11 性格の悪い戦い方
怒り狂った女子が二人。
流れる鼻血を手の甲で拭って、八千代は血混じりの唾を吐いた。
「人間の分際で、あたしに楯突こうってのか?」
肩にかかる髪を払い、涼子は鼻で笑う。
「今時、妖怪だ人間だとこだわるなんて、時代錯誤もいいところね」
「どうあがいたってあんたじゃあたしに勝てるわけないって言ってんだよ」
「あーら、格下だと思ってた相手に不意を突かれたのがそんなに悔しいの? 悔しいなら素直に悔しいって喚いてみなさいよ、負け犬ちゃん」
「あたしは負けてねえし、犬でもねえっ! 誇り高き狐の妖怪だっ」
「ほんとに女狐かよ」
思いがけず自分の言った罵倒が的を射ていると知り、肩を竦める。あからさますぎる涼子の挑発に、八千代は顔を真っ赤にする。相手の神経を逆撫ですることにかけては右に出る者はいないと、白銀をして言わしめる、涼子の口の悪さは天下一品。効果は抜群だったようだ。
「あったまきた! ミンチにしてやる!」
ミンチ、というわりに、刃物の類は持っていなかった。先刻涼子に先制したときも、武器ではなく脚が出ていた。近接格闘を得意としているのかもしれない。妖怪というのは、人間よりも優れた身体能力を持っている者がそれなりに多い。武器や特殊な能力に頼らない、ただの取っ組み合いでも、妖怪の方が断然有利なのだ。小細工なしに殴り合う、それが妖怪にとってもっともシンプルで有利な戦いだ。実際、白銀なども、血を操る能力を持っていながら滅多に使わない。もっとも、これは殴り合いが得意だからというよりは、単に貧血だからなのだが。
力比べになれば不利なのは、涼子も当然知っている。だからこそ、その差を武器で埋めるのだ。
「いくぞ、小娘!」
力強く踏み出した八千代が素早く肉薄してくる。初見なら戸惑うレベルの俊足。さすがは妖怪といったところだ。
しかし、白銀ほどではない。
八千代が繰り出した拳を、涼子は身を屈めて避ける。そして、跳ね起きる勢いで八千代の顎を狙った。
「トロイわよ、ビッチ!」
攻撃を避けられた直後で、かわす暇はない。防御の暇さえ与えず、狙い過たずクリーンヒット、のはずだった。
涼子の拳が八千代に触れた瞬間、八千代の姿が蜃気楼のように揺らいだ。
「!?」
手応えゼロ。拳が空を切る。当たったはずなのに、当たっていない。八千代の姿がゆらゆらとぶれたと思ったら、一瞬にして掻き消え、涼子は瞠目する。
そして直後、背中に重い打撃。
体を捻って見れば、いつの間にか八千代に背後を取られている。
なぜ、と考える間もなく、涼子の体は前にのめる。倒れる寸前に片手をついて体を支え、そこを支点に体を回して脚を出す。踵が八千代の脇腹を捉えるが、またしても触れると同時に、八千代は掻き消えてしまう。
「ちっ……幻術かっ」
狐に化かされている――そういうことなのだろう、と涼子は推測する。
「ふふん、さすがに気づいたみたいねぇ」
優越感たっぷりの八千代の声が聞こえるが、姿は見えない。いないところにいるように見せ、いるところにいないように見せる、妖狐の幻術。妖怪の気配を正確に感じ取ることができるなら、脅威でもなんでもないのかもしれないが、そういうことが苦手な妖怪や、そういった才能が皆無の人間に対しては強力な武器だ。白刀ならば、あるいは八千代の姿が「視えて」いるのかもしれないが、あいにく白刀はスマキのままじたばたしていてそれどころではない。
相性は最悪だ。涼子は舌打ち交じりに立ち上がる。
「手も足も出ない? だったら、こういうのはどう?」
言うや、涼子をぐるりと取り囲むように八千代が一人、二人と増殖する。総勢八人の八千代が、薄ら笑いを浮かべて立ちはだかる。どう考えても、うち七人は確実に偽者。だが、それを見分ける術は涼子にはない。本物以外には影がない、みたいな解りやすい特徴も皆無。
こちらが解らないと思っておちょくっていやがる。涼子は苛立たしげに眉を寄せる。適当に攻撃するにしても、確率は八分の一。偽者にひっかかって隙を見せれば、本物が攻撃してくるというわけだ。
涼子は、白銀曰く「悪運は強いが運は悪い」ということだ。こういうくじ引きではたいてい当たらない。勢い任せで全部にマシンガンでもお見舞いしてやりたいところだが、それをやるには周りに人が多すぎる。流れ弾を気にして、涼子は銃が使えないでいるのだ。
ならば、どうするか。
「そっちがこないなら、こっちから行くよ!」
八人が一斉に涼子に向かって駆け出す。包囲の輪が縮まり、退路は完全に断たれる。
それを慎重に見極め。
「ここ!」
涼子のスカートがひらめく。取り出したのは、鞭だ。本来は拷問や調教のための道具であり、実際、白銀を苛めたおすという目的で入手していたものだが、こんなこともあろうかと、戦闘用の武器になるように改造済みである。
八人全員が間合いに入った瞬間に、涼子は鞭を振るう。撓る鞭がほぼ同時に八人を嬲る。どれが本物だろうが偽者だろうが、隙を与えずまとめて攻撃すれば関係ない。
しかし、確かに鞭がヒットしたはずの八人は、どれもこれも手応えがなく、蜃気楼のように掻き消える。全員、幻だ。
「その程度の浅知恵は、お見通しだッ!」
嘲笑交じりの声が上方から降ってくる。視線を上げると、拳を引いた状態で、八千代は涼子へと落ちてくるところだ。
「……!」
涼子は瞠目する。
涼子が同時攻撃を仕掛けてくるのを予想して、八千代はその攻撃の直後、隙のできた涼子を狙うつもりだったのだ。涼子がそれに気づいた時には、もう手遅れになっているように。
無防備な涼子の顔面にめがけて、先刻のお返しだと言わんばかりに、強烈な拳を繰り出す。
瞬間、しゅるりと、八千代の首に鞭が巻きついた。
「!? ぐぇ……」
「その程度の浅知恵は、お見通しなの」
今度こそ幻ではない。しっかりと手応えを感じ、涼子は手首のスナップで鞭を操り、捕えた八千代を地面に引きずり倒した。
「がっ……!」
背中を強かに打ち付け呻く八千代の上に、もう逃すまいと涼子が馬乗りになる。
「あ、あんた、あたしのことが見えて……?」
八千代は八体の幻を見せ、自身は姿を消して涼子の上を取っていた。そして、涼子が完全に無防備になる瞬間を狙って姿を現し攻撃に転じたはずだった。それに、すべて見えていたかのように、涼子は対処した。
「見えてないわよ。でも、見え透いてるのよ、あなたみたいな性格の悪い奴の考えることは」
自分も同じように性格が悪いから、とは言わない。
八千代が攻撃を読んでくることは、読めていた。ゆえに鞭による攻撃は最初から、八人の幻への攻撃と見せかけた、上方から迫ってくるであろう本物への攻撃だった。そしてその策略は成功した。読み勝った。
力で妖怪に劣るなら、その差を埋めるのは武器だ。相手の裏をかく知恵もまた武器である。
「いくら姿を消したって、押さえつけちゃえば関係ないよね」
涼子は右の拳を後ろに引く。狙うは顔面。相手が女だろうが容赦なし。散々馬鹿にされたからには顔面血まみれにしないと気が済まないとまで思っていた。
決着はほぼ着いている。しかし、八千代は、最初こそ焦っていたが、やがてにやりと笑った。
勝負が決まった、そう思った瞬間が一番危険なのだと言いたげに、八千代は涼子を嘲笑う。
「馬鹿が……あたしに近づいたのが運のつきさ!」
「!」
瞬間、八千代と涼子の間に、火の玉が現れた。燃え盛る炎が突如現れた。ほぼゼロ距離、逃げる暇はない。
追い詰めたと思わせて、勝ち誇らせて油断させて、その足を掬う――八千代はここにきて、幻術に並ぶもう一つのスキル、隠し玉を放ったのだ。
姿を隠す攻撃をしておいて、なんとか捕まえなければ、と相手に思わせる。そして、距離を詰められたところでゼロ距離の火炎攻撃。嫌らしいほどに抜け目のない作戦だ。
しかし、
「――だから、その程度の浅知恵はお見通しなんだってば」
と、涼子は嫌味なほど涼しい顔をして、左手に持っていた虫よけスプレーを噴射した。
火気厳禁の注意書きが読めないのか、と叱りたくなる、絵に描いたような危険行為。だが、あらゆる武器を使いこなす涼子にとっては虫よけスプレーすらも武器であり、その使い方でしくじることはない。内部で引火して爆発することなどはなく、ちょっとした火炎放射器のような具合で、八千代に炎を放った。
「……ッ!」
巻き添えを食わないようにさっさと退避して、涼子はスカートの砂を払う。八千代は髪や服に燃え移った火を消そうとグラウンドでごろごろとのた打ち回る。多少の火傷は避けられないだろうが、頑丈にできている妖怪であることだし、死にはしないだろう、と涼子は適当に考える。
「狐の妖怪が狐火を使うことくらい想定内。自分の正体ぺらぺら明かしてるからいけないのよ、お馬鹿さん」
「このっ……クソ人間っ……!」
「そうね、私は人間よ。でもさ、結局のところ、あなたは私を人間と侮った……それがあなたの敗因なのよ」
「……っ、い、わせて、おけば……!」
火の勢いが弱まってきたところで、八千代は顔を手で覆いながら呪詛を吐く。八千代はもう戦えないだろう。だが、大人しく降参するような殊勝な性格はしていないだろうことが、今までの会話から窺える。無駄にちょろちょろされても鬱陶しいだけだ。
そういう危険因子を、放っておくほど、涼子は甘くない。
冷静に、冷酷に、涼子は八千代の顔面に拳を叩き落した。
完全に沈黙したのを確認して、涼子はちらりと白刀を振り返る。白刀は未だに、一反木綿と格闘していたが、八千代が敗北したと見るや、白い布はしゅるしゅると白刀から離れて、小見は人の姿を取った。
「こ、降参します……」
相手の力を封じることに長けているという小見だが、八千代が負け、涼子がフリーになった状態では分が悪いと見たらしい。その判断は、おそらく正しい。
が、
「降参? ああ、うん」
涼子はにっこり笑って、告げる。
「そっちから仕掛けてきたくせに勝手なことほざいてんじゃねえ」
降伏を受け入れるという選択肢は、ない。戦意喪失していた小見には改造スタンガンを数発ぶち込んで、そうそうに黙らせた。




