12 無粋な奴はうじゃうじゃいる
茉莉が倒れている。何度切り刻んでもすぐさま立ち上がってきた化け物が、電流を浴びて体を痙攣させ、沈黙している。
最初で最後の好機だった。
白銀はすぐさま立ち上がる。少しふらついたが、立ち止まるわけにはいかなかった。
スタンガンでは殺すには至らない。動きをほんの少し止めておくのが関の山だ。だが、少しだけでいい。その隙に、とどめを刺す。
白銀は右手の爪を伸ばす。硬く鋭く研ぎ澄まされた爪で、茉莉の心臓を抉り出す――それで殺せるかどうかは、正直、解らない。だが、迷っている暇はない。
今度こそ茉莉を殺す――白銀は一歩踏み出した。
その瞬間、茉莉は、嗤った。
シュン、と風を切るような音。次いで金属がぶつかるような音が白銀の耳に入った。
「!」
視界を掠めた銀色。完全に意識の外から放たれてきた銀の鎖が、白銀の体を絡め取った。
「なっ……これは……ッ」
幾重にも鎖が巻き付き、白銀を締め上げる。茉莉ではない。茉莉はまだ倒れている。目だけを動かして周りを見ると、いつの間にかあたりには軍服のような装いの男たちが数人、白銀を取り囲んでいる。白銀を捕える鎖も、男たちが手にしていた。
白銀は動揺する。ここにきて邪魔が入ったという事実に焦燥する。鎖は細く、たいして頑丈そうにも見えないというのに、引き千切ることも振り払うこともできない。
数歩の先に茉莉が倒れているのに、動けない、手が届かない。思うように動かない体がこの上なくもどかしい。
「――あなたともあろう人が、随分と苦戦していらっしゃる」
突如響いた男の声。軍靴を鳴らし、眼鏡をかけた男が茉莉に近づいて行った。
「……あ、はは」
茉莉は声に出して笑った。倒れた茉莉を、男が支え起こす。
「慢心ですか」
「う、ふ。ハル君が、それだけ強くなったということよ。けれど、私の方が一枚上手。あなたは手段を選ばなかったつもりでしょうけど、私の方がもっと、手段を選ばなかった」
「何だと……」
「その通りですよ、白銀。……十三年ぶりですかね」
初対面だと思っていた男が顔を上げてそう告げた。十三年、という言葉に記憶が反応する。
「お前……早乙女、慎一郎か!」
「思い出していただけましたか」
撫でつけた黒髪、きざったらしく眼鏡を指で押し上げる仕草。思い返せば、どれもこれも見覚えがある。
吸血鬼となってしまった白銀の敵は、茉莉だけではなかった。クルースニク、それも過激派閥の連中は、いつの時代もたびたび襲ってきた。茉莉を倒す力を手に入れるため、そして同時に吸血鬼殲滅を御旗に掲げる連中の追撃から逃れるため、白銀は様々な地を転々としていた。しかし、それでもクルースニクとの遭遇は免れられない。十三年前は、早乙女慎一郎を筆頭とする集団と交戦した。それ以来、早乙女の接触はなかった。だが、どうやら早乙女は白銀を見逃したわけではなかったようだ。
「十三年前、我々の追撃から逃れた後、あなたは人間の女性を殺したと聞きました」
「……っ」
苦い記憶が蘇る。早乙女慎一郎は、白銀が吸血鬼であると見るや、問答無用で襲いかかってきた。早乙女と、彼が率いるハンター部隊は、それまでに出会ったクルースニクよりも手練れで、白銀は苦戦した。なんとか難を逃れ生き延びたが、白銀は酷く傷ついていた。
傷ついて、苦しくて、どうしようもない時。いつも決まって深雪が目の前に現れて、傍にいてくれた。よもやどこかで見ているのではないかと思えるほど、タイミングよくやってきては、「今日も大変そうですね」なんて言って、呆れたように微笑んでいた。深雪の笑顔が、ぼろぼろの白銀の心を癒した。彼女だけが拠り所だった。
だが、十三年前――あの日に限っては。白銀は、深雪を殺してしまった。
「大人しく我々に駆除されておけばよかったものを。しかし、我々にとっては好都合。これで、あなたを殺す正当な理由ができました。過激派の独断専行と言われることもなく、堂々と殺せます。さあ、大人しく死ぬといい」
早乙女は腰に佩いた刀に手をかける。それを、茉莉は笑いながら咎めた。
「あら、駄目よ、早乙女。ハル君のことは殺さない約束でしょ」
「ああ……そういえばそうでしたね」
解っていますよ、と早乙女は不敵な笑みを浮かべる。
「茉莉、お前、クルースニクと手を組んだのか」
白銀は茉莉を一瞥し、その傍らに従順に付き従う早乙女を憎々しげに睨んだ。吸血鬼の存在自体を憎む過激派閥の男が、吸血鬼の味方をするなど、夢にも思わなかった。
「あなたはご存じなかったかもしれませんが、我々と彼女、十和田茉莉とはそれなりに長い付き合いでしてね、もう十五年くらいになりますか」
「なぜ吸血鬼とクルースニクが手を組む。お前らは敵同士だろう」
「我々は、頭のお堅い連中とは違う、『合理派』なんですよ。吸血鬼どもを駆除するという大義のためなら、吸血鬼の力すら利用する」
「私たち、利害が一致したのよ。私がハル君を手に入れるのに協力してもらう代わりに、私は彼らの仕事を手伝って、他の吸血鬼たちを退治してるの」
手段を選ばないとはこういうことだ、と茉莉は勝ち誇る。
吸血鬼始末人と手を組んだ、同族殺し――そのすべては、一人の吸血鬼を手に入れるため。
「この戦いも、我々はずっと見ていました。気配を殺して、成り行きを見守っていた。もしも十和田茉莉が負けるようであれば、戦闘に介入しあなたを捕獲する……そういう計画でした。正直、我々の出番はないと踏んでいたんですが……まあ、準備をしておいて正解でしたね」
「そういうわけだから、ハル君、最初からあなたに勝ち目なんかなかったのよ」
そう告げて、茉莉は立ち上がる。最大の好機を逃したのだと悟った。
好機は一転して白銀の危機となる。ハンターたちが白銀を捕えているのは、純銀の鎖だ。言わずと知れた吸血鬼の弱点。体の力が抜けていくのが解った。
茉莉だけでも不利な戦いだったというのに、ここにきてクルースニクが茉莉の側につくのは誤算すぎる。
「大人しくしてもらおうか、白銀」
早乙女を伴って、茉莉が向かってくる。
ここまできて諦められるか――白銀は左手に持ったままのスタンガンを握り直し、鎖に押しつける。
「吹っ飛べ!」
スイッチを入れる。ぎゃあああっ、と男たちの絶叫が重なった。
銀は金属の中でも電気伝導率が最大だ。銀鎖を伝って電流を流しこまれ、ハンターたちは鎖から手を離し、拘束が緩む。
「ふむ、油断しましたね。純銀を纏いながらまだ抵抗できるとは」
しかし、早乙女は焦ることなく、まだ動きの鈍い白銀の鳩尾に膝を捻じ込んだ。
重い衝撃に息が止まる。
早乙女は腰に佩いた剣に手をかける。鞘ごとベルトから引き抜き、抜刀しないまま鈍器として振り回し、白銀の頭部を打つ。
「……ぁっ!」
視界がぶれる。脳が激しく揺さぶられ、思考が一瞬で消し飛んだ。
為す術もなく倒されると、意識が混濁して、立ち上がることすらできなくなった。早乙女が小さく笑う気配。次いで、頭を軍靴で踏みつけられた。
「さて、茉莉。この後は、何をお望みですか」
「……私だけのものに」
徐に跪くと、茉莉は白銀の髪からリボンを解き取る。
茉莉の手の中で、リボンが燃えた。
★★★
ちょっと前に隠し神と戦った時よりも明らかに荒れている様子の彩華二高旧校舎の敷地を見回して、涼子は小さく溜息をついた。
「一足、というか二足くらい遅かったかな。昨日のうちに動けなかったのがまずかったか……といっても、こっちにだって都合があるんだから、文句言われても困るけどね」
一刻も早く白銀を探すべきだと白刀にせかされ、朝一番に、こうして旧校舎までやってきた。このあたりが騒がしかったのだというネコの情報を頼りにしてきたのだが、さすがネコ情報、どんぴしゃり、ただし手遅れ。もうここには誰もいないようだ。だが、痕跡は見つけた。
アスファルトは雨が降ったわけでもないのに僅かに濡れている。そのそばには血の染みも残っている。白銀が持っていたはずのスタンガンも壊れて落ちている。それから視線を巡らせると、近くに植わっていた樹の幹に赤い刃が刺さっているのも見つけた。
「あらー、見事に折られてるわね。思ったより実力差のありそうな相手ね。ああ、面倒」
「涼子ー、そんなこと言ってないで、もうちょっと真剣に心配しようよぅ」
一緒についてきた白刀が不満げな声を上げる。
「真剣に心配っていっても、一応、銀は復讐相手なわけで、いまいちモチベの上がらない展開なのよね」
「そりゃそうだろうけど……」
ほんのり恨めし気な白刀の視線に、涼子は苦笑する。
「大丈夫よ、解ってるってば。ちゃんと本気出しますって」
「ほんとかなー……」
「ほんとほんと。今回は私も腹に据えかねてるし。人の獲物に勝手に手出してんじゃないわよってね。十和田茉莉のことはぶっ潰し確定よ」
そのための準備はそこそこ順調に進んでいる。
「病み上がりにしてはそこそこ急いできたつもりだったけど、なかなか追いつけないわねえ。まあ、いいでしょう。収穫はあったし」
「収穫?」
「状況把握という奴ね。これだけ派手に暴れた跡があるのに銀から未だに連絡なしってことは、銀は十和田茉莉に負けたってことよ。完全に向こうの手に堕ちてるわね。だから私は常々言ってるのよ、一人で抱え込む奴はたいてい失敗するって」
「それ収穫かなぁ? 完全に悪いニュースだよね。僕、もっといいニュースが聞きたかった」
「さらに悪いニュースを聞かせてあげたっていいのよ」
「まだあるのぉ!?」
げんなりといった白刀の声を背中に聞きながら、涼子は徐にしゃがみこんで、地面で光っていたものを拾い上げた。
銀色の鎖の欠片だ。
「純銀か。これはますます、面倒な。まあ、連中には個人的な恨みもあるから一石二鳥とも言える」
涼子はにやりと笑う。
「笑ってる場合じゃないよ、涼子」
白刀はそう咎めるが、涼子は笑わずにはいられない。
「大変な時こそ笑うものよ。それに私、辛気臭い顔はしないって、約束したから」
「誰と?」
その問いには答えず、涼子は立ち上がる。
風に揺れる髪を押さえて、ここにはいない相手に向かって笑ってみせる。
「そうだよね?」




