跡形もなく粉々に砕け、ブラインドは床でひしゃげていて、あたりには真っ赤な血が飛び散っている。どこの殺人現場だ。
「狙撃か!」
早乙女が窓の向こうを見遣る。それにつられて白銀は窓の外を見つめる。早乙女は下手人の姿を探してきょろきょろと外を見回すが、いっこうに見つけられないようだった。
しかし、人間よりも視力のいい吸血鬼の赤い瞳は、その姿を見つけた。
二百メートルは離れたビルの屋上で、銃を構えている少女の姿を――
★★★
「いやっほう、命中命中!」
着弾地点で言葉を失うほどの惨劇状態になっているにもかかわらず、上機嫌に歓声を上げたのは、言うまでもなく涼子である。屋上に伏せた涼子は、二脚に据えたライフルの引き金に指をかけ、容赦なくガンガン撃っている。命中精度は折り紙つき。ほんとにこいつは未成年女子かと疑いたくなる。傍らでは双眼鏡を覗き込む白刀が青ざめた顔をしているが、涼子の方は血色良好である。
「いやぁ、吸血鬼相手でもないとアンチマテリアルライフルぶっ放す機会なんてそうそうないからね! これはいいストレス解消になるわ」
「涼子、完全にアブナイ発言だよ」
「どうせ弾余らせたってしょうがないんだし、ケチケチしないで撃ちまくらないと」
「お願いだから勢い余って白銀に当てるのだけはやめてあげてね?」
「それより白刀、私にも双眼鏡を貸してくれ」
手を伸ばすのは漁である。白刀から双眼鏡を受け取った漁は、覗き込むなり不機嫌そうに舌打ちした。
「あの野郎、やっぱり失くしたな、私のリボン」
「銀に大事なものは貸さない方がいいわよ、絶対返ってこないから。私もこの前貸したヘアピン失くされたの」
「もう二度と貸さん」
「なんで白銀にヘアピン貸す状況になったわけ……?」
「いろいろあんのよー」
と言いながら、涼子はさらに引き金を引く。
「それにしても、対物ライフルというのはかつては対戦車用だったと聞くが、それを一応人型をしている奴相手に使うとは……贅沢だな」
「贅沢? この場合、贅沢って感想は合ってるのかな?」
「折角だから派手にいきたいじゃない。どうせ相手は吸血鬼だし、あそこも敵の拠点っぽいし、手加減する必要ゼロだし」
「それもそうだな」
「納得しちゃっていいのかな……僕だけなの、この状況に違和感を覚えてるのは」
「悩んでる場合じゃないわよ、白刀。そろそろいい感じにミンチになったから乗り込むわよ」
涼子は立ち上がってスカートの土をぱっぱと払う。りょーかい、と苦笑しながら、白刀は涼子を抱き上げる。妖怪の脚力なら、目的地までひとっ跳び……とまではいかなくても、まあじゅっ跳びで届くだろう。
「では、作戦開始」
涼子の宣言で、動き出した。
★★★
銃声のせいで最悪なタイミングで目を覚ましたらしいクルースニクの男たちは、ひぃっ、と情けない悲鳴を上げて部屋から撤退した。早乙女も慌てて廊下まで下がった。残されたのは銃撃の嵐を浴びて血みどろになった茉莉と、逃げたくても逃げられない白銀だけである。さっきからすぐ目の前を弾丸が横切って行くので、白銀は気が気ではない。
超速再生がウリの茉莉も、この圧倒的火力の前では、再生よりも肉体の破損のスピードの方が明らかに速く、治癒が追いついていない状態だ。殺すところまではいかないとはいえ、ここまで茉莉を追い詰めるというのは、並々ならぬ猛攻撃である。
ところで、そんな鬼畜な攻撃を仕掛けてくる奴は、一人しか心当たりがないのだ。
それに思い当たった瞬間、外から窓枠を跨いで部屋に進入してくる影が三つ。
不機嫌そうに腕を組んで仁王立ちする漁。
どこか疲れたような笑みを浮かべる白刀。
そして、
「ほら、助けに来てやったわよ、貧血ヘタレ吸血鬼」
信じられないくらいいつも通りな声を上げる、涼子。
その姿をはっきりと認めた瞬間、目頭が熱くなった。
「生き、て……」
「あなたみたいなヘタレに殺されるようなことがあったら末代までの恥よ」
この毒舌は、間違いなく涼子である。
言いたいことがたくさんある。ありすぎて、言葉がうまく出てこない。言葉の代わりに、赤い瞳からは堪えきれずに涙が零れる。
「涼子……」
「はいはい、いい歳した男がめそめそしないの。白刀、斬っちゃって」
「りょーかい」
快諾した白刀が手刀を振るう。すぱん、と小気味いい音がして、白銀を拘束していた鎖と首輪が綺麗に切断される。
「うーん、この脆さはいただけないわねえ。武器を愛する者としては十点満点中三点しかあげられない」
涼子は呑気に講評し始める始末である。
支えを失った白銀はがくりと膝が折れてへたり込む。純銀の毒を受け続けたせいで、体力はほとんど残っていない。
「さて、長居は無用だし、とっとと撤収しますか」
涼子が白銀に手を伸ばす。その手を握り返そうとして、白銀は躊躇する。その手に縋ることが自分に許されるとは思えなかった。
が、白銀のそんな葛藤など無視して、涼子は強引に手を握って引っ張り上げる。ふらつきながら立ち上がると、涼子は屈託のない笑みを見せる。
「辛気臭い顔してんじゃないわよ、馬鹿」
涼子が手を引く。
「逃がすか!」
銃撃がもうないと見るや、軍服姿のハンターが二人、部屋に飛び込んできた。どうあっても逃がすまいという意志に満ちてぎらぎらとした目が、白銀を捉えていた。
男たちが腰に佩いた剣を抜きかける。だが、その刃を抜き放つ前に、二人をまとめて、水の鞭が薙ぎ払った。
「邪魔をするな、下郎共。貴様らは空気を読むということを知らんのか」
不機嫌そうに鼻を鳴らす漁が水を操っていた。
その隙に、涼子が白銀を半ば引きずるように引っ張って、割れた窓から外へ脱出した。白刀と漁が後に続く。建物の外は荒れた空き地だった。
頭が回らないうちに流されて逃げ出してきてしまったが、やがて思考がまとまり始めると、このままではいけないという危機感が這い上がった。
「駄目だ、涼子、茉莉が追いかけてくる、逃げ切れない!」
「解ってるわよそんなこと」
そう言うと同時に、前方、木立ちの影から、ずるりと何かが飛び出した。反射的に立ち止まる。
髪を振り乱し、服をぼろぼろにした茉莉が立ちはだかる。さっきまで見るも無残な肉塊にされていたとは思えないほど、茉莉は五体満足になっている。その再生力は、同じ吸血鬼である白銀ですらも戦慄させられる。
「逃がさないわよ、ハル君」
茉莉は妖艶に笑う。そして、後ろからは早乙女を筆頭に吸血鬼ハンターたちがずらりと並んで追いかけてくる。
「前門の虎、後門の狼って感じねぇ、前にいるのは鬼だけど」
などと涼子は呑気に言うが、そう悠長に構えている場合ではない。
「まさか、あなたがまだ生きていたなんてね、お邪魔虫さん」
茉莉は涼子をじろりと睨む。
「あーら、その言葉、そっくりそのまま返すわよ、ヤンデレクソビッチ吸血鬼。貧しい胸を露出させてるのはどういう性癖なのかしら、痴女なのかしら」
体は再生しても衣服までは戻らない。茉莉の服は銃撃のせいでぼろぼろである。確かにその格好のままで表を出歩いたら確実に公序良俗に反するレベルの装いなのだが、そうしてしまったのは涼子である。引き金を引いていた張本人でありながら、涼子はそれを材料に構わず挑発する。聞いているほうがひやひやする応酬だ。
「どうあっても私の邪魔をするのね。でも、無駄よ」
茉莉は視線を白銀に向ける。
「ハル君、あなたが選ぶのよ。私と一緒に来るか、彼女たちと一緒に行くか。勿論、後者を選ぶのなら、私はその子たちを皆殺しにしなければならないけど」
「っ!」
心臓を鷲掴みにされたような気分だった。茉莉は白銀を手に入れるためなら手段を選ばない。白銀の一番弱いところを突いてくる。彼女がやるというなら、それは本気だ。
「まあ、選ぶまでもないわよね? だって、さっきあなたは誓ったもの。言質を取ったとか、そういう問題じゃないの。あなたは誓った、つまり、理解したってこと。もうどうしようもないと、諦めるしかないと。この現実はそういう状況なんだって、感じたんでしょ? 誓いの言葉をなかったことにできても、その結論に至ったあなたの本心だけは誤魔化せない」
茉莉の言うとおりだった。白銀は、全部を諦めてしまった。大切なものたちを守るためには、自分が犠牲になる以外に方法がないと悟ってしまった。そういう現実をつきつけられたのだ。
茉莉を選ぶか、涼子たちを選ぶか。
どちらを選んだとしても、白銀が涼子たちと共に在ることはできない。
ならば、涼子たちに生きていてほしい。これ以上、茉莉に手を出させるわけにはいかない。
吸い寄せられるように、茉莉の方へと脚が動く。
「待ちなさい」
それを、握ったままだった涼子の手が引き留める。
「行っちゃ駄目」
祈るような目で涼子が言う。
「行かないで、銀」
だが、白銀は力なく首を横に振る。
「涼子……お前が生きていて、本当によかった。……でも、俺はいつかお前を本当に殺してしまうかもしれない。俺と一緒にいるせいで、死んでしまうかもしれない」
「そんなことない。あなたは私を殺したりしないわ」
「俺は深雪を殺した」
「っ」
「お前のことも……白刀が止めてくれなかったら、きっと殺してた。俺はもう、嫌なんだ。……俺のせいで誰かが傷つくのはもう嫌だ。何も失いたくない。奪われたくない」
涼子が、はっきりと傷ついたような目をした。
「……ごめん、涼子」
「……ばか……」
涼子は悲しげに目を伏せて、ぽつりと呟く。
「ごめん……」
白銀がそう告げると、涼子はもうどうしようもないというように、そっと白銀から手を離した。
――そして、その手をスカートの中に伸ばして銃を取った。
「え」
「口で言って解らない奴は、死刑」
直後、白銀の額に押しつけられた銃口は容赦なく火を噴いた。




