6 駅前は意外と物騒
駅前のペデストリアンデッキに、涼子は立っていた。チェックのワンピースに黒いカーディガンを羽織り、ちらちらと腕時計を確認しながら、案内板の前にいる。いかにも、誰かと待ち合わせています、という雰囲気を醸し出しているが、実際には誰とも待ち合わせていない。強いて言うなら、犯人を待ち構えているのだ。
背中に垂れた黒のセミロングを持つ涼子。そんな彼女が無防備に立っているところを見れば、髪切りが狙いをつける可能性は高い――これは、そういう囮作戦だ。
白銀は、涼子が見える位置、デッキの端に立って、これまた待ち合わせのふりで立っている。涼子の様子を窺いつつも、見張っていることを気づれないように、さりげなく。
囮作戦とはいっても、この場所を犯人が必ず通るという保証はないし、仮に通ったとしても涼子を狙うとは限らない。実にいい加減で、運任せの作戦である。しかし、白銀は経験上、こういうときの涼子は悪運が強く、かつ運が悪いことを知っている。
涼子の予定では、ひとまず一時間は粘るらしい。暇人だからこそできる、行き当たりばったりの作戦である。しかし、文句をつけたところで代案があるわけでもないので、白銀は大人しく涼子の策に従う。髪切りが現れたら、すかさず白銀が確保する手はずである。
平日の午前十一時台は、試験かなにかで帰りが早いのか、制服姿の少年少女がちらほらと駅に向かって歩いてくる。見覚えのある、近くの高校の夏服だと白銀は気づく。ぞろぞろと歩いてくる中には、髪の長い女子生徒も見受けられる。向こうに食いつかれたら厄介だな、と白銀は思う。
はたして犯人は、本当に釣れるのか。ゴールの見えない持久戦が始まった。
さわやかな空には、白い雲が呑気に流れていく。時間も流れていく。人波も流れていく。涼子と白銀だけが取り残されたようにじっと立っていた。
一時間は粘ると言っていた涼子だが、早くもこの作戦の不毛さにうんざりしたのか、白銀のケータイにメールが届く。
『これほんとに上手くいくの?』
今更なことを訊いてきた。白銀は溜息交じりに返事を打つ。
『お前が言い出したことだろうが。どうせ暇なんだからもう少し頑張れ』
涼子はメールを打つのがやたらとはやい。二十秒もしないうちに返事がきた。
『これで釣れなかったら、私はただの待ちぼうけくらった可哀相な女の子じゃないの』
『そう見えることは否定しないが、まあ、諦めろ』
すると、たった一文字、中指を突き出した手の形をした絵文字が送られてきた。なぜこんな物騒な絵文字が搭載されているのかは不明だが、言いたいことはよく解る。女子が口にするとは思えないくらい乱暴な放送禁止用語である。
やはりこんな場当たり的な作戦でうまくいくわけなかったか、と白銀が溜息交じりにケータイをしまうと、その瞬間に、背筋がざわつくような妙な気配を感じた。
「……っ?」
白銀ははっとして周りを見回す。怪しい影は、特にない。しかし、今感じたのは。
「今の妖気は……」
白銀は特に妖怪の探知に優れているわけではない。というか、むしろ苦手な方である。目の前にいる奴が人間か妖怪かを区別することもできないし、妖怪の気配を追うなどという器用な真似も当然できない。しかし、間近で、あからさまに強い妖気を放たれれば、さすがに解る。
近くに妖怪がいる。いるだけではない。鈍感な白銀でさえも解るくらいに、妖怪としての本領を発揮している奴が、近くにいるのだ。
涼子に気をつけるように知らせようとしたが、少し遅かった。
「きゃあっ!」
短い悲鳴は、確かに涼子のもの。ほんの一瞬、目を離した隙の出来事だった。
慌てて見遣ると、背中まであった涼子の髪が、耳のあたりまでばっさりやられている。さすがの涼子も、突然のことで驚いている。白銀は慌てて涼子の元へ駆けつける。
白銀が目の前まで行くと、涼子は我に返って、厳しい表情であたりを見回す。
「やっぱり全然見えなかった。銀、気配を追える?」
「……いや、駄目だ。さっき一瞬だけ気配を感じたが、今は消えている」
「ちっ。みすみす取り逃がすとは、不覚ね」
舌打ちする涼子だが、その表情は特に切羽詰まった様子でもない。
「だけど、まんまと罠にかかったわね、クソ切り裂き魔」
徐に髪に手をかける。と、ずるりと黒髪が落ちた。
「!? お前、それ……」
「ウィッグ」
ウィッグを外すと、綺麗な黒髪が下される。切られたのは偽物で、本物は無事である。
「これがほんとの、囮って奴」
「聞いてなかったぞ、そんな話」
「言ってなかったもの」
「なんだよ……ほんとにお前が禿げたかと思って心配したじゃねえか」
「いや、どっちにしても禿げちゃいないから」
相変わらず、涼子は抜かりがない。狙われていると解っていて、本物をさらしているわけがなかったのだ。そして、涼子の周到さは、これで終わりではない。涼子はケータイを取り出し、画面を見せる。画面の中では赤い光が点滅している。
「発信器を仕込んであるわ。追ってちょうだい」
「抜け目ねえ奴」
呆れつつも、頼もしく感じながら、白銀は涼子を抱えて大きく跳躍した。
★★★
醜いな、というのがジャックの感想だった。
駅にほど近い場所ではあるが、大通りから一本中に入っただけで、途端に人通りが少なくなる。利用者の少ない建物に挟まれた狭い路地では、多少物騒なことが起きていても、誰も気づかない。気づいたとしても、気づかないふりをして去ってしまうだろう。
そこにいたのは、四人の少女と一人の少年。派手に染めた髪と極端に短いスカート、ちゃらちゃらしたキーホルダーが大量につけられた鞄という三拍子そろった共通点を持つ女子生徒が、いかにも気弱そうな男子生徒一人を取り囲んでいた。ああいうのは男同士でやるものだと思っていたジャックは、時代は変わったものだと肩を竦める。
「金、持ってきたんでしょうね?」
「大人しく渡せよ」
「どうせ何も出来ねえんだろ、根性なし」
少女たちは口汚く少年を罵った。そのうち、一人がジャックに気づいて、不愉快そうに睨みつけてきた。
「何見てんだよ、おっさん」
ジャックは苦笑する。これでもまだ二十代なのだが、女子高生たちから見ればおっさんなのか、と寂しい気分になる。だが、そうやって笑ったのが気に入らなかったらしく、少女たちは苛立たしげな視線を投げてくる。
「何笑ってんだよ」
「なんか文句あんの?」
「いいや、別に」
「だったらどっか行けよ」
「それとも、その玩具で脅す気?」
少女たちは下品に嘲笑う。
玩具、と言ったのは、ジャックが腰に佩いた刀である。よもや本物をもっている奴がいるわけがないと高をくくっているのだ。
「玩具、ねえ」
ジャックは柄に手をかけて、にやりと笑った。
★★★
ぎゅむっ、とソフトボールみたいな白くて丸っこい塊を踏みつけて、白銀は告げる。
「お前が女の髪切って回ってるのは解ってんだ。大人しくしやがれ」
発信器を元に犯人の居住地を特定、すぐさま乗り込み、すっかり油断して戦利品を確認していた饅頭みたいな妖怪を、白銀は躊躇いなく踏んづけた。情状酌量の余地はなし。
「いったいどうしてこんなことしたわけ」
腕を組み仁王立ちして見下ろす涼子が問い詰める。饅頭は何か言いたげだったが、白銀が踏んでいるせいでまともに声が出ないようだった。「逃げられねえからな」と念を押してから足を離してやると、白いボールは小さな手を床について、
「す、すみませんでした……!」
思ったよりあっさりと謝罪した。
「つい先日、経営していた美容院が潰れまして……しかし、髪を切る以外になんの取柄もないので……このままでは路頭に迷って飢え死にだと思って。髪ならまた生えてくるからいいかなー、とつい出来心で、美しい女性の髪を切り集めて、カツラにして売り払おうと思って」
「カツラぁ?」
「羅生門かよ」
白銀と涼子は呆れかえる。羅生門に出てくる婆さんとは少しイメージの違う白ボールが、ひたすらに頭を下げる。
「……どうする、これ?」
「とりあえず、結城に知らせるか」
対応に困った白銀は、専門家に丸投げしてやろうと、旧知の警察を呼びつけた。
★★★
目の前には、倒れた少年少女たち。体中に無数の切り傷。服に滲む赤い血。
「ちっ……つまんねえなぁ」
ジャックは心底退屈そうに、あくびをする。
「まぁ、その程度の怪我なら、死にはしねえから、安心しろよ。そのうち誰か気づいてくれんじゃねえの?」
まるっきり他人事のようにジャックは言う。腰に佩いた刀が不機嫌そうに唸っているのには気づいていたが、あえて無視した。
「さて、こんな連中にかまってる暇はねえな。白刀、計画通り、上手くやれよ」
白刀は応えない。ジャックは特に気を悪くしたふうもなく、怪我をした少年少女たちに背を向け歩き出す。ジャックが狩るべき敵は、こんなつまらない連中ではない。
血沸き肉躍るような強敵。世界の害悪たる妖怪どもだ。




