4 困ったときのサツ頼み
さっぱり自慢にならないことだが、白銀は警察に知り合いがいる。その昔、世話になったことがあり、以来連絡を取り合っている。情報収集にあたって、白銀は久しぶりに、警察の知人を尋ねてみようという気になった。
「知り合いって、もしかして結城さん?」
隣を歩く涼子が問う。警察に行くということで、装いは落ち着いた紺色のセーラーワンピース。いつもより裾が長めのスカートがひらひら揺れる。一見すると可愛らしい装いだが、騙されてはいけない。ことあるごとに吸血鬼を殺そうと画策する涼子は、そのスカートの下に密かに武器を隠し持っているのが常なのだ。
対する白銀は、警察に乗り込むからには完全無防備丸腰状態である。それが普通だ。
駅前から延びる国道沿いに、商店街を通り抜け、城址公園前を通り過ぎ、銀行前の横断歩道で立ち止まる。赤信号の先には、彩華警察署の薄灰色の建物が聳えている。
「ああ……結城虎太郎。彩華警察署刑事課妖怪対策係の刑事。前に会った時は巡査だったが、今はどうなってるかね」
「前に会ったのって、いつ」
「十年前くらい」
「まさか、十年も会ってない人に、アポなしで突撃するつもりなの?」
「年賀状だけは律儀にやり取りしてるぞ。問題ないだろう、妖怪対策係は基本的に暇だって言ってたから」
妖怪対策係の主な仕事は、その名の通り、妖怪に関連する事件に対応することだ。妖怪が起こす事件は、食い逃げから殺人まで多種多様だが、結城は主に盗犯・強行犯を相手にしているという。
こうして聞くと忙しそうな部署に思われるが、実はそうでもない。実際に窃盗やら殺人やらの事件が起きた場合、まず動くのは通常の盗犯係、強行犯係だ。犯人を逮捕して、種族鑑定をして、犯人が妖怪だったと判明して初めて妖怪対策係が動く。主な業務は取り調べ、送致、拘留中の捜査の立会・助言。実際に足で捜査することのほとんどない部署である。そういう仕事を任されるのは、事件が明らかに人間業ではないと最初から解っているときだけであり、そのような事件はレアケースだ。
「……つまり、窓際部署なのね」
涼子はすっぱりと事実を言い切った。まさしくその通りなのだろうと白銀自身も思っているので、弁明はしない。
信号が青に変わる。横断歩道を渡りきると、彩華警察署に到着である。
交通安全の標語が書かれた垂れ幕が幾本も下げられた壁を見上げながら、中に入る。十年前の若干曖昧になりつつある記憶を頼りに進むと、刑事課の部屋に辿り着く。
目当ての人物の姿を探して視線を巡らせると、折よく、相手の方から気づいて、
「――白銀じゃないか?」
以前に聞いた時よりもだいぶ大人びた声が名前を呼んだ。グレーの背広姿の男性が、手を挙げて歩いてきた。
歳はもう四十前後のはずだが、若作りで、三十代前半くらいに見える。痩せ型だが、服の下には均整のとれた筋肉が感じられる。穏やかな笑顔を浮かべて、結城は久闊を叙する。
「ずいぶんと久しぶりじゃないか。急にどうしたんだ? 食い逃げでもしたのか?」
「んな狡いことするかよ」
「じゃあ、スピード違反だな」
「免許持ってねえし。お前はそんなに俺をつまんない悪人に仕立て上げたいのか」
「お前人じゃないだろうが」
「言葉の綾だ」
十年ぶりとは思えないくらい、結城は親しげに、というか馴れ馴れしく、テンションの高い軽口を叩いた。それにひととおり満足すると、隣の涼子に視線をやる。
「君はもしかして……」
「一之瀬涼子です。ご無沙汰しています」
「ああ、やっぱり涼子ちゃん。見違えるほど綺麗になった」
「これで心が綺麗なら言うことねえんだがな」
言った瞬間、涼子は結城に微笑みかけながら、白銀の足を踏んづけた。人目があっても気にせず報復してくるあたりはさすがである。
「いやあ、そうか……十三年経つんだな、涼子ちゃんも大きくなるわけだ。今は、高校生?」
「結城、そういう、久しぶりに会った親戚のおばちゃんみたいなテンションはいいから、さっさと本題に入らせろ」
放っておいたらいつまでも昔を懐かしみながら世間話をしていそうな結城を咎め、白銀は用件を告げる。
「彩華町の旧公民館跡が燃えた事件があっただろう。それについて、話が聞きたい」
「公民館? ああ、一昨日の放火か。って、白銀、俺は便利な情報屋じゃないし、だいたい普通の放火は管轄外」
「いやいや、その事件、妖怪が関わってるって話を聞いてな」
「本当か?」
結城の表情が厳しくなる。結城は犯人が妖怪かもしれないのだと解釈したのだろうが、実際は放火の被害者(蜘蛛、とばっちり)の保護者(?)が妖怪というだけである。だが、一応嘘はついていない。勘違いを誘導しただけである。
「少し待ってろ。俺の席に座っていていい」
結城は部屋の隅っこに追いやられている自分の席を示すと、どこかへ消えて行った。それを見送った後、涼子は溜息交じりに、
「悪い人ね」
白銀の悪質な誘導を咎めた。
「いいんだよ、俺、人じゃないし」
「言葉の綾よ」
肩を竦めながら、涼子はすたすたと歩いていき、結城の席に遠慮なく座った。後を追って歩いていくと、周りの視線がぐさぐさと遠慮なく刺さるのを、白銀は感じた。日本人離れした、というより、人間離れした銀色の髪と赤い瞳は奇異の視線を集める。アルビノと言い張るには、白銀は壮健すぎる。自分は妖怪だと声高に宣言しながら歩いているようなものだ。妖怪に対する風当たりは、まだ強い。
加えて、十三年前の件を知っている者も、まだ残っているのかもしれない。
「銀、あなた人気者ねえ」
白銀の複雑な心境を知ってか知らずか、涼子は平然と嫌味を言った。警察に来ようが、涼子の毒舌は相変わらずの絶好調である。
「これのどこが人気者だって? お前の目は節穴か」
「謙遜しなくていいのよ、注目の的じゃないの。ひゅーひゅー」
完全な棒読みで囃すがさすがに鬱陶しくて、涼子の頭を軽く小突く。たったそれだけで、涼子はともかくとして、周りの空気がざわついた。息苦しい。
折よく戻ってきた結城は、周りを見渡すや、苦笑気味に「場所を変えようか」と提案した。
彩華警察署から徒歩三分ほどの近場に、喫茶店「Yomogi」がある。夫婦で経営している小さな店だ。ステンドグラスを背にした席について、「実は昼がまだで」と言いながら、結城はカレーを注文した。涼子は昼食を食べてから来たくせに、「パスタを頼めばタバスコがついてくる。つまり、銀の飲み物にタバスコを混入できるわけで……」などと不要な画策をしていたので、白銀はメニューを取り上げてコーヒーだけ注文した。
「お前は、元気でやってるのか」
運ばれてきたカレーを食べながら、結城は不意にそんなことを訊く。
「見ての通りだ」
「顔色はあまりよくないな」
「誰かさんのせいで貧血」
げしっ、とテーブルの下でひそかに脚を蹴られる。にこにこ笑ってコーヒーを飲みながら陰ではきっちり暴力的。白鳥みたいな奴だ、と白銀は思う。
「相変わらず、妖怪の揉め事に首を突っ込んでお節介をしているのか」
「まあな。どうせ俺は暇人だし……人じゃないけど」
「物好きな奴だな」
「別に。慈善事業やってるわけじゃないし。ちゃんと金取ってる」
「料金設定的にはかなりの悪徳業者よねえ」
涼子が余計な口を挟むので睨んでおく。
「涼子ちゃんは、元気でやっているのか」
「ええ、もう、絶好調」
迷いなく笑う涼子に、結城は苦笑した。
「……さて、肝心の事件の話だがな」
結城はスプーンを置いて、代わりに懐から手帳を取り出した。
「通報があったのは、一昨日、五月十二日月曜、午前十時二十三分。近くを散歩していた男性が、黒い煙と焦げたような臭いに気づいて、通常の散歩ルートから外れて、公民館の方の様子を見に行った。勝手にごみの焼却をしている奴がいるんだろうというくらいに考えて行ってみたら、公民館跡が燃えていた。男性が気づいた時には、もう建物全体に火の手が及んでいたらしい。五分後、通報を受けた消防が駆けつけて消火作業を行った。一時間半ほどで鎮火したが、建物は全焼だ。幸い、周りに民家等はなく、延焼はなかった」
「じゃあ、死傷者はいなかった?」
「いや、焼け跡から遺体が見つかったそうだ」
「遺体? 公民館は使われてないはずだろう。いったい誰が」
「損傷が激しくてな、身元は現在調査中だ。なぜ使われていない公民館に人がいたのかは不明だ」
「公民館跡って、誰でも入れるのか」
「入り口の自動ドアは当然稼働していなかったし、施錠もしてあったはずだ。ただ、消火後に調べたところ、自動ドアのガラスは割れていた。中に人がいたということは、ドアを壊して侵入したんだろうな」
「つまり……何者かが、人目がないのをいいことに公民館に被害者を連れ込んで、建物ごと焼き殺したと?」
「正確には、殺してから焼いたんだな。煤を吸い込んだ形跡がなかったから、火災発生前に被害者は死んでいた」
通常、死体を焼く理由は、身元を解らなくさせるためだ。被害者が誰であるか解ることで、犯人が誰か解ってしまうから、身元を隠す。被害者の生活圏内ではなく、誰も使わない廃墟に連れ込んだのも、同じような理由だと推測できる。すなわち、警察が被害者の身元を特定できれば、犯人にたどり着くのも時間の問題ということだ。
「それで、白銀。この事件に妖怪が関わっているっていうのは、どういうことなんだ」
「え? ああ、巻き添え食って蜘蛛が一匹死んだらしい」
「はぁ?」
「それで、復讐に燃える妖怪が一人。それを丸く収めるために調べてたんだが……警察が普通に放火として捜査してるなら、俺の出る幕じゃなさそうだな。そのうち被害者の身元を特定して、そのうち犯人は捕まって、そのうち判決が出る」
蜘蛛男が丸投げし、涼子が丸投げした依頼を、白銀も警察へ丸投げした。すさまじく投げやりな態度に、涼子が苦言を呈する。
「いい加減ね。引き受けたからには、もうちょっと真摯になったら?」
「勝手に引き受けたのはお前だ。だいたい、真摯になったところで、俺にできることはない。遺体の身元の確認だの、周囲の聞き込みだの、警察でもない俺ができるわけないだろう。犯人が解って、そいつを捕まえるって段になったら、とっちめるのに協力するのも吝かじゃないが」
「ああ、そう。そういえば、あなたは荒事しかできない単細胞馬鹿だったわね」
期待した私が馬鹿だった、と涼子は投げやりに言う。
「おい白銀、こっちはお前が妖怪絡みだっていうから、捜査状況をぺらぺら喋っちまったんだぞ。今更それはないだろう。蜘蛛が死んだってなんだ」
「まあ、そういうわけだから。参考になったよ結城。また何かあったら連絡くれ。ごちそうさん」
「待て待て、勝手に帰るな。あとコーヒー代は置いていけっ!」
引き留めようとする結城をさらりと無視して席を立つ。
俺は薄給なんだぞ、という悲痛な叫びを背中で聞きながらも、白銀は振り返ることなく立ち去った。