10 頼ってばかりじゃいられない
「『異次元黒穴』」
上方から蕾の声がした。見上げると、地上五メートルほどのところに蕾が浮遊していた。いつの間に戻ってきたのだ、と驚いていると、蕾がずんずん遠ざかり始めた。蕾が動いているのではない、小夜が下に沈んでいるのだ。
「な、なにこれっ!」
地上、足元には、直径三十メートルほどの巨大な黒い穴が開いていた。小夜だけでなく、一緒にいた涼子と白刀も穴に呑みこまれ始めている。底なし沼に嵌ったように、ずぶずぶと下に沈んでいっているのだ。
これはまずい――小夜は危機的状況にパニックになりかける。穴の奥は何も見えない完全な闇。呑みこまれたらどうなるか解ったものではない。なんとか抜け出さなければ、と思うのだが、底なし沼からはどうすれば抜け出せるのか、小夜には見当もつかなかった。
やがて小夜の膝までが沈み、慌てた拍子に下についてしまった左手からも沈み出す。
呑まれる――! 小夜は暗闇に囚われる恐怖に目を閉じた。
「小夜さん!」
その時、涼子の叫び声が響き、小夜ははっとして目を開けた。目の前に、涼子が手を伸ばしていた。小夜はかろうじて無事だった右手で涼子の手に縋った。顔を上げると、涼子はもう片方の手に、どこから取り出したのか、拳銃を持っていた。さらに、涼子の腰に腕を回して白刀がしがみついている。
「な、何を……」
「四次元スカート舐めんなよぉぉぉッ!」
謎の言葉を叫び、涼子は引き金を引いた。銃口から飛び出したのは、銃弾ではなく鏃のようなものだった。鏃は銃とワイヤーのようなものでつながっている。
鏃は穴の開いていない安全圏の地面に突き刺さって固定された。そして、涼子が再び引き金を引くと、伸びきったワイヤーが勢いよく巻かれていく。鏃は頑丈に固定されているようで、ワイヤーが巻き取られるに従って引っ張られたのは、鏃ではなく小夜たちの方だった。三人分の体重を軽く支えて、鏃の方へ引き寄せてく。
呑みこまれた体がずるずると引っ張り出され、やがて穴から完全に抜け出して、引っ張られる勢いで地面に放り出された。
「あたっ」
放り出された拍子に涼子の手を離してしまい、軽く吹っ飛んだ小夜は、顔面から地面にダイブした。鼻を打ちつけてしまい、涙目になりながら起き上がる。足はしっかり地面を踏みしめている。
「た、助かった……?」
頬をつねって夢でないことを確認。体が呑みこまれ始めた時にはもう駄目だと思ったし、実際自分では何もできなかった。まさか助かるとは思わなかった。こんな異常な状況にも関わらず冷静かつ的確に対処した涼子を尊敬の眼差しで見上げる。
「さすが特注品のアンカーガン。こんなこともあろうかと、大枚はたいて買っといてよかったわ」
「こんなこともって、どういう状況想定してたのさ」
感激している涼子と、ツッコミを入れる白刀。二人とも怪我はないようだ。
白銀と漁はどうしただろうか。小夜は、離れたところにいた二人を振り返る。
「あっ!」
穴が開く直前に、不意を突かれて二人は古河に突き飛ばされていた。そのおかげで古河は安全圏でにやにやと笑っている。白銀は腰のあたりまでもう沈んでいる。そして、漁は、突き飛ばされた拍子に尻餅をついてしまっていたらしく、もうほとんど闇の中だ。
「銀!」
涼子が叫ぶ。白銀はちらりと涼子に視線をやって、その無事を確認して安心したのか、かすかに微笑んだ気がした。自分の方が危機的状況だというのにだ。それから白銀はすぐ傍の漁を振り返り問う。
「漁、お前、泳げねえのかよ」
「こんなところで泳げるわけないだろうが馬鹿吸血鬼!」
こんなときまで二人は喧嘩をしている。そんなことをしている場合ではないのに、と小夜が焦っていると、白銀は不敵に微笑んで、
「だったら、さっさと陸に上がってろ、クソ人魚」
白銀の手が、漁の襟元を引っ掴んだ。
「! 貴様、何を」
「っらぁああああああッ!!」
それはまさに、強引な力技だった。底なし沼に沈んでいく漁の体を、咆哮と共に片手で引き揚げ、力いっぱいに放り投げたのだ。漁を引き込もうとする力を引き千切り、漁を引っ張り上げた。吸血鬼の膂力を以てして初めて可能な解決方法だ。
地面に放り出された漁は呆然としていたが、すぐに我に返って立ち上がる。
「き、吸血鬼! ……白銀! 手を!」
漁は白銀に手を伸ばした。白銀は少し驚きながらも、手を伸ばす。
しかし、それを許すまいと、穴の中から黒い手が伸びた。
「!」
幾本もの闇色の手が白銀に絡みつき、穴の中へ引きずり込む。精いっぱいに伸ばされた漁の手と白銀の手は、かすかに指先が触れ、しかし、掴み取るには至らない。
「し、白銀さんっ」
小夜が夢中になって駆け出そうとするのを、涼子が引き留めた。
直後、銀色の髪が闇の中に完全に消えてしまった。
「っ……!」
白銀を呑みこんでしまうや、巨大な穴は、その大きな口を閉じてしまう。
空中で浮遊していた蕾が、勝ち誇ったように笑いながら地上に降り立つ。
「私たちの勝ちだ、ネズミ共」
そう宣言する蕾。絶望への口がぽっかり開いて小夜たちを待ち構えているように思えた。
★★★
メンバーの中でおそらく最強であろう白銀が、神隠しに呑みこまれた。妖怪の中でも最強の部類に入るはずの吸血鬼でさえも、城里蕾の神隠しからは逃れられなかった。涼子たちも、一歩間違えれば危なかった。
残されたのは、白銀を除くメンバー。敵には、驚異的な力を持つ隠し神。
その絶望的ともいえる状況に、涼子は叫んだ。
「――あっっっの、馬鹿吸血鬼!!! 何勝手に一人だけ退場してんの後の処理丸投げかよッ!!!」
「……は?」
小夜と蕾あたりが揃って呆然としているが、涼子は気にしない。隣に控えている白刀は大いに同意して何度も頷いてくれている。
蕾は涼子の予想外のリアクションに不満なのか眉を寄せる。
「よくもまあそんな呑気なことが言えるな。お前たちは今追い詰められている、それが解らないのか?」
「追い詰められている? 私にそんなハッタリは百万年早いわよ。今の大技であらかた力を使い果たしているんでしょ、超息切れしてるわよ」
「い、息切れなど、してないわ!」
してる。ものすごくしてる。汗びっしょりである。
「一人欠けたとはいえ、こっちは万全のメンバーが四人。そっちは消耗しまくって役立たずの妖怪二人。勝負は見えてると思うけど?」
「確かに……私が逃げたと思わせて、古河にわざと苦戦させて油断したところを一気にまとめて異空間に放り込む、最初の計画は失敗した。それは認めよう。だが、次善の策を用意していないと思ったか?」
蕾はあくまで不敵に笑う。
そして、次の瞬間、
「そのとーりだ!」
新たな声が響き、涼子は眉を寄せる。
どこからともなく、ぞろぞろと、蕾の周りには新たに二人の男女が集結していた。
一人は、深いスリットの入った真紅のチャイナドレスを纏った少女。
もう一人は、白衣姿の青年だ。
「なに? 隠し神と愉快な仲間たち全員集合ってわけ?」
まったく愉快ではなさそうに涼子が言う。
「あたしたちは、妖怪狩りのエキスパート、『攫い屋』。そしてあたしは、団員ナンバー二、福原八千代だ!」
活発そうな、を通り越して鬱陶しい感じの少女が名乗り、次いで、
「団員ナンバー三、小見木綿」
白衣の青年が抑揚なく名乗った。そして頼まれてもいないのに古河が改めて、
「団員ナンバー四、古河千里!」
と叫んで、「一の子分じゃなかったのかよ」と白刀にツッコまれていた。完全に墓穴を掘った具合である。
「そして、私が団員ナンバー一、団長城里蕾。まとめて潰す計画はご破算だが、一番の脅威だった吸血鬼は排除した。残りも今すぐ片づけてやる。――やれ」
蕾が命じると、真っ先に動いたのは古河だった。先刻二人がかりでボコられたわりには俊敏な動きで、迷わず狙ったのは、
「まずは一番弱っちそうな奴――!」
小夜だった。小夜は小さく悲鳴を上げて、その場に凍りついていた。
そこへ、小夜を庇うように割って入ったのは、漁だった。小夜が狙われるのに気づき、素早くガードに戻ってきていたのだ。
突っ込んできた古河を正面からサッカーボールの如く蹴っ飛ばし、漁は小夜を守る。
「筋金入りの下種のようだな、クソ妖怪ッ」
先刻まんまと嵌められた悔しさもあってか、漁は尋常でなく憤っていた。
「私たちも行くよ、おいで、白刀」
涼子は白刀を振り返り手を伸ばす。
「了解!」
白刀が刀の姿になろうとした、その時。
しゅん、と素早い動きで、涼子の視界を白い物体が通り過ぎていった。
「!?」
それは白刀に襲いかかる。
目を凝らしてみれば、それは白い大きな布だ。布が白刀にぐるぐると巻きついている。
「白刀!?」
「わっ、わわっ!」
両手もまとめて絡め取られ、上から下までぎっちりとスマキ状態にされ、バランスを崩して転倒する。何とか抜け出そうと芋虫みたいにもがいているが、抜けられそうにないようだった。
「苦しっ……なにこれ、外れないしっ、刀になれないっ!」
じたばたと暴れるが、巻きついた布は剥がれない。涼子が助太刀に入ろうとすると、それを阻むように、後ろから声。
「早速一人オワリっ!」
脇腹に強烈な衝撃。ノーガードのところへ放たれた蹴撃に、涼子の華奢な体が吹き飛ぶ。
「涼子!」
ざざっ、とグラウンドを滑り、砂塗れになって涼子は倒れる。心配そうに叫ぶ白刀を、八千代が踏みつけた。
「二人目も終了ー」
にやにやと嫌らしく笑う八千代を、白刀はぎろりと睨みあげる。しかし、文字通り手も足も出ない白刀に、八千代が怯むはずもない。
「動けないでしょ? あんた、見た感じ妖力が強そうだったから、真っ先に封じさせてもらったわよ。小見は一反木綿……小見に巻きつかれたら、どんなに強くったって力を封じられて、脱出は不可能! しかも、捕えた相手から力を奪う。そしたら、どんどん締め付ける力が強く……は、ならないけど」
「ならないのかよっ!」
ピンチでもツッコむべきところはツッコむ白刀である。
「とにかくっ、あんたはもう役立たずってこと! ふふん、あの女も、もう終わったわね。妖怪の助けがなきゃ何もできない役立たずの小娘ちゃん」
白刀は悔しげに歯噛みする。しかし、そんな表情も、八千代をいっそういい気にさせるだけだった。
「さぁて、じゃ、何にもできない能無し妖怪を、甚振って遊んでやろうかしら」
舌なめずりをしながら、八千代はばきばきと指を鳴らす。
下卑た笑いを浮かべ、八千代は白刀に手を伸ばす。
その直後、八千代の顔面に拳大の岩石がぶち込まれた。
「ぶっ!」
ごつっ、と激しく痛そうな音を立てての直撃。八千代はよろめき後退り、顔をおさえた。傷ついた顔をさする指の隙間から血が流れた。おそらく鼻血だろう。
キッ、と八千代が睨みつける先に、ゆらりと揺らめく黒い影。
「誰が、何の何がないと何ができない何立たずの何だって?」
ごごごっ、とBGMでも流れそうなくらいに壮絶に恐ろしい顔をして立っているのは、涼子。人間でありながら、妖怪にすら恐れられる、吸血鬼殺しの四次元スカート妖怪、もとい――武装少女。
スカートの中に隠し持っていたナックルダスターを両手に嵌め、終わりどころかこれから始めてやろうというファイティングポーズ。
「もっぺん言ってみろ、このクソビッチがッ!!」
女同士の取っ組み合い、開始。




