9 鬼と刀と狩人と
男は刀を振るい、刀身についた血を払い落す。灰色の床には鮮血が散った。それから男は不機嫌そうに舌打ちをする。
「いけたと思ったんだがなぁ」
白銀は荒く息をつき、よろめきながら後退る。右手でおさえた肩口からは血が流れる。
容赦なく首を狙ってきた一閃は、ぎりぎりでかわしきれず、左肩を浅く斬った。それでもまあ、首が落ちなかっただけマシと喜ぶべきなのかもしれないが。
「帯刀した黒髪つんつん頭の男……お前が切り裂き魔か」
「あ? 変な名前で呼ばないでくれよ」
男は余裕のある笑みを浮かべる。
「俺はジャック。正義の妖怪ハンターだ」
「正義のハンター? 要するにただの殺し屋じゃねえか。気取ってんじゃねえ」
呼吸を整え、手を離すと、切り裂かれた服の下に傷はもうない。日常的に涼子に撃たれ斬られとしているのだ、この程度の怪我は日常茶飯事。再生までに三十秒とかからない。本来ならば、この再生能力だけで十分恐るべきものなのだが、白銀の回復を見ても、ジャックは慄くどころか、むしろ不敵に微笑んだ。
「やっぱり、情報通りだな」
「何?」
「お前のその再生能力は確かに妖怪の中では脅威だ。が、吸血鬼の中ではたいしたことのないレベルだ、そうだろう?」
「っ……」
「本当に恐ろしい吸血鬼は、その程度の傷は五秒で治る。お前はずいぶん傷の治りが遅いな」
白銀の瞳が動揺に揺れる。
吸血鬼でありながら、その吸血鬼性とも呼べる自己再生能力が低下している。それも当然といえば当然だ。吸血鬼性の源は当然、血だ。体が血で満ち足りていなければ力は弱まる。だというのに、涼子からは日常的に血を奪われる上にしょっちゅう「おあずけ」を食らってまともな吸血もさせてもらえず、慢性的に貧血なのだ。回復速度が落ちるのもむべなるかな。その弱点を、ジャックは一回で見抜いてきた。自称妖怪ハンターは伊達ではないようだ。
だが、
「だからなんだってんだ。吸血鬼が、再生だけが取り柄の妖だと思ったら大間違いだ」
白銀は強気に笑う。
赤い瞳が、妖しく光る。普段は引っ込めている牙が鋭く伸び、ピリピリとあたりを震わせる妖気を放つ。人間に合わせてスペックを落としていた吸血鬼らしさを、表に出し始めたのだ。多少貧血で再生能力が落ちていても、その気になれば、身体能力はそこらの雑魚妖怪には及ぶべくもない。更に、白銀の力はそれだけではない。
徐に右手人差し指を噛む。尖った牙に穿たれたところから血が流れる。その血が、意思を持っているかのように動きだし、収束する。
「それが吸血鬼の固有能力、『鮮血支配』か……!」
「やめろその中二っぽい呼び方」
冷静にツッコミを入れながら、白銀は血を操り武器と為す。刀を持った相手と丸腰で戦う気にはなれない。白銀は即席で血のダガーを作り出した。慢性的貧血の白銀には、刃渡り二十センチ程度の短刀を作るのが限度だった。リーチの差は明らかだ。だが、その分切れ味はそこそこのはずである。
「お前の血の刃と俺の刀、どっちが斬れるか、試してみるか?」
ぎらぎらと好戦的な目を向けて、ジャックが駆け出す。
「叩っ斬れ!」
力任せに大振りされる刀を、白銀は短刀で受け止める。
――重い。
予想したよりも、その一撃は重い。細身の刀身からは考えられないような一閃に、それを受け止める右手が小さく軋む。
ぴきっ、と血の刃が欠け、白銀は唖然とする。ただでさえ少ない血を絞ってようやく用意した武器を、そんなにあっさり壊すな。押し切られる前にと、白銀はジャックの鳩尾を蹴り飛ばした。
「ぐっ……!」
鍔迫り合いの合間に繰り出された無粋な蹴撃は、ジャックの隙をついた。ジャックは呻きながら後退る。それに追い打ちをかけるように、白銀はジャックの顎を狙って蹴り上げる。
しかし、急所を狙った攻撃には素早く反応し、ジャックは顎を腕でガードする。がっしりとした体は軽く浮き上がるが、派手に吹き飛ぶことはなく、ジャックは踏みとどまる。
「折角斬り合いを楽しもうって言ってんのに、脚を出すとは卑怯だなぁ」
「誰もそんなアホみたいな勝負に乗るなんて言ってねえよ」
「それもそうだ、な!」
叫ぶと同時に、ジャックはあろうことか、太刀を投げた。
「!?」
まるで投擲のように、地面に水平に刀が飛ぶ。明らかに投擲用の武器ではないのだが、そんなことはお構いなしだ。ジャックが走って接近するよりも、刀が飛来する速度は明らかに早い。想定外の攻撃であることに加えて、予想しなかった速さに、白銀は慌ててそれを避けるが、避けきれずに切っ先が頬を掠めていった。
浅く裂けた傷口から流れた血を拭い取りながら、白銀は考える。ジャックがそんなにあっさりと武器を投げ捨てた理由を。投げた刀を、拾いにいく余裕があるわけがない。ならば、どういうことだ。
白銀は危険を承知でジャックから目を逸らす。目で追う先は、刀が飛び去った後方。
そこに刀は落ちていない。代わりに跳んでいたのは、銃口を白銀に向けた青年・白刀。
なんでお前が――そう問う前に、白刀の持つ拳銃が火を噴いた。
「ぃっ……!」
鉛の弾丸が右大腿を撃ち抜いた。
激痛に崩れそうになるのを、何とか踏みとどまるが、それを嘲笑うかのように、大きな手が白銀の肩にかかり、力任せに床に押し倒した。挟撃の利を無駄にすることなく、白銀の意識が一瞬逸れている間に、ジャックは肉薄していた。
苦し紛れに短刀を振るう白銀の右手を掴み床に縫留め、もう片方の手は膝を使って抑え込む。
「来い、白刀」
眼前でジャックが白い歯を見せて笑った。空いているジャックの右手に、瞬時に刀が戻ってきた。ブーメランじゃあるまいし、自動で手元に戻ってくる刀なんてありかよ。ジャックの憎たらしい顔を間近に見ながら、白銀は舌打ちする。
「終わりだ」
勝ち誇り、ジャックは逆手に持った刀を突き立てようする。
そのすんでのところで、白銀は唇を噛み切った。
ぶち、と破れた唇から、赤い血の珠が溢れる。そして珠は弾丸の如くにジャックめがけて放たれた。
「!?」
ジャックは慌てて白銀から飛び退くが、血の弾丸はジャックの頬を掠めた。
起き上がり、滲んだ血を舌で舐め掬う。再び間合いを取ったジャックが、手の甲で乱暴に頬の血を拭った。白銀の頬の傷はすでに消えている。
「思いのほか、厄介な能力だな、そいつは」
「厄介はどっちだ。ニ対一だったとはな」
「いいや、一対一で間違いないさ。白刀は刀、ただの道具だからな」
白刀――ちらりと見ただけだったが、白銀は、白刀の姿を覚えていた。一昨日、涼子と一緒にいた青年だ。まさか妖怪であり、その上敵だったとは思いもしなかった。
自在に人の姿を取ることのできる、刀の妖。
「……付喪神か」
「ご名答。ゆえに、そんじょそこらの刀とは切れ味が段違い。味わってみるかい?」
ジャックは徐に、刀を鞘に納める。
「!」
まずい、と白銀は直感する。咄嗟に懐に隠していた小さな缶のようなものに手を伸ばす。同時に、ジャックは刀を抜き放つ。
「『白刃流し』」
直後、嵐でも吹き荒れているかのような激しい音が通り過ぎる。
一瞬のことだった。目にも止まらない速度で繰り出された抜刀術。剥きだしだったコンクリートの床、近くにあった荷物まで、ずたずたに切り裂かれた痕が残る。
圏内にあるものを見境なく斬りつける攻撃に、白銀は逃げる暇もなかった。
腕にも、脚にも、体中に裂傷を負い、血を流す。全身に駆ける鋭い痛みが思考を鈍らせ、脚の動きを止めてしまう。
「今度こそ、終わりみたいだなぁ」
せせら笑うジャックを、白銀は睨みつける。だが、言い返す気力はなかった。
ジャックはとどめを刺すべく、悠然と一歩を踏み出した。
かんっ、とその爪先が、何かを蹴った。
「……?」
訝しげにジャックが足元を見遣った瞬間、そこに転がっていたものが、炸裂した。
「!!」
痛いほどの爆音と閃光が、あたりを染め上げた。
★★★
「……参ったね、まったく」
たいして参ってもいなそうな調子で一人ごち、ジャックはがりがりと頭を掻く。傷だらけの床には血が散っているが、そこに白銀の姿はない。閃光にジャックが怯んでいるうちに、姿を隠したのだ。
「スタングレネードか。抜け目がねえな」
抜刀術の危険性をいち早く察知し、かわすのが無理と見るや、攻撃のあと、ジャックが油断している隙をついて身を隠せるように、手を打っていたらしい。なかなかどうして、侮れない。
『逃げたってこと?』
頭の中に、白刀の声が響く。刀を握り直し、ジャックは首を横に振る。
「こんな危険人物を放って自分だけのこのこ逃げ出せるほど、鬼畜じゃないだろ、あいつ。甘っちょろい吸血鬼だ。その辺に隠れて、こっちの隙を窺ってるんだよ」
幸か不幸か、廃倉庫には荷物がまだ残っていて、物陰が多い。傷の再生を待ちながら様子を窺い、隙を見せた瞬間背後から奇襲――そんなところだろう、とジャックは推測する。
本来ならば、意識を集中させれば、手負いの敵の乱れた気配くらい、すぐに探知できるだろう。しかし、閃光弾を至近距離で食らったせいで、ジャックの視覚と聴覚は、あまり絶好調とはいいがたい。回復するのを悠長に待っていれば、せっかく追い詰めた白銀も回復する。ならば、多少の不調は無視してでも押し切るべきだ。となると、白銀を見つけ出すのは困難なように思える。
しかし、ジャックはまだ余裕の笑みを崩さない。
「だが、甘いな。こっちには、お前の居場所なんかすぐに解っちまうんだよなぁ」
浮かべる笑みは決して虚勢ではなく、まだ秘策を隠し持っていることが窺えた。




