5 不穏な空気が漂って
特別棟屋上の貯水槽の陰に腰を下ろして、涼子はちゅごごごっ、とストローでパック牛乳を啜る。その能天気な音に、ケータイの向こうから苦情が飛んできた。
『そんな暇してていいのか』
家で留守番中の白銀である。
「暇じゃないわよ、ちょっと休憩。教師に見つからないように教室チェックして回るの、結構大変だったんだからね?」
『教室を全部見て回ったのか?』
驚いているというより、呆れているような声で白銀が問う。
「白刀にも手伝ってもらいながらね。さすがに授業中の一般教室は無理だから、特別棟の教室を回ったわ。一応、本当に校内に志麻宗平がいないのかどうか、自分の目で確認。やっぱり、特に隠れられるような場所はないわね」
『隠れんぼしてるとでも思ったのか』
「というより、一時的に隠されてる……監禁の類の可能性を潰したかったの。当然だけど、学校にそんな場所はないわね。天井が外れないかどうかまで全部確認したわ」
『それは……お疲れさん』
「あなた、今、『行かなくてよかった』って思ったでしょ」
『……』
「まったく、朝まで『連れてけ』ってうるさかったくせに」
白銀は最後まで、涼子と白刀が二人で行って自分だけ留守番という配置に納得がいかなくてごねた。少し前までは、白刀が元は敵だったという理由でその組み合わせを嫌がっていたのだが、今はそういうことはあまり気にしなくなった。ずっと一緒にいて、ようやく信頼できると判断したのだろう。ゆえに、今度は自分より白刀が頼りにされているのが気に入らなくて、要は拗ねているのだ。云百年も生きている割に、思考回路が子どもである。
『妖怪の気配は?』
「白刀」
涼子は白刀に電話を替わる。白刀は若干うんざりしたような調子で白銀に報告する。
「あのねえ、ここ千人以上の人がいるんだよ? そんだけいたら、当然妖怪だってそれなりにいるわけで、妖怪の気配もものすごく漂ってるんだよ。怪しい気配とか言われたって解んないし、気配だけじゃ正体は解らないしっ」
『結局、犯人の手掛かりはないのか』
「気配すらロクに辿れない鈍感が文句言わない!」
以上、と白刀はケータイを涼子に突っ返した。
白銀の憮然とした声が流れてくる。
『白刀の奴、日に日に口が悪くなってくな。主に似るのかね』
「あら、主は関係ないわよ。前の主とは全然似てなかったじゃない。単に、あなたに尊敬すべき点がないから自然の流れでこうなってるだけね。実際、あなた以外に対しては誠実な態度だもの」
『俺に人徳がないと言いたいのか』
「まあ、人じゃないし、あるわけないわね」
『まったくだ』
深い溜息が流れてきて、涼子は苦笑した。
「とりあえず、昼になったら志麻宗平の部活の友人に話を聞く。白刀には引き続き、消えたという噂の三年女子生徒について探ってもらう」
白刀が小さく頷いて了承する。
「銀、あなたは待機。私の指示は覚えているわね?」
『ああ』
「じゃ、また連絡する」
電話を切って立ち上がり、スカートの汚れを払う。ふと見上げた空は能天気な青い色。その割に、なんとなく嫌な予感がするのはなぜだろう。
生ぬるい風が髪を揺らす。
「……やな予感」
ぽつりと呟いて、涼子は歩き出した。
★★★
予告した通り、涼子は昼休みになったら教室にやってきた。クラスメイトにして宗平と同じサッカー部所属の間宮隆には、前もって事情を小夜が説明しておいたので、涼子はスムーズに聞き取りに入る。
「同じ部なんだってね」
涼子が問いかけると、ベランダで欄干に凭れて、目の前の国道を見下ろしながら、間宮は答える。
「ああ、サッカー部のことな。うん、一緒だよ」
「部内での様子はどうだった? 何かトラブルは?」
「トラブルねぇ……先輩のシゴキはきっついけど、そんなのどこの部活も同じようなもんで、特段変わったことじゃないよなぁ。そうすると……やっぱりトラブルなんかなかったな。あいつ、ムードメイカーっていうか、割と誰とでも仲良くなるタイプだろ?」
同意を求められた小夜は小さく頷いた。
「だから、敵作るようなことしないし、結構先輩からは可愛がられてた感じだな、うん。勿論、一年同士でも仲いいし」
「じゃあ、クラスではどう?」
「クラスでも、似たような感じだよ。男子で集まって馬鹿話してって感じで、喧嘩なんかしないし。……なあ、宗平がいなくなったのって、誰か宗平に恨みを持つ奴が悪意を持ってやったとか、そういうふうに考えてるのか?」
「まだなんとも。それが解らないから、こうやって情報をね」
「ふうん。俺から言わせれば、あいつを恨む奴がいるとは思えないんだよな。だから、そういうんじゃないと思う」
「じゃあ、やっぱり家出だと思ってる?」
「そういうわけじゃないけど。だって、家出するような悩みを抱えていたわけでもなさそうだし。だから、いったいどういうことなのか見当がつかないっていうか」
どうやら間宮は、宗平がいなくなった理由についてまったく心当たりがないらしい。男子の中では一番仲良くしているのが間宮だからと、小夜は少し期待していたのだが、残念ながら当てが外れたようだ。
「じゃあ、一昨日、志麻君が消えた日。何か特別なことはなかった? 変わったこと……見知らぬ人から声をかけられた的な」
「いやあ、そういうことは、なかったと思うなぁ」
間宮は困ったように頭を掻く。
そういえば、と小夜は思い出す。
「一昨日の昼休み、二人でサッカー部の先輩に呼び出されてたの、あれ、なんだったの?」
「え? あー、あれか。いや、別にたいしたことじゃなかったよ、夏休みの練習について話をしただけ」
「そっか」
手掛かりになるかと思ったが、これも外れだった。小夜はがっくりと肩を落とす。
「……ありがとう、また話を聞かせてもらうかもしれないから、その時はよろしく」
「うん。宗平のこと、よろしく頼むよ」
涼子は落胆を顔に出すことなく、間宮を送り出した。
教室に戻って他の男子たちと話し始める間宮を眺めながら、小夜は涼子に問う。
「涼子さん、どういうことだと思う? トラブルも特にない、悩んでたわけでもない、恨まれていたわけでもない……どうして宗君は消えてしまったんだろう……」
「なんかひっかかる」
「え?」
涼子は間宮の背中をじっと見据えていた。
「彼の言動、なにか違和感が……具体的には解らないけど……」
「変なこと、言ってた? ぶっちゃけ、間宮君が言ってた話って『何も知らない』の一言でまとめられると思うんだけど……」
「確かにそうなんだけど……うーん、駄目だ、もうちょっとで出そうなんだけど、出ない。便秘中にヨーグルトガンガン食って頑張ってる時の気分」
微妙に品のないたとえ方である。
涼子はもどかしそうに頭をこつこつ指でつついていたが、やがて考えがまとまらないと見るや、溜息交じりに背伸びをした。
「駄目ね。この件は保留。白刀と合流するわ」
白刀は消えた三年女子の情報を探りに、三年の教室に潜り込んでいるという。昼休み終了まであと十五分というところで、涼子は早足で教室を出ていく。小夜はそれについて、合流地点へ急いだ。
待ち合わせ場所は屋上へ向かう階段の踊り場だ。屋上は一般棟も特別棟もともに立ち入り禁止なので、そこへ向かう階段に人が来ることもめったにない。めったに、というのは、時々ここでおしゃべりをする生徒がいるのと、使わないとはいっても清掃だけはするしかないので毎日放課後になるとやってくる掃除当番がいるという二つの要因がある。ちなみに、授業中涼子たちは特別棟の屋上に隠れていたらしいが、鍵がかかっていて入れないはずの屋上にどうやって侵入したかについては、小夜はあえて聞かなかった。
白刀はすでに踊り場に待っていた。
「白刀、どうだった?」
涼子が尋ねると、白刀はメモ帳をぺらぺらとめくる。
「情報、集まってきたよ。三年の女子生徒がいなくなったっていうのは、やっぱり本当だったみたい」
「その人も、宗君みたいな不可解な消え方を?」
「えっと、待ってね……名前は国木田薺。三年三組所属、文系、国公立進学コース。いなくなったのは今月の初め、七月一日の火曜日」
「志麻君が消えた、ちょうど一週間前ね」
「所属は美術部だけど、もう引退済み。その日は、図書室で勉強をしていたらしい。で、六時ごろに帰ろうとしたところ、廊下でクラスメイトとばったり会った。その友達は、進路指導室で先生と面談をしていたんだ。で、二人で一緒に帰ろうという話になって昇降口に向かうんだけど、帰る前に友達の方がお手洗いに行った。昇降口で待っててくれているはずの国木田薺は、友達がお手洗いを出て戻ってきたときにはいなくなっていたんだ」
「靴は?」
「残ってたって。最初は先に帰ったのかと思ったらしいけど、下駄箱を確認したら靴が残っていた。ケータイは電源が入ってない。忘れ物をしたのかと図書室を覗いてみたけれど、やっぱりいない。その友達はすぐに職員室に行って担任に相談したらしいけど、あまり真摯な対応はしてもらえなかったみたいだね。結局、国木田薺の不可解な失踪も、学校側は家出として処理。受験生で、受験勉強に悩んでいたっていう事情のせいで、家出説があっという間に広まっちゃったみたいだね」
「この学校、思ったよりクソっぽいわね」
涼子が嫌悪感をむき出しにする。
「実は学校側が黒幕でした、って話でも驚かないわよ」
「ええっ! まさか、そんな……」
小夜には到底信じられないのだが、涼子は冗談を言っているわけではなさそうだ。
「まあ、証拠があるわけじゃないんだけどね。なんにしても、学校がものすごく信頼できないことはよく解ったわ。志麻君の件も、似たような事件が一週間前にあったにもかかわらず、不審に思うどころか臭いものに蓋したってわけでしょ。あーやだやだ、高校がそんなとこだとは思わなかった」
学校はどちらの失踪も家出と決めつけてしまった。しかし、同じような状況で不可解に消えた生徒が二人もいる――これが無関係なはずがない。消えた二人には何か、共通点があるはずなのだ。
しかし、いったい何が――?




