1 雨と事件が降ってくる
「『黒×げ危機一髪』ってあるでしょ?」
一之瀬涼子は唐突に、有名な玩具の名前を口にした。黒い髪と白い肌のコントラストが美しく、視線をテーブルの上に広げたノートに向けたままに、シャーペンをカリカリ動かしながら話す表情は凛々しい。学校の制服を彷彿とさせるような黒の半袖セーラーワンピースを纏った涼子は、割と美少女の部類に入る、可愛らしい少女である。だが、可愛らしい見た目の者が可愛らしい考えを持っているかといえば、そうとも限らない。
「それがどうした」
銀色の髪と赤い瞳という、日本人離れしたパーツを持つ白銀は、少し警戒しながら応じる。涼子が唐突に奇妙な話題を振ってくるときは、たいていロクなことがなかった。今まさにロクでもないことが起ころうとしているのかもしれない、と今までの経験が言っている。どこにも出かける予定がないからと思って、半袖のワイシャツにジーンズといういたってラフな格好をしてしまったのだが、いっそ防弾チョッキでも着ていればよかっただろうか、と白銀は思う。
「樽から頭だけ出てて、ナイフを刺していって、黒×げ人形の反応を楽しむ奴ね。あれを、今風に改良してみたらどうなるかしらと、考えてみたのだけれど」
「今風?」
「そう。当世風。モダン。アップ・トゥ・デイト」
豊富な語彙で無駄な言い換えをして、涼子は続ける。
「私なりに改良をくわえてみた現代版危機一髪が、こちら」
夏休みの工作をお披露目するかのように、涼子はノートを立てて見せた。
「樽に銀を詰めて包丁でぶっ刺して、中の銀が苦しむ反応を楽しむという、吸血鬼危機一髪」
「何そのただの拷問!?」
子供向けの玩具のはずが、一気に犯罪臭がしてきた。一生懸命ノートに書き込みをしていると思ったら、とんでもない拷問計画について絵付きで丁寧に書いていたらしい。白銀はすばやく涼子の手からノートを奪い取り、ページを破って粉々に粉砕した。涼子が不満そうに頬を膨らませるのを横目に勝ち誇っていると、破ったページの下からまたしても同じことがかかれたページが出てきて目を剥いた。形勢逆転とでも言いたげに、涼子は勝ち誇る。
「複写紙よ」
「つまんねえことに使ってんじゃねえ!」
白銀は力任せにノートを真っ二つにした。
「むぅ。絶対いいと思ったのに」
「どこがだ。楽しいのはお前だけじゃねえか」
心底呆れつつ、こんなもので楽しめてしまう涼子の筋金入りのドSぶりを改めて実感する。
「……まあ、別に樽に入れるまでもなく銀のことは刺すんだけどね」
「刺すな」
ぼそりと物騒なことを呟く涼子に、白銀はすぐさま釘を刺しておく。しかし、いくらやめろといっても、涼子は結局、刺すし撃つし斬るし抉る。スカートの下に常に隠し持っている、ありとあらゆる武器を駆使して、白銀を襲う。吸血鬼をとことんまで苛め抜いて、いつか必ず殺すと豪語する、趣味・吸血鬼殺しにして、特技・吸血鬼苛めのドS少女。それが涼子である。未成年女子とは思えないくらい武器を使いこなし、お前のスカートは異空間なのかとツッコみたくなるくらいに大量の武器をスカートに隠している。その異常さこそが、一部の妖怪たちをして「四次元スカート妖怪」と言わしめる原因である。だが、これでも涼子は人間である。
ちなみに、この馬鹿みたいな異名を涼子は気に入っていない。呼ぶと怒る。この名前で呼んだせいで、先月あたりにちょっとした事件に巻き込まれたこともあって、涼子はいっそうこの名を嫌うようになった。うっかり呼ぼうものなら、嬉々として包丁を振り回し始める。先月「お仕置き」されて以来、白銀は間違っても涼子の前でこの名を呼ばないようにと気を付けている。
ジョークにしてもブラックすぎる拷問計画書の残骸を、涼子は残念そうに拾い集めて、ごみ箱に放り込んだ。そして、それで諦めるかと思えば、どこからともなく二冊目のノートを取り出して、再び書き込みを始めた。
「やっぱり、いつでもどこでも銃をぶっ放せばいいってもんじゃないのよね。なんというか、そろそろ銃も殺せないって解ってきたし、マンネリを打破するためには奇抜なトラップを開発するしかないんじゃないかって結論に至ったの」
「だからぁ、銃だろうがトラップだろうが、そんなんじゃ死なないんだって。いい加減気づけよ」
「こういうのは試行錯誤しながら頑張るものなの。すぐに結果を出そうとは思ってないの。いつか殺せればいい……だから今はとりあえず銀が苦しんでる顔を見て満足しておくことにしようかと」
「真面目な顔で何言ってんだこいつ」
途中まではいいことを言っているようなセリフ回しだったが、後半から一気に雲行きが怪しくなって、結局いつものようにただのドS発言に帰着した。とりあえず白銀は、二冊目のノートを奪い去ってゴミ箱に突っ込んだ。
「女の子からお絵かきノートを奪うなんて、サイテー」
「お絵かきノートだなんて可愛らしいもんじゃねえだろ。ただの殺人計画書だろうが」
「あなた、人じゃないでしょ」
「言葉の綾だ」
お決まりの台詞を返してから、確かに捨てることはなかったかな、と思ってゴミ箱からノートを拾い上げる。が、女子特有の丸っこい字で「鉄の処女を手作りする方法」と書いてあるのが目に入って、再び捨てた。
「お絵かきなんてしてないで、あれだ、お外で遊んでおいで」
「舐めんなヘタレ吸血鬼」
冗談で子ども扱いしたらマジギレされてしまった。最初に「お絵かきノート」だなどと言い出したのは涼子の方であるのに、理不尽である。
「だいたい、外でったって、こんな天気じゃあねぇ……」
涼子は退屈そうに頬杖をつく。吐き出し窓は障子を閉めてあるので外の天気は見えないが、見るまでもなく、朝からずっとしとしとと雨が降る音が聞こえている。
「梅雨なんだから、しょうがねえだろ」
彩華町のあたりは、平年より三日ほど早く、六月五日には梅雨入りが発表された。ゆえに、こうして雨が降っているのも仕方のないことである。とはいっても、梅雨入りから既に二週間ほどたっているが、そんなに雨が降ったという覚えはない。空梅雨なのかもしれない。
「予報じゃ、明日は降らないらしいぞ」
「ふうん。でも、別に特に外で遊びたいわけじゃないし、ってかそんな歳じゃないし。出かける当てもないし……仕事がない日は基本引きこもりだから、天気とか割とどうでもいいのよね」
「引きこもりって言うなよ」
「ニート?」
「ニートはないだろう。依頼があれば働くんだから。だいたいな、依頼がないのは平和の証であって、」
などと白銀が講釈を垂れようとした瞬間、家のチャイムが鳴った。
涼子はにやにや意地悪く笑う。
「平和が何だって?」
「うるせえ」
羞恥にわずかに頬を赤くしながら、白銀は立ち上がって応対に立つ。以前、玄関を開けた瞬間襲撃された経験のある涼子は、それ以来、客が来ても無視するようになったので、家主でもない白銀が代わりに出ることにしている。
からからと引き戸を開けると、目の前に黒い塊が現れぎょっとする。
しかし、よくよくみると、それは雨に濡れて乱れた黒髪だった。
びっしょり濡れた前髪を額に張り付かせた女性が、そこに立っていた。比較的小雨とはいえ、傘を差さずに出歩くのはつらい天気だ。しかし、女性は傘を差してきた様子はなく、黒地に橙の花を配した模様の浴衣がしとどに濡れている。
いったい何事かと目を丸くしていると、女はゆらりと顔を上げ、どんより沈んだ瞳で白銀を見た。
「妖怪の頼み……聞いてくれるのよね……?」
暗い表情からは想像できない、鈴を彷彿とさせる綺麗な声で女は問うた。白銀は、女から漂う異様な雰囲気に若干たじろぎながらも首肯した。
「だったら、犯人を捕まえてちょうだい。あたしをずたずたに切り裂いてった、犯人を」
――かくして、再び厄介な依頼が持ち込まれたのである。




