13 そしてすべてが砕け散る
やっと上手くいった――茉莉は上機嫌に微笑む。
茉莉は手段を選ばず、悠を手に入れるための手を打ってきた。本来敵であるはずのクルースニクさえも手駒にした。そうして、悠の周りから邪魔者を排除した。逃げ回る悠を、ようやく手中に収めることができた。自然と口元が緩んでしまう。
「あなたには感謝しているわ、早乙女」
薄暗い廊下をのんびりと並んで歩きながら礼を告げるが、それには及ばないと早乙女は微笑む。
「こちらも打算で動いていますからね。これからの吸血鬼退治も、あなたの力を当てにしたいんですよ」
「ええ、私もあなたたちを利用したから、あなたたちも存分に私を使うといいわ。私とハル君以外の吸血鬼なんていらないもの。同族だろうが、殺すことに躊躇はないわ」
「期待していますよ」
「任せておいて」
そう言いながらも茉莉は、いつこの目障りなハンター連中を始末してやろうかと画策していた。悠を手に入れるまでは上手く利用してきたが、目的が達成された以上、もはや敵と手を組んでいる必要はなくなった。今はまだ、ハンターたちは茉莉を退治しようとはしていないが、その考えもいつ変わるか解らない。寝首をかかれる前に始末するべきだろう、と茉莉は思う。
そして、ハンターたちも寝首をかかれることを考慮に入れているだろうことも予測している。怪しい素振りを見せれば容赦なく切られるだろう。始末するなら一瞬で済ませるべきだ。
いろいろと考えなければならない。だが、茉莉は強い。そして、悠も手に入れた。悠の協力を得られれば、始末人たちなど恐れる必要はない。
ハンターを潰すために、そしてこれからの長い時間を幸せに生きるために。まだ反抗的な悠を、早いうちに従順な子にしておく必要がある。さて、どうしてあげようかと考えてみると、心が躍るのが解った。
「そういえば、白銀の様子はどうなんですか」
「なかなか思い通りにならないけど、でも焦ることはないわ。もうハル君は私のもの……あの子はもう逃げられないんだもの、ゆっくり教育してあげるつもり」
「調教の間違いでは?」
「私には愛があるもの、教育よ」
「これほど歪んだ愛情というのも、稀ですね」
「あなたはこれまで何人もの吸血鬼と出会ってきたのでしょう? だったら、中には私と同じような吸血鬼もいたんじゃないの? 永遠に生きていれば、孤独を癒すために誰かに執着したくなるものだもの」
「さて、どうでしょうかね。吸血鬼のプライベートなどには突っ込まずに即座に駆除するのが我々のやり方ですから、詳しいことは知りませんね」
「つまらない人ね」
「――うわあああっ!」
突如、廊下に男の悲鳴が響いた。茉莉と早乙女は目を見合わせる。
「……あなたの部下ではないの?」
「そのようですね」
二人は足早に声のした方へ向かう。案の定、その先にあるのは、茉莉が行こうとしていた部屋である。
再び男の情けない悲鳴が聞こえたかと思うと、軍服姿の男が扉を突き破って廊下に吹き飛ばされてきた。隣で早乙女が溜息をついてこめかみを揉んだ。
「壊さないでほしいんですがね」
「嘘でもいいからまずは部下の心配をすればいいのに」
たいして焦ることもなく、部屋の中に入る。
ブラインドを閉めているせいで、昼間なのに薄暗い部屋だ。調度品の類は一切なく、壁も床も天井も灰色一色。掃除が行き届いていないせいか天井近くに蜘蛛の巣が張っている有様だ。
そんな無粋な部屋にあるのは、天井から下がる拘束用の鎖のみ。そもそもこの部屋は、早乙女が捕えた吸血鬼を拷問するためだけに作った部屋なのだ。
部屋の床には軍服姿の早乙女の部下が二人転がっている。監視役を受け持っていたはずだが、何の足しにもなっていなかったらしいことがよく解った。
「迂闊に近づくなと言っておいたはずですよ。手負いの鬼は凶暴ですから」
「相変わらずやんちゃねえ、ハル君」
苦笑交じりの茉莉の視線の先には、両手を鎖で拘束された悠がいる。頭上で絡め取られた手の自由がきかないのは勿論のこと、吸血鬼の力を封じるために純銀製の首輪を取り付けられ、その先に十字架まで施してある。にもかかわらず、悠の赤い瞳は戦意を失っておらず、結果、見張りの男たちに容赦なく頭突きやら蹴りやらをくらわせてしまった、ということのようだ。
「だから申し上げたんですよ、足枷くらいつけた方がいいと」
「あんまり純銀まみれに拘束されてしまったら、私までハル君に触れられなくなってしまうじゃない。こんなに元気が有り余っているとは、私も予想外だったのよ」
とはいっても、雑魚連中を蹴倒す力があっても、ここから逃げ出すほどの余力まではないことが解った。吸血鬼にとって純銀は触れているだけで毒だ。悠はすっかり呼吸を乱しているし、じっとりと汗にまみれている。顔に出すまいとしているようだが、相当の苦痛があるはずだ。
苦しみに耐えようとする表情もそそられるのだけれど、と茉莉は密かに思う。
「これ以上の損害は困るんですから、しっかり躾けておいてほしいものですね」
「解っているわよ」
茉莉は呑気に微笑みながら窓に近づく。やたらと大きな窓のブラインドを開けると、部屋中に陽光が眩しく注いだ。
悠が顔を顰めて呻く。万全の状態であれば太陽の光など影響はないが、純銀で弱体化している体には陽光すらも毒になる。無駄に大きな窓はこういう使い方をするのだと、早乙女が言っていた。
「ごめんね、ハル君。本当はハル君を傷つけたくなんかないの、せっかく手に入れたんだから大事にしたいのよ。だけど、ハル君が素直になってくれないから、こうするしかないの」
「……俺は……お前の物じゃない」
掠れた声で悠はかろうじてそう言った。
「まだそんな意地を張って。強情張ってたって、苦しいだけなのよ? 私を拒絶したって、あなたに自由はないし、あなたを待っていてくれるはずの人はあなたが殺した。ほら、もうあなたは私を受け入れるしかないじゃない」
「俺は、お前が嫌いだ。永遠に拒絶し続ける……」
「そういうのって、地味に傷つくんだけどなぁ」
とはいっても、悠がそう簡単に心を開いてくれないことは予想していた。茉莉はさして落胆などしない。
「茉莉、我々もあなたの遊びにいつまでも付き合ってはいられませんよ。強情な鬼には、体で理解してもらうほかないというのが、私の持論なんですがね」
「あら、怖い」
「部下をやられた落とし前もつけたかったところですし」
「さっきまで心配なんかしてなかったくせに」
「してましたよ、一応」
言いながら、早乙女は懐から小瓶を取り出す。片手で蓋を外すと、中の透明な液体を悠に振り撒いた。
「――ッ、ぅ、っ!!」
じゅう、と肌が焼け爛れる音がする。聖水だ。悠は必死に声を噛み殺しているが、耐えきれずに微かな悲鳴が漏れ聞こえる。弱った体に聖水を注がれるのは、酸を浴びたような気分だろう。体が小刻みに震え、鎖がぎちぎちと軋んだ。
「あまり傷物にしないでよね」
「かまわないでしょう、死にはしませんから」
「酷い人」
それにしても、早乙女は解っていないな、と茉莉は内心溜息をつく。どんなに体を痛めつけたところで、きっと悠は折れない。折ってやるなら別の物だ。そのために、ここまで布石を打ってきたのだ。
早乙女を下がらせ、茉莉は悠の前に立つ。悠は苦痛に顔を歪めながらも、強気に茉莉を睨んできた。
茉莉はその瞳を見つめ返し、唇を歪める。
「……刀の付喪神」
「!」
「名前は白刀、だったかしら」
悠の瞳が動揺する。思った通りだと、茉莉はほくそえむ。
悠は大切なものを作りすぎたのだ。
「主を失ってしまったのだし、道具を壊してあげるというのも優しさよねえ」
「お前……」
「それから、最近ちょろちょろと目障りな人魚を殺してしまうのもいいかもしれないわ」
「茉莉!」
「それとも、あなたのところに依頼に来た妖怪たちを順番に消していく?」
「やめろ、茉莉!」
茉莉への憎しみに満ちていた表情が、焦燥と恐怖に塗り替わっていく。
「愛した人を殺して、その娘を殺して……それでも理解できないなら、あなたの『大切』を一つずつ潰していくしかないと思わない?」
悠を手に入れるためには、悠にすべてを捨てさせる必要があった。
だから、悠の周りに大切なものが増えていくのをじっと見ていた。
最後に捨てさせるために。
そして、茉莉だけが残るように。
「全部失えば、私しか残らない」
「やめろ……これ以上、俺から何も奪うな……!」
「だったら、私の物になりなさい、悠」
絶望で歪んだ顔。茉莉に従う以外に道を失った表情。この瞬間を、ずっと待っていた。
「私だけを欲して。私だけを求めて。私だけを見て。私以外いらないと言って。私の傍にいると言って。永遠に私だけの物でいると誓ってちょうだい。……私は二百年前からずっと、それだけを望んでいた!」
見開かれた瞳は絶望で染まっている。
重く、長い沈黙が落ちた。
迷っているのではない。覚悟を決めるための時間だろう。
悠には迷う余地などない。大切な物が壊れる怖さを知った悠が、仲間たちを見捨てていけるはずがない。自分の力で茉莉を制することもできないと解った今、選択の余地などないのだ。そういう状況に、茉莉が追い詰めた。十三年がかりの計画だったが、二百年の時に比べれば、一瞬のようなことだ。
やがて、赤い瞳から光が消えて、ぼろりと涙が落ちた。
震える唇で、悠は、茉莉が待ち続けた言葉を口にする。
「……誓、う」
――何かがばらばらに砕け散る音が聞こえた。




