9 誰かのための嘘つきたち
なぜ私はこんなことをしているのだろう――漁は溜息をつく。
隠し神との戦いのあと、白銀が姿を消したことは気になっていた。しかし、涼子から「え? 別に気にしなくて大丈夫じゃない、いい歳した大人なんだし」と言われて、実際その通りだと思ったので、はっきりいってこの問題についてはほぼ忘れかけていた。今思えば薄情だったかもしれない。
忘れていたその矢先、道端でばったり再会したが、なぜか白銀はすっかり憔悴しきっている。今までは会った瞬間憎まれ口を叩きあう間柄だったというのに、いきなり泣きながら殺してくれと懇願されてしまったらどうすればいいのか。そんな時の対応の仕方は、『これで安心! コミュニケーションの秘訣』という本にも書いていなかったので、漁は困惑してしまった。
「……まったく、私は何をしているんだろう」
今度は口に出して溜息をつく。
結局、ただならぬ様子の上に、ばったり意識を失ってしまった白銀を放っておけず、家まで担いできてしまった。どうにも熱が酷いようだった。ひょっとすると、先刻の異常な態度は高熱のせいかもしれないな、と思いながら、ベッドに寝かしてやった白銀の額に濡れたタオルを置いてやる。
「……なぜ私がこんな甲斐甲斐しく世話をしてやらねばならないのだ」
今度は苛立ちの混じった呟きを漏らす。しかし、ぶつぶつ言いながらも、放っておけないのが人情だ。人ではないけれど。
ふだんは憎たらしくて虫唾が走るばかりの顔も、今日ばかりは、見ているとなんだか複雑な気分になる。薄く開いた唇、上気した頬、汗で湿った銀色の髪。不意に漁の脳裏に、いつだったか涼子が某SNSで語っていた台詞が思い浮かんだ。
『銀ってふだんは腹立つけど、たまに弱ってると可愛くて苛めたくなるのよね!』
こんなことを本人が聞いたら、「お前いつも苛めてるじゃねえか!」とツッコみそうだが、成程、今なら涼子の気持ちが解らなくもないぞ、と漁は思う。確かに、なんだか無性に苛めたくなる顔をしている。
ふだんの微妙に不機嫌そうな顔や、表情に滲み出る性格の悪さを取っ払うと、こんなに嗜虐心を刺激するのか、と漁は得心する。涼子がおかしなことを吹き込んだせいで漁はおかしな方向に勘違いしているようだが、その間違いを指摘してくれる人もいない。
「……まったく、おかしなことになってしまった」
深々と溜息をつく。
それが聞こえたわけではないだろうが、白銀の瞼が小さく震えた。
「白銀?」
名前を呼ぶと、白銀はゆっくりと目を開けた。最初は焦点が合わずまだ意識がはっきりとしない様子だったが、次第に落ち着いたらしく、白銀はしっかりと漁を見つめて問うた。
「……ここは?」
「私の家だ。急に倒れたものだから、放っても置けずつれてきてやったんだ」
感謝しろ、と冗談めかして付け加えようとしたら、それより先に白銀が「そのまま野垂れ死んだってよかったのに」などと言い出したので、漁は反応に困ってしまう。
「……貴様、いったいどうしたというんだ? 貴様がそんなでは、私も調子が狂う。何かあったのか。隠し神の穴に落ちた後、何があった」
漁の問いに、白銀は厳しい表情で体を起こし、俯き気味に呟く。
「涼子を、手にかけた」
「……!」
「殺してしまった……」
「貴様……」
漁は驚愕した。そして、どう声をかけるべきか戸惑った。
――ついさっき本人と電話で話したばっかりなんだけど。
白銀は落ち込んでいる。真剣に自分を責めている。涼子が死んだと思っている。「え、涼子生きてるけど、『今度こそ銀を殺す』って息巻いてたけど」などといってこのシリアスな空気をぶち壊す根性は、漁にはなかった。
白銀のただならぬ様子に、漁はまっさきに涼子に相談しようとケータイに連絡していた。その時は通じなかったのだが、すぐに折り返し連絡があった。どうやら病院にいるらしく、聞いてみると「ただの貧血」と笑っていた。白銀の様子がおかしくて困っていると相談したところ、涼子が言ったのは、平たくまとめると、こうなる。
「ほっといていいわ」
「申し訳ないけど、もう少し面倒見てやってて」
「もしも銀がおかしな勘違いをしてても、何も言わなくていいから」
その時は、涼子は白銀に襲われたことなど何も言っていなかったので、漁は首をかしげたのだが、事情が解ってみると、涼子はなんともまあひどいことをするな、と思う。要するに涼子は、「もし白銀が私を殺したと思い込んでいても、その勘違いは正さなくていい」と言ったのだ。
どういう意図があるかは知らないが、この状態の白銀に真実を隠すのは、あんまりじゃないだろうか。さっさと本当のことを教えてしまいたい。しかし、涼子がわざわざそう頼むということは、やはりそれに従った方がいいのだろうな、と漁はおかしな状況にひっそり嘆息する。
白銀の方は、漁の内心の葛藤など露知らず、頭を抱えて泣き出す始末である。
「お、おい、貴様、泣くな。大の男がめそめそとするものではないぞ」
「俺は……また取り返しのつかないことを……」
「落ち着け。とりあえず落ち着け。落ち着いてっ、深呼吸してっ」
なぜこんな面倒なことに、と思いながらも、漁は必死に白銀をなだめる。白銀が不意に泣きはらした顔を上げると、赤く腫れた目元が痛々しく、漁は胸が痛んだ。
漁の懸命な説得で、白銀は若干落ち着いてきたようで、小さく息をついた。
「……悪い、取り乱した」
「いや、かまわん」
「漁、今日は優しいな。お前の顔を見た時……お前なら殺してくれるかもって期待したのに、殺してくれないんだな」
「理由もなく殺しはしない。……貴様が姿を消してしまったから言いそびれていたが、私はあの時、貴様を赦してもいいと思った」
「え」
「貴様が、私を助けてくれた。我が身を省みず、私を」
隠し神の罠に落ちた時、漁は白銀に助けられた。「吸血鬼」と忌み嫌いながら呼んでいたのが、思わず「白銀」と呼んでしまった。
「助けてもらったから水に流すという、単純な話ではない。私は百年前、貴様に血を奪われた。甘い言葉で巧みに私を騙し、最後には血を奪って姿を消した貴様を、私はただの非道な奴だと思っていた。最低な奴だ、鬼畜外道だと……だが、そうではないのかもしれないと、思った」
白銀という吸血鬼は、本当にただの非道な吸血鬼だったのだろうか。そう自問したとき、白銀が涼子の無事に安堵して見せた微笑みや、自分を助けたときの不敵な笑みが脳裏を掠め、歪んでいた百年前の記憶がはっきりとした。
あの時の白銀は、とても、悲しそうな顔をしていた。
「理由があればいいというものでもないが、それでも、百年前の貴様には、何か拠所ない事情があったのだろう。貴様は、故なく他者を害する鬼ではない。貴様の体に流れる血が鬼の血だとしても、抱く心は人の心だ」
白銀が僅かに目を見開いた。柄にもないことを言っているのは自分でも解ったが、今更止められるわけもなく、漁は続けた。
「私にすべてを話せとは言わない。ただ……貴様はもう少し、自分を信じてもいいのではないか。貴様が涼子を大切にしていたことは、涼子に会ってまもない私でも解る。白銀、貴様はそんな相手を殺してしまうような奴か? 私はそうは思わない。貴様は血を貪るだけの獣ではないはずだ」
「……」
まるで死人のようだった赤い瞳が、再び涙を浮かべていた。
★★★
白刀は慌てていた。病院で騒いではいけないとは解ってはいたが、大人しくしてなどいられなかった。
「駄目だってば、涼子! まだ起きちゃダメ! 安静にしてて!」
涼子が目を覚ました。それは喜ばしいことだ。白刀は一緒についていた結城と一緒に喜んだ。それからほどなく涼子のケータイに電話がかかってきたようで、涼子は病室を出て誰かと電話をしてきた。そして、涼子は戻ってくると、「白銀の居場所が解った」と告げた。こちらも気がかりだったので、懸念事項が一気に解消して、白刀は胸を撫で下ろした。
しかし、安堵していられたのも束の間、涼子はとっとと帰ろうとする。一時は血を大量に抜かれて大事になっていたというのに、目を覚ますなり帰るというのはさすがに体に悪いだろう、と白刀は必死に押しとどめている、というのが現在の状況である。
「涼子ちゃん、悪いことは言わない。今日一日くらいは入院しているべきだ」
結城が大人らしくもっともなことを言うが、涼子の決意は固い。
「ごめんなさい。馬鹿な吸血鬼を放っておけないので」
そんなことを言っておきながら、実はさっきの電話で漁に「銀のことはほっといて」と言っていたなどということは、白刀たちは知る由もない。
「ちゃんと休んでてよ、お願いだから、涼子っ」
病室を出て行こうとする涼子にがっしりしがみついて白刀は懇願する。白刀の必死の願いが伝わったのか、涼子は深々と溜息をついて肩を竦めた。
「解ったわよ、もう」
「涼子……!」
「十分だけ休んでく」
「涼子ぉ~」
感激したのも一瞬、意味不明な譲歩に白刀は嘆いた。
ベッドに腰を下ろした涼子は、嘆く白刀をさらりとスルーして結城を振り返った。
「というわけで、暇な十分の間に、結城さん、昔話を聞かせてくれませんか」
「昔話?」
「ええ。たとえば、十三年前の話とか」
「! ……一通り話したはずだけど」
結城はわずかに目を見開き、どこか警戒するような、焦ったような表情を見せた。その表情を「あたり」と判断したのか、涼子はにっこりと含みのある笑みを浮かべた。
「でも、実は嘘が交ってたりしませんか」
「涼子、十三年前の話って、涼子のお母さんのこと?」
涼子から聞かされたばかりの話を、白刀は思い出す。
「涼子のお母さんが、白銀を殺そうとして、白銀が正当防衛で殺しちゃった……って話、だよね」
「ええ、私はそう聞いた。けど、今回の銀の豹変を合わせて考えると、ちょっと腑に落ちないというか、嫌な予感というか……」
「涼子ちゃん、いったい君は何を考えているんだ?」
結城がもどかしそうに問うと、涼子は単刀直入に、自身の抱いた疑問をぶつけた。
「十三年前の事件は、本当に正当防衛だったんですか」
「……!」
結城の表情が強張った。それだけで、結城はすべてを白状してしまったようなものだった。




