8 鬼の首を取ったよう
ケータイがぶるぶると震える。そういえば、ポケットに入れておいたのだったと思い出して手に取った。今のバイブレータはメールの着信を知らせるものだったようだ。
『切り裂き魔はまだ捕まっていないらしい。できるだけ早く帰ってこい』
心配しているのがひしひしと伝わってくるメール。大事にされているのだな、白刀は羨ましく思う。
「今のメールは?」
ジャックの問いに、白刀はピンクのケータイを投げ渡し、短く答える。
「白銀だよ。涼子を心配してるんだ」
「ふん、人の心配をしている暇があるかね」
ジャックは馬鹿にしたように笑い、ケータイをポケットに仕舞いこむ。
「それで、一之瀬涼子のほうは問題ないな」
「隙を見て紅茶に薬を入れて眠らせて、監禁した。ケータイも指示通り回収してきた」
「一台だけか? 噂じゃ無駄に大量に隠し持ってるって話だが」
「さあね。僕はスカートの中まで探すほどヘンタイじゃないし。まあ、他に隠し持っていたとしても、あの場所は圏外だし、外部との連絡は不可能だ。白銀には適当にメールをしてあるから、涼子が閉じ込められているなんて、気づきもしないだろうね」
「よし、それでいい。これであいつは、まだ自分に近づいてる危機に気づいてないってわけだ」
ジャックは懐から、依頼人から預かった写真を取り出す。そこに写っているのは、銀の髪と赤い瞳を持つ吸血鬼、白銀。
「吸血鬼だろうがなんだろうが、お前なら余裕で切り刻める。細切れにしてやれば、さしもの吸血鬼も、そう簡単には復活できないだろうさ。相手は化け物だ、遠慮せずにやれよ、白刀」
「解ってるよ」
白刀の返事は投げやりだ。だが、ジャックは特に気を悪くはしない。彼の投げやりはいつものことだ。刀――ただの道具のくせに、斬る相手を選びたがる、馬鹿な妖なのだ。馬鹿な道具の態度に、いちいち目くじらは立てない。
お前は黙って俺に使われてればいい――ジャックはにやりと笑い、白刀に向かって手を差し出す。
「白刀、『抜刀』」
ジャックが唱えると、人の形をしていた白刀が白い光へと変わり、ジャックの右手に吸い込まれる。そして、光が弾けると、手の中には一振りの刀が収まっている。それが白刀の真の姿、妖としての姿だ。長く使われ続けた道具に力が宿り妖怪となった付喪神。その切れ味は折り紙つきである。
ジャックは随分と長いこと、妖怪相手のハンティングを行っている。以前は安物のナイフを使い捨てていたが、白刀と巡り合ってからは、その鋭い切れ味に取り憑かれた。
おそらくは最強の部類に入る武器。手放す気にはなれなかった。
契約で縛って使役して、白刀で斬り捨てた敵は数知れない。そして、これからもジャックは白刀に血を吸わせ続けるのだ。
「さあ、行くぞ。吸血鬼の首を落とす」
★★★
駅から二十分ほどあるいたところには、公立高校がある。その脇の細い道を抜けて学校の裏側に回ると、表側が面した国道の賑やかさとは打って変わって、車通りの少ない静かな町道に入る。灰色のマンションばかりが立ち並ぶ道とは一転して、古びた人家が疎らに建つ道。更に進んでいくと、さらさらと静かに流れる川が、国道と平行に流れている。橋を渡って川を越えると、視界に入る民家の数と緑の葉を生い茂らせる樹木の本数とが同じくらいになる。
角を曲がって川に沿って歩き、やがて道の右側に見えてきた石段を上がると、鳥居がある。それをくぐっていくと、鬱蒼と茂った木立の中、奥まったところに社が見えた。
ぼろぼろでさびれてしまって、賽銭をあげに来る者はほとんどいないという、綾縫神社。ここに、住み着いている奴がいるのだ。
畏れ多くも賽銭箱の上に胡坐をかいて欠伸をしている、罰当たりな奴が一人、そこにいた。
ポロシャツにショートパンツ、くせっ毛ショートヘアーの上には朱色のキャスケット。ボーイッシュな装いの若い少女が、白銀を目ざとく見つけて指さした。
「あ、白銀じゃーん。久しぶりだにゃ」
少女は通称・ネコ。猫と話ができるのが特技で、神社に集まってくる野良猫のネットワークを使って、彩華町の隅々までの情報を集めているという情報屋だ。
「聞いたよ、髪切りの奴を捕まえたんだってにゃ。ああいう女の敵は即刻排除に限るにゃ」
「そこまで知ってるなら、俺の用件も解るな?」
「髪切りの事件に重なってひっそり起きてた、もう一つの切り裂き魔事件のことかにゃ。けど、解らにゃいにゃー。だって、毛倡妓に頼まれた件については間違いにゃく解決してるじゃにゃい。これ以上、白銀が動く必要があるのかにゃ。白銀は慈善事業が嫌いにゃくせに」
「別に。ただ、この件に妖が関わってるとしたら、さっさと片をつけたい。一部の妖怪が問題を起こすたびに、他の妖たちが肩身の狭い思いをするんだ。そういうのは、あまり愉快じゃない。要は、俺が動くのは、めぐりめぐって俺のためってこと。自分が生きやすいように」
「というのは建前で?」
「……涼子が」
「ははぁん」
ネコはにやにやと笑う。
「可愛い可愛い涼子ちゃんが安心できるように、物騒にゃ奴はぶちのめしておきたいと、そういうことですかにゃ」
「どこが可愛いんだよ」
「照れにゃくったって」
「そんなことはどうでもいいから。切り裂き魔について、何か知らないか」
「さぁにゃー。にゃにせ、情報源がにゃんこだからね。にゃんこは難しいこと、解らにゃい」
野良猫たちは自由気ままに町を闊歩する。あらゆるところにもぐりこみ、隅から隅まで町を知り尽くしている。が、それは所詮「猫視点では」ということである。たとえば、パソコンをいじくってる奴の前に猫を放っておけば、猫は画面に映ってるものを見ることができるが、それによって情報収集できるかといえば、そんなことはない。猫には画面に映る複雑な文字列や図形の意味がまるで解らないのだ。ゆえに、この猫が報告できる内容といえばせいぜい「なんか映ってた」レベルにとどまるわけだ。
そんなわけで、情報屋ネコの評判は、「肝心なことは知らない情報通」となっている。
駄目もとでやってきたが、やっぱり駄目だったか。白銀は軽く落胆しながら踵を返す。と、ネコが呼び止めて、
「そういえば、切り裂き魔かどうかは知らにゃいけど、見慣れない奴にゃら、彩華町に来てるってはにゃしだよ」
「妖怪か?」
「妖怪じゃにゃいけど、かたにゃの妖怪を連れてるって」
「かたにゃ? ああ、刀か……待てよ、それって……」
結城の話では、被害者たちが目撃した怪しい男は、堂々と帯刀していたという。彩華町に突如現れた、刀を持った見慣れない男。そして、切り裂き魔の目撃証言。これを偶然と片付けるわけにはいかない。
「でかした、ネコ。さすがは『肝心なことは知らないがたまに神がかり的なヤマ勘で重要なヒントを言い当てる情報屋』だ」
「にゃがっ!」
「それで、そいつはどのあたりで目撃されたんだ?」
「ええっと、情報を持って来たのはミケだから、ミケが根城にしてるあたりだにゃ。ミケはだいたい、高校の少し先にある廃倉庫あたりをうろうろしてる猫だにゃ」
「廃倉庫……解った、助かった、ネコ」
「お礼はメロンでにゃ」
ネコの戯言を無視して、白銀は神社を後にする。高校近くの廃倉庫というと、ここから十分もしないところにある。駅にも、つまり事件現場からも遠くない場所だ。
白銀は来た道を戻って、高校前の国道に出る。そして、道を渡った反対側の裏通りへと進んでいく。
おそらくは昔はどこかの工場なりなんなりが使っていたのだろうが、今となってはどこのだれが使っていたのか全く解らない倉庫。壁には蔦が気ままに這い回り、シャッターは半分開いたまま放置されている。
シャッターをくぐって中に進入すると、途端、埃っぽい空気に喉が渇いた。二階は吹き抜けになっていて、二階通路の欄干は錆びついている。窓から注ぐ陽光の中で、埃が泳いでいるのがはっきりと見えた。
壁も床も剥きだしの冷たいコンクリートで、ところどころに鉄材やら箱やらが積み重なって取り残されている。
人影はない。白銀は注意深く周りを観察しながら、倉庫の中央まで進んでいく。学校の体育館くらいはありそうな、だだっ広い空間だ。荷物の陰にも視線を巡らせるが、やはり誰もいない。
ハズレだったか――そう落胆しかけた時。
ぞくりと背中を這い上がる悪寒。
強い妖気と殺気に、白銀は振り返る。
目の前に迫っていたのは、刀を持った男だ。
「――首、取った」
笑いながら告げた瞬間、男の刀は白銀の体を切り裂き、赤い血をまき散らした。




